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2007年10月28日 (日)

「自虐の詩」 必要とされることこそが幸せ

予告でインパクトのある阿部寛さんのパンチパーマとちゃぶ台返しを観て以来、公開を心待ちにしていました。
堤幸彦監督×中谷美紀さん×阿部寛さんという息の合った組み合わせですから、期待度も高まります。

幸江(中谷美紀さん)は絵に書いたような不幸を背負っている女性。
幼い頃より貧乏暮らし、母親に捨てられ、父親は強盗で逮捕、上京してきても夜の商売に身をやつしてしまいます。
現在は内縁の夫イサオ(阿部寛さん)と暮らすも、夫は無職で乱暴者、幸江が稼いだお金もギャンブルにつぎ込んでしまいます。
イサオは無口で気難しく、気に入らないことがあると、せっかく幸江が作った食事をちゃぶ台ごとひっくり返してしまいます。
そのちゃぶ台返しの映像は見事。
「むん!」という阿部さんの裂帛の気合いとともに、ご飯茶碗やみそ汁、漬け物が宙を舞う。
あれはCGでしょうかね?
前半はそんなちゃぶ台返しや堤監督らしい小ネタの笑いなどが散りばめられ、またインパクトのあるイサオや健気な幸江、幸江に恋する中華料理店のマスター(遠藤憲一さん)のキャラクターなどで楽しめます。

けれどもこの作品は愛と生の物語でした。
幸江は幼い頃からずっと不幸な生活を送ってきました。
貧乏ゆえに友達からもバカにされたり、憐れまれたり。
今でも夫に虐待まがいの仕打ちを受けるにもかかわらず、それでも彼に尽くし続けるのは何故なのでしょう。
彼女は見たことのない母親に手紙を送り続けます。
「お母さんはなんで私を生んだのでしょうか?」
そう書き綴る彼女の心には、自分が生を受けた意味合いというのを感じられないという気持ちがあるのでしょう。
ずっと幸せではなかった、だったらなんで生まれたのか。
でも彼女がたぶん唯一生きていると感じるのが、傍若無人な夫を世話している時なのでしょう。
生活力のないイサオは自分がいなければ生きていけないという気持ち、そこに自分が存在していい理由を見いだしたのでしょう。
そして彼は学生時代の友人熊本さんを別にして、唯一彼女を全面的に受け入れてくれた人間。
東京時代生きる意味を失いかけていた彼女に希望をくれたのがイサオだったのです。

イサオは生来、無口で自分の感情を表現するのが苦手な男。
東京で幸江に「愛している」と告白したことも彼にとっては一世一代の勇気だった(組を抜けることよりも)に違いありません。
でもそれだけの勇気を振り絞るまでに、イサオは幸江を愛していたのでしょう。
大阪に来てからは愛する人を養っていくことができない、自分の生活力の無さを眼の当たりにします。
もどかしく思いつつも、それを表現できない彼の不器用さがちゃぶ台返しという行動に現れたのかもしれません。
愛する人を守れないイライラが表れていたのですね。

他人からみると幸江とイサオの二人は表面上ではとても不幸に見える。
貧乏で、夫は暴力的で。
でも二人はお互いをほんとうに必要としている。
だから幸江は夫に尽くしきれるし、イサオは暴力を働いてでも妻を守ろうとする。
物語の最後で相手が自分を必要と思ってくれていることを自覚します。
そう思ってもらえることこそが、幸せと感じるということ。
生きる意味を見いだせるということ。
幸江はラストシーンで「幸せ、不幸せなんて関係ない、生きていることに意味がある」といったようなことを独白していました。
それが彼女が母親に向けて出し続けた手紙に書いていた問いの答だったのでしょう。

堤監督、阿部寛さん主演「大帝の剣」の記事はこちら→

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2007年10月27日 (土)

本 「タイムトラベラーズ・ワイフ」

切ないタイムトラベル・ラブストーリーです。
ヘンリーはタイムトラベル能力を持った男。
ただし彼は自分で自由にタイムトラベルをすることはできません。
彼の能力は、自分でも予期せぬ時に、予期せぬ時間へタイムトラベルをしてしまう、一種の病気のようなもの。
タイムトラベルをする時、ヘンリーは何も身につけることはできず、時を飛んだ先では彼はまず服を見つけ、食べ物を手に入れサバイブをしなくてはいけません。
そんな時をさまよう大人の彼が出会ったのが、少女クレア。
彼女はタイムトラベルをする彼を信じ、彼が時を飛んできたときのために彼の服や食べ物を用意するようになります。
彼女が次第に大人になっていく間に、いろんな年齢のヘンリーがやってきます。
そしていつしか彼女はヘンリーに恋をします。
そしてヘンリーもクレアを愛するようになる。

時が順序よく流れていくクレアの時間軸と、時を飛ぶヘンリーの時間軸が重なり合うように進んでいく構成がとても巧妙です。
ヘンリー中心に描かれるシーン、クレア中心描かれるシーンが、交互に描かれそこでの描写が絡み合い、物語の伏線になっているところがおもしろいです。
時間軸が飛んだりするのでわかりにくいかと思いきや、読んでいて頭がこんがらがるような複雑さも不思議となく、さらさらと読める軽快さもあります。
でも何より愛する二人の気持ちがとても切ない。
いつ愛する相手がいなくなってしまうかもしれないと不安に思うクレアの気持ち、いつかは離ればなれになってしまうとわかっているヘンリーの気持ちが涙を誘います。

これが小説第一作めという作者の力に驚きです。
小説の帯にはブラッド・ピットが映画化権獲得と書いてありましたが、映画になるのかな。
映画にとても向いている物語だと思います。

映画化作品「きみがぼくを見つけた日」の記事はこちら→

「タイムトラベラーズ・ワイフ<上>」 オードリー・ニッフェネガー著 ランダムハウス講談社 ハードカバー ISBN4-270-00051-1
「タイムトラベラーズ・ワイフ<下>」 オードリー・ニッフェネガー著 ランダムハウス講談社 ハードカバー ISBN4-270-00052-X

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2007年10月24日 (水)

「ヘアスプレー」 「違う」ということに価値がある

超前向きムービー!
人って誰でも何かしら自分の見かけにコンプレックスを持っていますよね。
それは体型(痩せている、太ってる、背が高い、背が低い・・・)のことかもしれないし、一重だとか、色黒だとか他の様々なことで引け目を感じてしまっていたりするものです(美人だからコンプレックスを持っている人もいますよね)。
そのためにちょっと積極的になれなかったり(逆にパワーにする人もいますが)するものです。
主人公トレーシーはお洒落に興味があるし、何よりもダンスが好きな女子高生。
体型はとっても太っているけれども、本人はそれを全く気にしていません。
好きなダンスをやりたい、みんなに注目してもらいたいという気持ちにとても素直で前向き。
コンプレックスを感じて引っ込み思案になるわけでもなく、またコンプレックスをなくすためにがむしゃらになるわけでもない。
彼女は自分という存在をとっても素直に認めているんですよね。

トレーシーのその視点は他人に対しても変わりません。
人はどうしても外見や偏見で、他の人を見てしまうものです。
太っている人は動きが鈍そう、かわいくないとか。
作中で触れられる人種偏見についてもそうですね。
でもトレーシーは他人に対してもそんな見かけの違いで区別をしたりはしない。
彼女にとっては白人の番組と黒人の番組を別にするなんてナンセンス、ダンスは楽しいのになんでみんなで踊ってはいけないの?という感じでしょう。

そもそも人がコンプレックスを感じるのは、他人と比べて自分が「違う」と思ってしまうことからだと思います。
他の人に比べて太ってる、他の人に比べて背が高いなど。
でもそういうことは人の本質とはあまり関係ないはずで、他人との違いを気にする必要というのは本当はない。
そうだとわかればコンプレックスで悩むこともなくなるんですよね(なかなか難しいけれど)。

太っている女の子が歌ってダンスする。
予告などでこういうビジュアルを見ると、「あんなおデブな娘がダンス踊っている!」みたいにユニークなものを見ている気になります。
でもこの映画を観ているとトレーシーが太っていることがほとんど気にならなくなります。
それは彼女自身がそんなこと気にもしていないということと、彼女の本質がそんな外見にあるのではないとみんな気づくからだと思います。
リンクもそうだったんでしょうね。
トレーシーが作品の中で言っていましたが、まさに「違うっていうところに価値がある」んですよね。
自分に対しても、他人に対しても「違う」ということを認めてあげられるようになれば、とってもハッピーに生きられるんですよね。
偏見を軽々と越えてしまうシーウィードとベニーの恋のエピソードもハッピーな気分になれて良かったです。

キャラクターとキャストはどれもぴったりとはまっていました。
主人公トレーシー役のニッキー・ブロンスキーはオーディションで選ばれたということでまさにはまり役。
ジョン・トラボルタは昔とった杵柄か、あの体型でもちゃんとステップ踏んでましたねー。
ミシェル・ファイファーはこういう意地悪な役ははまります。
途中の赤いドレスのシーンは「恋のゆくえ」を思い出しました。
クリストファー・ウォーケンの組み合わせはどこかで見たことあるなあと思ったら「バットマン・リターンズ」で共演でしたね。

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2007年10月21日 (日)

「龍が如く <劇場版>」 好きな人は好きな味の濃さ

人気ゲームの三池崇史監督による映画化作品です。
最近はほとんどゲームをやらなくなったので原作ゲームはよく知らないのですけれども。

現実の新宿歌舞伎町のような街、神室町にかつて「堂島の龍」と呼ばれた一人の男、桐生(北村一輝さん)が戻ってきます。
桐生は女の子を一人連れていて、その子の母親を探します。
桐生が戻ってきたことを知り、神室町のヤクザたちが動き始めます。
そして時を同じくして銀行にヤクザがプールしていた100億円が消えてしまう。

ゲーム原作だからか、ストーリーには複雑な仕掛けはなく、順々に段どって謎を明らかにして進んでいく流れでした。
最初の方から三池監督らしくバイオレンス色の強く魅せるアクションがあります。
三池監督はアクションシーンはテンポがよくってセンスがとてもいいですよね(途中ジョン・ウーっぽいシーンもありました)。
そういえば途中で銃やドリンク剤を手に入れたりするのは、まるでゲームでアイテムをゲットするような感じでしたね。

先日「ジャンゴ」を観た時にも思ったのですが、三池監督の作品は「濃度が高い」感じがします。
うまく言えないですが「味が濃い」感じですね。
最近の邦画は観ている時は泣けてきたりするのですが、さらっとしていて淡白な味付けのような作品が多いような気がします。
食べてる時は「おいしい」って言って食べているんですが、翌日になると「あれ、何食べたっけ?」みたいな感じ。
それはある意味食べやすいので、どなたにもお薦めできるし、いつでも気軽に観れるし、いいところあるのですけれども。
でも三池監督の作品はどなたにもお薦めできる料理じゃないですよね。
とっても濃い味付けなので、苦手な人は苦手でしょうし、たぶん観る時も選ぶかと思います(弱っている時は食あたりなんてことも?)。
三池作品のその「濃さ」が醸し出されるのは、ぶっとんだキャラが多いということ、画面の中のグラフィカルな情報量からというのももちろんですけれども(けっこう凝った画が多い)、やはりエネルギーというか、映画に対する思い入れというのが深いような気がします。
三池監督というとバイオレンスというイメージありますが、でも多分に叙情的でもあるんですよね。
思い入れが深いので、すべてについて濃い味になっているというか。
繊細さみたいなものは拭われているので、「ジャンゴ」もこの作品もストーリー的には突っ込みどころというのはいくつもあるんですが、観ていてあまり粗が気にはなりません。
作品の持つ熱量みたいなものが感じられるので、些末なことはどうでもいいかなって気になります。
あとこの監督の独特のユーモアも好きなんですよね。
緊迫した場面、シリアスな場面、バイオレンスな場面などに挟み込まれる笑い。
苦手な人は全然ダメっていう笑いですよね。
笑っていい場面じゃないかもしれないけれども、笑ってしまうような不謹慎なユーモアを使いこなすのは、邦画ではこの監督以外にはあまりいないんじゃないでしょうか。
これは慣れている人しか食べられないスパイスのような感じがします。
邦画は盛況とはいえ、なんだか同じようなタイプの映画ばかりになってしまっている昨今、三池監督のように熱量がある作品を作り続けている(多作なのもすごい)方がいるのは貴重な気がします。

主演は北村一輝さん。
美男子なのに、キレた役をやらせるとかなり迫力のある北村さんですが、本作では王道のヒーローでしたね。
その代わりにキレキレだったのは桐生の敵役真島を演じていた岸谷五朗さん。
「桐生ちゃ〜ん」の言い方は気色悪くて好きでした。
監督もこういうキャラ好きなんでしょうね、最後も死にませんでしたね(笑)。

三池崇史監督作品「スキヤキ・ウェスタン ジャンゴ」の記事はこちら→

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2007年10月20日 (土)

「ロケットマン!」 トムヤム・ウェスタン?

8日にも及ぶタイ出張から無事帰国しました。
ずっーとタイ料理を食べていましたが、飽きることなく。
けっこう自分には合っている料理かもしれません(ヨーロッパだったら絶対飽きてしまいそう)。
今の時期タイは雨期とはいえやはり暑くて、帰ってきたら日本がすっかり涼しく(というより寒く)なっていてびっくりです。
2週間ぶりでの久々の映画の劇場観賞はタイ映画「ロケットマン」。
自分の中で親タイ度も上がってきましたし、「マッハ!」も好きな作品でしたのでタイ・ムービーを選んでみました。
雑誌で観たロケットの上にカーボーイ風の男が乗っているビジュアルにもちょっと興味引かれました。

時代は20世紀初頭、タイの中心地では輸出のために米の栽培が盛んになり、その作業のために牛が必要になり東北部から連れられてきていました。
牛飼いたちが平原をはるばると牛を連れてきます。
まさにこの様子は西部劇のよう。
その牛飼いたちが「ロケットマン」と呼ばれる男に襲われるという事件が頻発します。
「ロケットマン」はロケット型の爆竹を自在に操り、さらにムエタイの技もキレる謎の男。
この男は誰かを探し求めている様子・・・。

「ロケットマン」を演じるのは第2のトニー・ジャーとして「七人のマッハ!!!!!!!」でデビューしたダン・チューポンです。
僕はやっぱりトニー・ジャーの方が好きだなあ。
ルックスもかっこいいし、あとムエタイの技のキレはトニー・ジャーの方が数段上のような気がします。
アクション監督の演技付けなのかもしれないですが、アクションの合間に数瞬ですが間をあわせるようなところがあって、どうも「マッハ!」のような生身で実際やっているようなライブ感があまり感じられない気がしました。
まさに殺陣の段取りを決めて撮っているという印象です。
実際「マッハ!」なども段取りは決めていると思いますが、あまりに速い動きでそうは感じさせません。
やはりトニー・ジャーの実力が半端じゃないことの再確認になってしまった・・・。
あとどうにも編集がうまくないところがいくつか観られるのが気になりました。
これはストーリー的に繋がりがわかりにくい点がいくつかあったのと、アクションシーンでの繋がりが悪くスピード感が寸断されてしまっているような点とありました。
アクションシーンは間の悪いスローモーションの多用が気になりました。
あとロケットにカーボーイというアイデアみたいなのはとても好きなんですが、ロケットがあまりストーリー的にもアクション的にも活かしきれていないところが残念なところでもあります。
ユニークなアイデアなのでもっとうまく使えばよかったのに・・・。
全体的には残念な印象でした。
あ、ひとつだけ、ヒロインが美しいところが拾いものでした。
20世紀初頭の設定なのに彼女だけ現代風の衣装なのはご愛嬌というところでしょうか。
そういえばバンコクの街を歩いている若い女性は、お洒落できれいな人が多かったなあ。

タイ映画「マッハ!」の記事はこちら→

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2007年10月 7日 (日)

「幸せのレシピ」 自分のルールを破ってみること

最近忙しくて劇場に足が運べてません・・・。
やっと時間をみつけて「幸せのレシピ」観てきました。
ちょっと仕事でイライラ気味なので、映画はハッピーになれそうなものをセレクト。

ケイト(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)は高級レストランのシェフ。
シェフという立場ににプライドを持ち、料理に対する真摯な姿勢をもっていて、自分を律することができる人ですが、それを自分だけでなく周りの人へも要求してしまうタイプ。
あるときケイトは姉が亡くなったことにより姪のゾーイをひきとることになりました。
ケイト自身も姉を失ったことによることにショックを受けますが、またゾーイも心に深く傷を負い、ケイトに心を開いてくれません。
また副シェフとしてニック(アーロン・エッカート)がレストランにやってきます。
彼は根っからの自由人でケイトとはスタイルが違う。
ルールに縛られるのではなく、楽しみながら料理をする人。
ケイトはなかなか心を開いてくれないゾーイに対して、またスタイルの違うニックと比べられることに対して、なんだかイライラとしてしまいます。
またイライラとしてしまう自分がなんだか情けなくなったりも。

なんだかケイトに共感してしまいました。
僕もどちらかというときっちりタイプで、知らず知らずのうちに周りにもそういうことを要求してしまうタイプです。
二、三ヶ月前に全く別の部署に異動しある仕事を一人で切り盛りするような立場になりました。
まわりはそれこそ文化も違い、知らぬ人ばかり。
前任者はニックタイプでしょうか、楽しくは仕事していたような人ですが、あるところはとてもいい加減で。
周りもそれに慣れていた状況がちょっとやりづらく、また自分が比べられることもわかっていたので、ちょっと落ち着かない気持ちでした。
ただ一生懸命やらないと認めてもらえないと思い、このところずっと忙しくやってきたんですけれど。
忙しすぎてうまくいってだかいっていないんだかもわからない状態。
劇中でケイトが言っていた台詞に共感してしまいました。
「いい人生を歩むレシピがあったらいいのに」
でもそんなものはないんですよね。
ケイトやニックが一歩踏み出して何かが見えたように、ちょっとものの見方を変えて踏み出さないといけないんですよね。
苦手だと思っている人とも話そうとしてみたり、やったことのない躊躇していた仕事を積極的にやってみたり。
そうすれば何か見えるかもしれません。
自分の決めたルールを一度破ってみること。
映画をみていてそんな勇気をもらいました。
一歩踏み出して、自分とちょっと違う見方をしてみるということが「幸せのレシピ」かもしれません。

キャサリン・ゼタ=ジョーンズはいままで大味な印象があったのですが、この作品ではとても繊細な印象を持ちました。
キャラクターが自分が共感しやすい正確だったからかもしれませんが、他の作品も見てみようかな。

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