「自虐の詩」 必要とされることこそが幸せ
予告でインパクトのある阿部寛さんのパンチパーマとちゃぶ台返しを観て以来、公開を心待ちにしていました。
堤幸彦監督×中谷美紀さん×阿部寛さんという息の合った組み合わせですから、期待度も高まります。
幸江(中谷美紀さん)は絵に書いたような不幸を背負っている女性。
幼い頃より貧乏暮らし、母親に捨てられ、父親は強盗で逮捕、上京してきても夜の商売に身をやつしてしまいます。
現在は内縁の夫イサオ(阿部寛さん)と暮らすも、夫は無職で乱暴者、幸江が稼いだお金もギャンブルにつぎ込んでしまいます。
イサオは無口で気難しく、気に入らないことがあると、せっかく幸江が作った食事をちゃぶ台ごとひっくり返してしまいます。
そのちゃぶ台返しの映像は見事。
「むん!」という阿部さんの裂帛の気合いとともに、ご飯茶碗やみそ汁、漬け物が宙を舞う。
あれはCGでしょうかね?
前半はそんなちゃぶ台返しや堤監督らしい小ネタの笑いなどが散りばめられ、またインパクトのあるイサオや健気な幸江、幸江に恋する中華料理店のマスター(遠藤憲一さん)のキャラクターなどで楽しめます。
けれどもこの作品は愛と生の物語でした。
幸江は幼い頃からずっと不幸な生活を送ってきました。
貧乏ゆえに友達からもバカにされたり、憐れまれたり。
今でも夫に虐待まがいの仕打ちを受けるにもかかわらず、それでも彼に尽くし続けるのは何故なのでしょう。
彼女は見たことのない母親に手紙を送り続けます。
「お母さんはなんで私を生んだのでしょうか?」
そう書き綴る彼女の心には、自分が生を受けた意味合いというのを感じられないという気持ちがあるのでしょう。
ずっと幸せではなかった、だったらなんで生まれたのか。
でも彼女がたぶん唯一生きていると感じるのが、傍若無人な夫を世話している時なのでしょう。
生活力のないイサオは自分がいなければ生きていけないという気持ち、そこに自分が存在していい理由を見いだしたのでしょう。
そして彼は学生時代の友人熊本さんを別にして、唯一彼女を全面的に受け入れてくれた人間。
東京時代生きる意味を失いかけていた彼女に希望をくれたのがイサオだったのです。
イサオは生来、無口で自分の感情を表現するのが苦手な男。
東京で幸江に「愛している」と告白したことも彼にとっては一世一代の勇気だった(組を抜けることよりも)に違いありません。
でもそれだけの勇気を振り絞るまでに、イサオは幸江を愛していたのでしょう。
大阪に来てからは愛する人を養っていくことができない、自分の生活力の無さを眼の当たりにします。
もどかしく思いつつも、それを表現できない彼の不器用さがちゃぶ台返しという行動に現れたのかもしれません。
愛する人を守れないイライラが表れていたのですね。
他人からみると幸江とイサオの二人は表面上ではとても不幸に見える。
貧乏で、夫は暴力的で。
でも二人はお互いをほんとうに必要としている。
だから幸江は夫に尽くしきれるし、イサオは暴力を働いてでも妻を守ろうとする。
物語の最後で相手が自分を必要と思ってくれていることを自覚します。
そう思ってもらえることこそが、幸せと感じるということ。
生きる意味を見いだせるということ。
幸江はラストシーンで「幸せ、不幸せなんて関係ない、生きていることに意味がある」といったようなことを独白していました。
それが彼女が母親に向けて出し続けた手紙に書いていた問いの答だったのでしょう。
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