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2008年1月14日 (月)

本 「核武装論 -当たり前の話をしようではないか-」

読みづらい本ではあります。
次から次へと知らない言葉は出てきますし。
それもそのはず著者の西部邁氏は「朝まで生テレビ」に出てた時もとても話がわかりにくかった覚えがあります。
とても頭が良くて知識があるのはわかりますが、それがとても鼻につく。
もう少しわかりやすく伝えようとできないものか(お前の頭が悪いんだということになるかもしれませんが)。

そんなことはさておき・・・。
西部氏が書いているように、日本の核武装化について、今までの日本はあまりに真剣に考えていなかったように思います。
真剣に、と言うとそうでないと言われる方もいるかもしれないけれど、それは深く考えていなかったと言い換えてもかまわない。
核武装するべきかどうか西部氏の主張はここでは書かないし、僕の意見も書きません。
この本の主張していることで大事なのは、この課題に対して議論が足りないということだと思います。
冷静に論理的に考えて、日本が核を保有したとき、またはしなかった時に予想されるメリット・デメリットは何なのかということを深い議論がなされているかというと、そうはなっていない。
確かに日本は広島・長崎で被爆体験がある国であるため、核武装化に対して感情的な抵抗はあると思います。
僕だって日本が核爆弾を持つと言ったら感情的にはいい気分はしません。
けれども感情だけで決めていいのでしょうか。
感情に加えて、冷静な思考も必要だと思います。
アメリカは本当に日本を守るのか。
核の傘は本当に有効なのか。
日本が核を持ったら周囲の国はどう反応するのか。
核を持つ周辺諸国に対して、核を持たずに日本という国を守ることができるのか。
核を世界的に管理することは可能なのか。
考えなければいけない、論議しなくてはいけない課題はいくつもあるのです。
今まではこれらをずっと棚上げにしてきました。
問題の先送りをしていたと言っていいかと思います。
これらを議論し始めたら、さまざまな意見が出て紛糾するのは見えています。
けれどそれだからといってずっと避けていていいのでしょうか。
世界的にみても、日本という国はとても幼い国のように思われていると思います。
難しい問題を「あとであとで」と先送りにしている。
まるで夏休みの小学生のようです。
でも夏休みはいつか終わります。
8/31日に慌てて答えを出そうとしても遅いのです。
「当たり前の話をしようではないか」という西部氏がつけた副題にこそ、意味があると思います。
核武装問題以外についても、本質的な議論ができていない課題が日本にはいくつもあります。
そういう議論ができないということこそ、この国の問題なのだと感じました。

「核武装論 -当たり前の話をしようではないか-」西部邁著 講談社 新書 ISBN978-4-06-149884-6

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コメント

ryokoさん、こんばんは!

そうなんですよね、過剰不安が本質的な論議をさせないところが問題なような気がします。
最近の国会を見ていても論議をしているようで、それぞれが自分の主張ばかりして、相手の言うことを真剣に聞こうとしていない。
とことんまで話して、答えを見つけようとすることを日本人はできていないような気がします。

投稿: はらやん(管理人) | 2008年3月11日 (火) 22時25分

核武装は勿論の事、武装自体曖昧です。
自衛隊に靖国、9条、議論することなく、外圧だの拡大解釈だの既成事実を作って何となくしょうがないなぁ~と定着してきた過去かあります。
「核を持つこと」と「議論すること」は別物なのに、「議論すること」=「持つこと」という過剰不安が、議論すら否定することになってしまうのでしょうか。
「当たり前の話しをしよう」という副題は目からうろこですね。

投稿: ryoko | 2008年3月10日 (月) 00時09分

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