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2008年3月22日 (土)

本 「鳩笛草 燔祭/朽ちてゆくまで」

超能力者になったとしても「HEROS」のヒロ・ナカムラのように「世界ヲ救ウンダ!」などと使命感に燃える人などたぶんいないでしょう。
そんなことを口にしたら、アンドウくんのような友人に「何、馬鹿ナコトヲ言ッテルンダ」とバカにされるに違いありません。

宮部みゆきさんの現代ミステリーには、超能力者が出てくる物語がいくつかあります。
この中編集にはタイトルにある三つの物語が収録されていますが、予知能力、パイロキネシス、読心という能力を持った登場人物がでてきます。
宮部みゆきさんの物語の超能力には、何故このような能力を持ったのかというような説明はほとんどありません。
宮部さんは超能力そのものよりも、それら通常人と異なる能力を持ったというより、望んでいないのに持ってしまった登場人物のとまどい、そしてその能力とどのように折り合いをつけて生きていくのかというところに注目しているように思えます。
その超能力自体は、通常人から見れば異能の力であるに違いないわけですが、その能力を持っている人にとってはそれはそもそも持っている力であり、特別なものではない。
けれどもその能力自体が通常の人々から見れば異常であることもわかる。
つまり自分にとっては普通のことでも、他人にとってはとても異常な自分の能力。
そのために、この力を通常人にわかってもらうことはとても困難であるため、能力者はどうしても孤独にならざるを得ない。
宮部みゆきさんの小説に登場する超能力者は、何かしら孤独をまとっています。
超能力者であることの優越感はそこにはありません。
どちらかというと、通常人と異なる力を持つが故に理解されないという寂しさがあります。
特に収録作である「燔祭」の主人公、青木純子にはその孤独がとても色濃く出ていると思います。
彼女の場合は、その能力が他のニ作品の主人公の「受け身的な力(予知と読心)」違い、「攻撃的な力」(パイロキネシス)を持っているため、より通常人よりも自制が必要になる。
「受け身的な力」は使用しても人を傷つけることはありませんが、「攻撃的な力」は違う。
その力を使うことにより、人の命をも奪うことができるのです。
人を超えた能力におぼれることなく、折り合いをつけるには能力者の心の中にはかなりの葛藤・ドラマがあるに違いありません。
それに気づいた宮部みゆきさんはさらに「燔祭」が「クロスファイア」へ物語を発展させていくことになったのでしょう。

「鳩笛草 燔祭/朽ちてゆくまで」宮部みゆき著 光文社 文庫 ISBN978-4-334-72985-1

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