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2007年7月15日 (日)

本 「フェラーリと鉄瓶」

イタリア車フェラーリのデザインを担当しているピニンファリーナでデザイン・ディレクターをされていた奥山清行さんの本です。
僕も仕事はデザイン関係の仕事をしていますが、メーカーの社内デザインセクションなので、デザインを細部に至るまで自分だけで行うことはありません。
というよりも、社内の開発者の意図を汲み上げ、外部のデザイナーにそれをディレクションをするという「翻訳者」のような仕事となります。
絵が描けることと、デザインができることはイコールではありません。
デザインというものには何かしらの意図があります。
この本の中で奥山氏が書いていたことで頷けるところがありました。
デザインの仕事のうち、1/3がいわゆるデザイン作業、そして残りのうち1/3は開発者などから情報をひきだすこと、そして1/3はデザインの意図を伝えることができること。
つまり世にデザインされたものを送り出すには、仕事の2/3は人とのコミュニケーションに関わるということです。
自分だけで絵を描いていても、デザインは開発できません。
デザインするということはコミュニケーションするということなんです。
ではコミュニケーションする力さえあればデザインできるかと言えば、そうでもありません。
やはり何かを表現できる力があったほうがいい。
それについても奥山氏が書いていますが、手を使って描くということはその行為自体がアイデアを生み出すことにつながります。
コンピュータが発達し、絵が描けなくても、デザインらしきものをすることはできます。
けれどもそれはあるパーツを組み合わせているだけの、コラージュであり、新しいアイデアが入っていないことがほとんどです。
手を使って描くことには偶然性があります。
思わず描いた線が何かを生み出す。
それを脳がフィードバックされ、新しいアイデアを生み出すきっかけとなる。
絵が描ける、線が引けるということはアイデアを生み出す行為なんですよね。
人の意図を汲み、自分の意図を伝えることができるようなコミュニケーションできる力、そして自分の中のイメージを表現できるスキルを持つこと、それがよいデザイナーとなるための能力なんですね。

「フェラーリと鉄瓶」 奥山清行著 PHP研究所 ハードカバー ISBN978-4-569-65643-4

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