人と人との間には、それぞれが心地よいと感じる距離があるような気がします。
その心地よいと感じる距離感がお互いにぴったりと合っている場合は、たぶんその人たちの関係はずっとうまくいく。
けれども最初からその距離感が合うなんてことはほとんどないのでしょう。
恋人たちの間であっても、親子の間であっても。
好きだからいっしょにいてほしいと思う気持ち。
相手がかけがいのない人であると思う気持ち。
でも自由でもありたいという気持ち。
たぶん恋人たちはみんなお互いにそういう気持ちを持っていると思います。
けれどもその気持ちの強さ、心地よい距離感はたぶん二人とも違う。
その距離感が調整できなければ、お互いに好きであったとしても、いつの間にかすれ違いが起こってしまうのかもしれません。
主人公エリザベス(ノラ・ジョーンズ)は失恋しました。
恋人に別の女ができた時に悪態を吐く様子を見るにつけ、彼女はとても激しく人を愛するタイプなのでしょう。
彼女はお互いがお互いをずっと見ていたいと願うような女性だと思います。
だから裏切られた時の落ち込みようは激しいし、次の恋に向かえず、ずっと前の恋をひきずってしまっています。
たぶん彼女はわかっていたと思います。
自分の愛情の強さが、相手を息苦しくさせてしまったことを(描かれていないけれどそんな気がします)。
旅の途中でエリザベスは、警官のアーニーはとその元妻スー・リンに出会います。
アーニーは元妻を強く愛し、スー・リンはそれを息苦しく感じていました。
二人はお互いの求める距離感を調整することができず、そして別れました。
けれどもスー・リンにとって決してアーニーはかけがいのない存在でないわけではなかったのです。
アーニーを失ったときのスー・リンは激しい喪失感を感じていたように思えます。
バーで何年かぶりの酒を飲む時、スー・リンははじめてアーニーが感じていたのと同じ気持ち、そして後悔を感じたのです。
そしてエリザベスはカジノでレスリーというギャンブラーに出会います。
彼女は人の気持ちを読み、その裏をかくことで生計をたてています。
ギャンブルとはそういうものだから、人生とはそういうものだから。
彼女は人と人との関係とはそういうクールなものだと捉えているような節があります、それが親子の関係であっても。
父親の危篤の連絡もジョークだと言う彼女が、ほんとうに親の死に目に間に合わなかった時、彼女の胸に去来した思いはやはり後悔だったのでしょう。
彼女も父親を愛していなかったわけではない。
というより父親の教えを大切に守って生きてきていたのだから。
自分が思いのある人との間との心地よい距離感というのがあります。
当然相手も違う心地よい距離感があります。
アーニーとスー・リンのエピソードも、レスリーのエピソードも、自分が感じる心地よい距離感と相手の感じる心地よい距離感を、愛し合っていたのに調整できなくて別れに至ってしまった話だと思います。
彼女たちが感じた後悔というのは、自分の心地よい距離感ばかりを考え、相手の心地よい距離感を考えてあげられなかったということだと思います。
相手のことを考える余裕があれば、もしかしたら大切な人を失うことはなかったかもしれない、そういう後悔だったのではなかったのでしょうか。
エリザベスは二人を見て、そして過去の失恋を思い返して、それを感じることができた。
お互いの距離感の違いは、やはりお互いに相手を思いやることからしだいにそれが調整されていくのでしょう。
自分だけが心地よいだけではいずれ何かすれ違いが起きてくるのですよね。
相手のことを思い少し離れて見ていてあげる、相手のことを思い肩を抱きしめてあげる。
相手を大事に思う気持ちが次第に二人の間の距離感を合わせていくのですよね。
エリザベスとジェレミーは最初からお互いに惹かれていました。
ブルーベリーパイを食べたその夜のキス。
エリザベスはたぶんそのキスに気づいていた。
そして急速に近づきそうになっていくジェレミーとの関係が恐くなったのかもしれません。
また自分は同じような失敗をしてしまうのではないかと。
それでエリザベスにとっては二人の距離感を冷静に見直すことが必要だと感じたのでしょう。
旅先での人たちとの出合いによって、彼女は愛する人との間であっても、その距離をお互いが育むように調整しなければいけないと感じたのでしょう。
エリザベスとジェレミーのお互いの距離感の擦り合わせをするのには、300日という日数と何千キロという距離の「遠回り」し相手を思うことが必要だったのですね。

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