本「マグダラのマリア -エロスとアガペーの聖女-」
「マグダラのマリア」の存在を知ったのは、小説「ダ・ヴィンチ・コード」ででした。
この作品では「マグダラのマリア」はイエスの妻であり、その子を宿したという設定になっています。
史実としてはそのような事実はありませんが、フランスには「マグダラのマリア」の墓があるという伝説はあります。
「マグダラのマリア」については新約聖書に記述があり、イエスの復活を目撃した一人とされています。
後年言われるように「マグダラのマリア」が娼婦であり、改心したというような内容は聖書にはありません。
キリスト教が広まるにつれ、さまざまな解釈が積み重なれて次第に「マグダラのマリア」像が形作られたことが、この本は時代時代の芸術作品での「マグダラのマリア」の描かれ方を追いつつ解説されています。
聖書においても使徒伝によって「マグダラのマリア」の扱いは違うようです。
イエスの復活の目撃者として「マグダラのマリア」は登場しますが、ルカ伝では彼女については非好意的に描かれているとのことです。
これは女性を下等な存在とみる初期キリスト教の考え方によるものとされます。
時を経るにつれさらに女性=穢れているという考えから「マグダラのマリア」には娼婦というイメージが付加され、娼婦だった女性が改心し清貧な生活をおくるようになったというストーリーが組み立てられてきます。
そして穢れた存在でも改心すれば聖なるものになれるというストーリーは、庶民の信仰には絶好であると教会はとらえ次第に「マグダラのマリア」の絵画や彫刻が教会などにも飾られるようになったということです。
イエスの母マリアはあくまで聖なる存在で庶民からみれば遠い存在であるのに対し、「マグダラのマリア」は聖であり俗、穢れであり清らか、愛と性といったような二面性を持つ存在であるため庶民に近しい存在であったようです。
「マグダラのマリア -エロスとアガペーの聖女-」 岡田温司著 中央公論新社 新書 ISBN4-12-101781-1
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