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2008年7月27日 (日)

本 「ウェブ社会をどう生きるか」

ブログというのものは一時期流行語のように使われていた「ウェブ2.0」の最たるものです。
有史以来、個人が世界に向けて簡単に情報発信ができるようになったのは初めてのことでしょう。
90年代後半からのHP、昨今のブログの激増によりウェブ上に情報は溢れかえっています。
それらはすべてが同じ水準にあるわけではなく、自分にとって意味のある情報を得るためには「Google」などの検索エンジンを使うしかありません。
昨今の大学生の間では「コピペレポート」なるものが横行しているということ。
ネット上にあるさまざまな情報を集めてきて、コピペをしてつぎはぎしたようなレポートです。
そういえば、仕事でも若い人はそういう資料を作る人がいるなと最近思いました。
この本で著者が繰り返し語っているのが、「情報は小包ではない」ということ。
小包のようにネット上で見つけ出してきた、文字の連なりはそれだけでは情報になり得ないのです。
なぜかというと「情報」というものは、それを受け取る受け手の解釈によって初めて成立するものだからです。
例えば同じ文章を読んでも、人によって感じ方、それによって起こされる考えの変化というのは違うでしょう。
そうというのも人はそれぞれの持つ生物的な特徴、文化的な特徴、個人的な経験などにより感じ方が異なるからです。
「情報」というのは受け手との関係性があってはじめてあるわけです。
さきの学生の「コピペレポート」というのは、多くの人がその「情報」というものを誤解していることからきていると思います。
文字やその意味だけでは「情報」足り得ない。
それぞれの人の解釈があって「情報」になるわけで、実は人によって「情報」は異なるのです。
そのあたりの認識がないと、今後爆発的に増えていくネット上の「情報(これは一般的に言われているもの」によりおぼれてしまうようになり、それに疲れて結果的にはみなが画一的な「情報」にしか接しなくなるということになりかねません。
これは本来ウェブとういものが持っている可能性を否定することにも繋がるような気もします。
あふれるばかりの「情報」をほんとうの「情報」にするためには、それらを見る目というものを個人個人がもたねばならぬということでしょうか。

「ウェブ社会をどう生きるか」西垣通著 岩波書店 新書 ISBN978-4-00-431074-7

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