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2007年9月17日 (月)

本 「メンタルヘルス -学校で、家庭で、職場で-」

メンタルヘルスという言葉が普通に使われるようになって久しい。
十数年前、僕が会社に入った頃にはほとんどそんな言葉は聞かれなかったと思う。
ただそれはメンタル的に調子を崩してしまう人がいなかったわけではなく、それを皆が見ないようにしていただけだと思う。
今では社会もメンタルヘルスに関しての知識があがってきているとは思う。
ただまだ日本人全体的にはまだきちんと認識されていないのではないだろうか。
朝青龍や阿部前首相に対する批判しかり。
無責任だとか言われていますが、それはもう仕方がないことなのだ。
バッシングを受ける前にしていたこと(巡業休んでサッカーしたり、選挙で大敗したり)は非難されても仕方がない。
けれども彼らが追い込まれ休まなくてはいけなくなったことを批判してはいけないのだ。
やりたいけどやれない、そういうところまで追い込まれてしまったのだ。
動く為のエネルギーが枯渇している状態。
これは責めてはいけないのだ。
休んでただただエネルギーをためていく、今は彼らにはそれが必要なのです。

実は僕もひと月ほど会社を休んだことがあります。
休む時は産業医の先生にいいからまず休みなさいと言われました。
僕は休める状態じゃない、みんなが迷惑すると言いましたが、まずはそういうことを気にせず、まずはエネルギーをためなさいと言われました。
そして余裕ができてきたら、自分を見つめてみる。
エネルギーをため、自分自身を自覚・理解することが大切だと。

ストレスとは、自分への期待値が高ければ高いほど多くなり、周囲のサポートと見通し・見込みがあればあるほど小さくなるということです。
聞いてみるとなるほどと思えてくる。
メンタルの調子が悪くなる人はマジメな人が多いという。
周囲の期待、自分自身への期待が大きくなりそれに答えられなくなって悩む。
あまりそういうことは気にしないようにするのがいい。
言葉の通り、いい加減、がいいのだ。
また周囲の理解も大切。
いまだに体調を崩す人がいると根性がないとか責任感がないという人がいるが、こんなのは言語道断。
責任感があるから体調崩すんだって。
あとは見通し。
なるべくいろんな案件の道筋を早めにつける。
先行きが読めれば不安感は減る(僕はそういうクセをつけるようにしている)。

いろんなところ(この本にあるように学校、家庭、職場で)でいろんな人がメンタルの調子を崩している。
そこから回復するには本人の自己認識の側面も大きいけれど、周囲の理解もさらに大切なのだ。
上に書いたようにメンタルヘルスはかなり筋道たって語ることができる。
得体の知れないものではないのだ。
みんながそういう知識を持ち、普通に話せるようになるようになればいいと思う。

「メンタルヘルス -学校で、家庭で、職場で」 藤本修著 中央公論新社 新書 ISBN4-12-101873-7

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