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2008年8月 2日 (土)

本 「エヴリブレス」

本作はTOKYO FMのラジオドラマの原作として書き下ろされたということです。
そのためか作中でラジオが重要なアイテムとして登場します。
ラジオは音声を伝えるメディアです。
電波を通して伝えられるのは話し言葉。
その言葉やコミュニケーションについて、いくつかなるほどと思ったところがあったので、とりあげたいと思います。

作品の中である登場人物が、人が言葉を使うようになった理由を語っている場面があります。
「地球上の生物は呼吸をしてエネルギーを得ている。呼吸をする器官があったからこそ声を発して、言葉を使うようになった。<中略>私たちはどこかで必ず息継ぎをしないといけなくて、その呼吸(ブレス)が音節というものをつくったんだそうです。言葉が途中で節目をつくって、構文ができたのも、だから息継ぎという肉体の制約のおかげだって。呼吸をするからこそ言葉はいまのようなかたちになったんだそうです」
確かにコンピューターが読み上げる言葉というものが不自然に人工的に感じるのは、そこに呼吸がないからなのだと感じました。
そして人間が、そこに生命らしさというものを感じる時、無意識的に相手に呼吸を感じているのかもしれません。
逆に機械がコンピューターに呼吸を感じるようになるほど進化したなら、それは生命だと言っていいのかもしれません。

またある登場人物がこう言います。
「共鳴(シンクロシニティ)という言葉の意味を、ずっと考えてきました。私たちは共感(シンパシー)でお互いに深いところまでつながり合うのだと思います。<中略>心を同調し合って、お互いに頷き合って、温もりを分かち合うのが共感の力だとしたら、そこから先の理解はや、希望や、勇気は、きっと言葉といっしょに育まれるのだと思います。<中略>自分とは違う他者とわかり合おうとすること、それが共感からもう一歩進んでわたしたちができること、つまり感情移入(エンパシー)なんだと思います。」
ここは人のコミュニケーションについて語っている場面です。
シンパシーという言葉と、エンパシーという言葉について語られていますが、この違いについてもなるほどと思いました。
これを読んでの僕自身の解釈ですが、シンパシーというのは自分が相手から伝わっていることに対して自分が感じること。
これは自分が感じることというのはあくまでも自分の中での解釈としてなんですよね。
そしてエンパシーというのは、相手も自分も相互に伝えようとし、理解しようとすること。
これはお互いに理解しようと歩み寄る努力がなければ成立しません。
「一歩進んで」と書いてあるのは、エンパシーを成立させるためにはそれなりの努力が必要だからでしょう。
伝えようとすること、それを受け取ろうとすること、それがエンパシー。

思えばラジオというのは、実際はマスメディアの一つでありながら、なぜか人のぬくもりを感じる不思議なメディアなような気がします。
テレビはその圧倒的は情報量の多さ、パワーによって受け手は圧倒されますし、新聞などの紙媒体は文字であるが故に、受ける側は感情よりも理性で受け止めます。
でもラジオは、一対多というマスメディアでありながらも、自分に語りかけてくるような感情的なものを感じます。
作者の瀬名秀明氏は、ラジオドラマというお題の中で、ラジオというメディアの特性、そしてそこの中での話し言葉というものの重要性というものを考え、この作品を作ったのでしょうね。

瀬名秀明作品「第九の日」の記事はこちら→

「エヴリブレス」瀬名秀明著 TOKYO FM 出版 ハードカバー ISBN978-4-88745-195-7

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