男はロマンチスト、女はリアリストというのはよく言われる話ですが、この映画を観てもしみじみそう思ってしまいました。
男という生き物は別れたとしても、相手に未練タラタラなんですよね。
タイトル通り、この映画はほぼ男女の会話のみで構成されています。
結婚式のパーティで会話を始める男女。
男は冒頭より女が気になるようでちらりちらりと彼女を覗き見る。
女はそんなことを気にしないようなそぶり。
男は意を決したように、シャンパンで満たされたグラスを二つ持ち、彼女に話しかける・・・。
映画を観ている僕たちは、会話の中から、彼らは以前から知り合っていたことがわかっていきます。
お互いのことをよく知っていることがわかる、会話の掛け合い。
けれどもお互いに知らないことがあるということ、そして気持ちがいきちがうことへの苛立ちが感じられる会話。
二人とも大人なので、若い頃のように激したりはしない。
愛するという気持ちも、イライラとする気持ちもはっきりと言葉にはださない。
何か匂わすだけ。
わかります、こういう気持ち。
30代にもなると気持ちをはっきりと口に出すことに照れてしまったりします。
気持ちが動揺すること、そしてその動揺を相手に悟られるのが、大人っぽくない感じがして。
(アニメ版「時をかける少女」の真琴が素直に気持ちを表してワンワン泣くのを観て、なにか甘酸っぱい気持ちになるのはそのためですね)
二人ともお互いが出会ったことにとても動揺していますが、それを出さないよう出さないようにしています。
そんな雰囲気が端々にでているところが、大人の会話の感じが出ていてなかなか良かったです。
そんな照れみたいなものを捨てて、告白を男はします。
けれども元には戻れないことも彼は知っています。
それでも「今ならやりなおせるのでは」というロマンティックな気持ちは捨てられません。
女は扉越しの男の告白を聞こえないふりをして受け流します。
彼女は自分が老けていくことに対する怖さを持っています。
彼のことは気になる、愛してもいる。
今、男の気持ちを受けて幸せに暮らしていけるのか。
また同じ失敗を繰り返すのか。
そのとき男はいい、女である自分は、老けてしまった自分はどうなってしまうのか。
彼女にはそういう気持ちがあったのだと思います。
やはり女はリアリスト。
全編画面を二分割している手法(デュアル・フレーム)を使っているのが、話題になっていましたね。
観るまでは、その手法をとるととても観づらくなってしまうのではと危惧してました。
目がちらちらといったりきたりしてしまい集中することができないのではと。
観てみると、そんなことは全くないので驚きました。
というよりもデュアル・フレームという手法を上手に、そして多彩に使いこなしていました。
会話の機微が重要な場面では、左右のフレームで男と女の表情をしっかりととらえています。
また二人の現在と、過去の一場面を平行的に描写したりもします。
その他、現実の場面と想像上の場面を同時に映したり、微妙に時間軸をずらしてみたり。
ラストカットはデュアル・フレームでありながらシングル・フレームに見えるような凝ったカットにもしてましたね。
ハンス・カノーサ監督がこの新しい見せ方を見事に使いこなしているように感じました。
これが監督第一作というのですから、びっくりです。
「サンキュー・スモーキング」ではタバコ会社の広報マンだったアーロン・エッカートが、タバコを吸うは止めた方がいいよと忠告するのはおもしろかったですね。
アーロン・エッカート出演「サンキュー・スモーキング」の記事はこちら→

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