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2007年3月31日 (土)

「パフューム ある人殺しの物語」 生理的に受けつけなかった

井上夢人さんの小説で「オルファクトグラム」という作品があります。
視覚の代わりに、「臭いを見ることができるようになった」人物が主人公のミステリーです。
文章での表現になりますが、臭いを視覚化した表現はなかなかおもしろかったように思えました。
「臭いを見る」という荒唐無稽な設定でしたが、この能力が犯人探しにつながるおもしろく読めるミステリーでした。

臭い、香りがテーマになる「パフューム ある人殺しの物語」では、嗅覚で感じるものをどのように表現しているのかが興味を持って観に行きました。
正直、それほど香りを感じるような印象は受けませんでした。
その代わりにねっとりとした粘液質な感触は感じまして、僕はこの感覚がどうも生理的にあいませんでした。
舐めるようなカメラワーク、陰の多い映像、過度に汚らしい感じ、いい香りというよりは、腐った臭い、死臭をイメージさせられました。
冒頭の少女との絡みのシーンはまさにネクロフィリア的な倒錯感があり、このあたりから僕は拒否感が出てしまいました。
究極の香水も、良い香りというよりは、人間的なものを失わせる媚薬のようなものとして描かれています。
60年代ウッドストック風にラストの処刑台を人々が取り囲むシーンは、ドラッグでイッてしまっているヒッピーや妄信している新興宗教信者のような感じで、人間性を失ったフリーセックス状態になっていましたが、この状態が天国の状態なのかといわれると、違うんじゃないかと。
映画としてスキャンダラスさを狙った背徳的な映像なのかもしれないのですが、個人的には嫌悪感ばかりが引き起こされただけでした。
結局、キャラクターの誰にも共感できるわけでもなく、そして描きたい思想にも共感できることなく、最後まで居心地悪く過ごしてしまいました。
ラストもあまり救いがある終わり方ではなく、肌に汚物がついたままでいるような何か気持ちの悪い感じが残りつつ劇場を出ました。

トム・ティクヴァ監督作品「ラン・ローラ・ラン」の記事はこちら→

トム・ティクヴァ監督作品「ザ・バンク -堕ちた巨像-」の記事はこちら→

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2007年3月25日 (日)

「アンフェア the movie」 プラスの感情を糧に

昨年フジテレビ系列で放送され、評価が高かったドラマの映画化です。
連続ドラマの後にスペシャル版が放映され、映画はその後の話となります。
アメリカのテレビドラマばりの、毎回謎が明らかになればその先に新たな謎がという引きの強い展開が魅力の作品でした。

テレビドラマでは、殺人予告小説の入札、募金型誘拐事件など事件そのものがユニークであったところも見所でした。
今回の映画の事件は、病院立てこもり、そしてバイオテロ。
事件内容そのものは今までも映画や小説に取り上げられたようなものなので、それほど驚くような内容ではありません。
事件についてはもう少しひねってあったほうがテレビドラマファンとしては嬉しかったところですが、シリーズを見ていない一般のお客さんも足を運ぶことを考えると、あまり複雑な内容だとわかりにくくなるのかもしれないので、しょうがないところでしょうか。
途中「裏切り者は誰か?」という場面で、山路、斉木、三上の顔がしつこくでてくるのについても、やや説明調すぎるかなという感じも受けました。
これもテレビドラマ未見の方への配慮でしょうか。

ストーリーは「アンフェア」らしく、誰も信じられない状況で、精神的に追い込まれ、肉体的にも傷つきながら、娘を救うために雪平夏見の活躍が見所です。
真の犯人が誰かわからない状況でのハラハラ感、二転三転するストーリーはテレビシリーズの良さを保っているように思えました。
テレビシリーズと異なる点は雪平が闘う原動力。
テレビでは雪平刑事の原動力は父親を殺した犯罪への復讐心、そしてその強さは他人を信じられない、自分しか信じられないという気持ちからきています。
「目には目を、アンフェアにはアンフェアを」という番組のコピーにもあったとおり、人を信じないというマイナスの力、ニヒリズムが彼女のパワーだったのです。
そして雪平はテレビシリーズで周囲の人々に裏切られ続けました。
誰も信用できず、傷ついた彼女を救ったのが、娘の美央ちゃん。
自分のことを好いていないと思っていた娘が、ほんとうに自分のことを愛してくれているという理解した雪平は、それだけでダークサイドから救われたのだと思います。
まさに雪平にとって娘は自分を救ってくれた天使のような存在なのでしょう。
この映画ではそこで彼女が得た、娘を守りたいという母親としての気持ち、プラスの感情を源にして闘います。
雪平はテレビシリーズではマイナスの感情を原動力としていたのが、プラスの感情を糧にしています。
復讐には復讐をと考えていた彼女が、最後真犯人に復讐の連鎖を続ける気かと問いただします。
そこには正義はない。
弱くても虐げられたといって、アンフェアに対してアンフェアで抵抗しても何も解決しない。
テレビシリーズ、映画の犯人たちは自分たちが虐げられてきたことに対する復讐で犯罪を起こします。
けれども、幼く、そしてかよわいのにも関わらず、死ぬかもしれない状況においても母親を信じて待っている美央ちゃんは、そんな犯人たちよりも強い力を持っている。
雪平はその美央ちゃんの力を強さを知ったのです。

美央ちゃんを演じている向井地美音ちゃんはテレビシリーズ同様、健気な感じが観ていると守りたいという気持ちを引き起こさせますね。
雪平役の篠原涼子さんも相変わらずスタイリッシュでかっこいいです。
病院に潜入したときの、水に濡れたブラウスはセクシーでもありました(男性客へのサービスか?)

「雪平刑事、最後の事件」が映画のコピーだったように思いましたが、ラストはまだ引きがあるようなニュアンス。
まさにアメリカのドラマの終わりみたいで、まだ続きそう。
ファンとしては、嬉しいかな。

テレビスペシャル「アンフェア the special -コード ブレーキング-」の記事はこちら→

原作小説「推理小説」の記事はこちら→

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2007年3月24日 (土)

「トゥモロー・ワールド」 子供は希望

先日観た「パリ、ジュテーム」の一遍を撮っていたアルフォンソ・キュアロン監督の作品です。
公開時観ようと思っていたのですが、思いのほか早く公開が終了してしまったので、見逃してしまっていた作品でしたが、DVDで観賞しました。

長回しがすごいという話を聞いていたので、そのあたりを気にして観てみましたが、やはり迫力がありました。
主人公を追うように手持ちのカメラが移動していくので、その場に居合わせているような臨場感があります。
思わぬ方向からの銃撃や爆発で、思わず首をすくめてしまうような感じがありました。
単純に俳優の動きを追っていくだけではなく、弾着、爆発などもあるので、失敗を許されないスタッフの緊張感はものすごかったことでしょう。

「ハリー・ポッターとアズガバンの囚人」の時もそうでしたが、全体的に陰鬱とした色調の映画です。
その色調が子供を失ってしまった人類の閉塞感を出していたと思います。
月並みな感じですが、子供というのはやはり希望なんですよね。
自分たちが何かやってきたことを何か残していきたいという気持ちは、人間だけが持っているもののような気がします。
自分たちがいたことを受け継いでくれる存在が子供たち。
その存在がなくなったとき、大人たちは袋小路に入ってしまったような閉塞感を感じてしまうのでしょう。
誰かが受け継いでくれるという希望が、人間が何かをしようとするときのモチベーションになっているのかもしれません。
そのモチベーションがなくなったとき、人間を突き動かすエネルギーは未来へではなく、同じ仲間である他の人間へ向けられてしまったのが、映画で描かれている世界なんでしょうね。
その世界に18年ぶりの子供が産まれたとき、大人たちは自分の命を犠牲にしてでも子供の命を守ろうとする。
原題は「CHILDREN OF MEN」。
この場合のMENは男性というよりは人類という意味だと思うので、直訳すると「人類の子供たち」でしょうか。
物語のラストに複数形でCHILDRENとタイトルが出て、その上に子供たちの笑い声がかぶさってきたので、この世界に光明あるということが暗示されたのは救われた気持ちがしました。

子供たちが産まれなくなった原因や、それが解決する理由が全く描かれていないことが気になる方もいらっしゃるかと思います。
ただ主人公であるセオはただの一役人ですので、そんな原因を知る由もないわけです。
主人公が知り得る情報しか描かない点と、主人公とともに動くカメラと相まって、観ている側は主人公と同化できるのだと思いました。
うまい方法だなと思います。
前半の陰鬱とした気持ち、赤ちゃんが産まれてから自分を犠牲にしてでも守ろうとするセオの気持ちにすんなりと入ることができました。

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2007年3月21日 (水)

本 「ラカンの精神分析」

講談社現代新書のシリーズは好きでよく読むのですが、このシリーズのいいところは専門的な内容でも初心者が読むのを前提にわかりやすく書いてあるところだと思います。
なので大抵はすらすらと読めたりするのですが、この本はしんどかった。
というより全く歯がたたなかった感じです。
ラカンという難しい題材だったからだと思いますが、この本を読むにあたっては精神分析や哲学に関して専門的な知識がある程度ないと厳しいかなと思いました。
ところどころなるほどなというところはあったのですが、誰かに解説できるほど理解できたわけでもなく・・・。
久々に読むのがしんどかった本でした。
とはいえ、興味がある分野でもあるので、もう少し簡単な本からチャレンジしてみようかと思います。

「ラカンの精神分析」 新宮一成著 講談社 新書 ISBN4-06-149278-0

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「パリ、ジュテーム」 多様性のある街、パリ

パリ、前に一度だけ行きました(仕事関係でしたが・・・)。
行ってみて、この街の人たちは博物館の中で暮らしているようだという印象を持ちました。
歴史的な建物がそこらへんに建っています。
そしてそこは生活の場面で今でも使われているんですよね。
また、とてもモダンな建物も同じ街の中に普通にあったりもします。
他には思いのほかいろいろな人種の方が暮らしているということも意外でした。
ヨーロッパ系の方ばかりかとなんとなくイメージしていたのですが、アフリカ系、アジア系とさまざまな人種の人がパリで生活しています。
東京は多様性という意味では人種的側面は少ないですし、歴史的にも明治維新、太平洋戦争などで様相
は連続性をあまりもちません。
ニューヨークは人種的多様性はあったとしても、やはりヨーロッパの都市と比べると歴史の浅さがあるように感じます。
そう点で言うと、パリは歴史的、人種的にも幅広い多様性のある特別な街だと思います。

「パリ、ジュテーム」は、そのパリを舞台にした18人の監督の「愛」をテーマにしたショートムービー・オムニバスです。
上に書いたようなパリの多様性を表しているかのように18人の監督は、人種も年齢も経歴もさまざまな方ばかり。
「パリ」を舞台にすること、「愛」をテーマにすることだけが約束で撮ったように思われますが、「愛」もそれぞれの監督の解釈(男女の愛はもちろん、親子の愛、パリへの愛など)が入っているので、それぞれ個性がでていたように思えます。
一遍一遍がかなり短いのでもの足りないものもあったりするのは、いたしかないところでしょうか。

18人もの監督なので、全部の作品が好きというわけではないのですが、僕が気になったショートムービーをいくつかあげさせていただきます。

●セーヌ河岸(監督:グリンダ・チャーダ)
 まったく知らない監督さんでしたが、「ベッカムに恋して」の監督さんだったんですね。
 アラブ系の若い女性に恋してしまうフランス人の男の子がとても優しくていい。
 政治問題や宗教問題で何かと対立してしまうアラブ系とアングロサクソン系。
 けれども恋してしまう気持ちにはそんなこと関係ないんですよね。
 幸せな気分になります。

●16区から遠く離れて(監督:ウォルター・サレス)
 またまた知らない監督でしたが、「シティ・オブ・ゴッド」の製作を手がけたブラジルの方です。
 移民のアナは夜明けとともに自分の赤ちゃんを託児所にあずけ、毎日電車を何度も乗り継ぐほど離れた場所のベビーシッターの仕事をしています。
 仕事先でも自分の子供にあやす時と同じ子守唄を歌うときの、アナの表情が良かったです。
 移民問題にもやんわりと触れているところもいいです。

●バスティーユ(監督:イザベル・コイシェ)
 妻と別れようと決心した男が、不治の病に妻がかかっていることを知り、もう一度妻を恋するという物語。
 せつない、けれど重すぎない。
 邦画や韓国映画だといかにもお涙ちょうだいになりそうな題材ですが、盛り上げすぎない語りの淡々としているのセンスがいいです。
 亡くなった妻と同じ色のコートを着た女性を見たときの、夫の表情がせつないです。

●モンソー公園(監督:アルフォンソ・キュアロン)
 ようやく知っている監督(笑)
 最初からほぼワンカットで最後まで。
 ショートムービーらしく落ちが効いています。
 ですのでお話は書きません(ご容赦)。

●フォブール・サン・ドニ(監督:トム・ディクヴァ)
 「ラン・ローラ・ラン」、そして公開中の「パフューム」の監督さんです。
 ナタリー・ポートマンが出演しています。
 これも落ちが効いている系なので、お話し書けません。
 ナタリーの恋人役は盲人であるという設定ですが、彼の不安な気持ちが短い時間の中でながらよく描かれていると思います。

「セーヌ河岸」のグリンダ・チャーダ監督作品「ベッカムに恋して」の記事はこちら→

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2007年3月18日 (日)

「ハッピーフィート」 か〜わ〜い〜い〜〜

「ドリームガールズ」に続いて同じ日に観賞しました「ハッピーフィート」です。
今日は図らずもミュージカルデーになってしまいました。

予告で観た、子供ペンギンのフワフワ具合が気になっていたんですよねー。
気持ち良さそうで。
主人公マンブルの子供ペンギン時代は、まん丸くてフワフワしてそうで触りたくなる感じでした。
かわいいなあ。
男の僕でそうですから、女性の方はたまらないんではないでしょうか。
思いのほか子供時代が短かったので、残念です。
ラテンなノリの5匹のペンギン、アミーゴズもよかったです。
大人のペンギンさんはややリアルっぽくてかわいくなかったですが、アミーゴズはややデフォルメされていたためアニメキャラクターっぽいってちょうどいい感じ。
JRのsuikaのペンギンのような感じもしましたが。
人の話をまったく聞いていないラテンな能天気さは、たまりませんでした。

ダンスシーンもCGとは思えないほどの迫力。
モーションキャプチャーでやっているのかな?
ただ予告でいいところ見せすぎましたね。
もっとすごいことになっているのかとやや期待が過剰すぎた感じもありました。

ストーリーはちょっと詰めが甘い感じです。
ちょっと故郷を出てはすぐ戻り、また出てははすぐ戻りという感じだったので、主人公マンブルの成長みたいなところがやや端折られ気味な感じがしました。
またラストのまとめ方もちょっと強引な気がしました。
急に大人向けのようなテーマ性を持ってこなくてもいいんじゃないかな。
言葉が通じなくても、ボディランゲージで気持ちは伝わるってことなのでしょうけれど。
あまりちゃんとしたテーマなど用意しなくても、割り切って子供も楽しめるごキゲンなダンスムービーにしてもらった方がもっとノレたかもしれません。

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「ドリームガールズ」 夢を追う者、夢に破れる者

夢とは独善的なものだと思います。
夢を叶えるためには当然のことながらそもそも叶えるために自分の力、実力を持っていなくてはいけないですし、実現するためのチャンスを得る運も必要です。
けれども実力があり、運もあったからといって夢が叶えられるわけではないと思います。
自分の夢が、他の人の人生や夢とぶつかった時、利己的に振る舞えるか(悪になれるか)というのが夢を叶えられるかどうかにかかっているように感じます。
大抵の人は、生きているうちに子供の頃の夢を何かしら喪失していると思います。
夢はあっても、さまざまな状況でどうしようもなくて夢を諦める時があります。
夢を諦めるのは苦しい。
けれどもその苦しさを体験することによって、子供は大人になると思います。

ジェニファー・ハドソン演じるエフィーは歌唱力では「ドリーメッツ」のメンバーの中でもトップ。
本人もそれを知っていて、いつかは歌手として大成しようという夢を持っています。
そして自分たちをプロデュースしてくれているカーティスの愛も得たいという夢もあります。
順調にその夢が叶いそうだと思っていた時、エフィーは愛するカーティスから、リードヴォーカルをディーナ(ビヨンセ)にすると告げられます。
そして同時に彼の愛もディーナに奪われたことを知ります。
カーティスからすれば「ドリームズ」という商品をより売っていくためには、ルックスがいいディーナの方がよかったのです。
エフィーの夢は、ショ−ビズの世界でのし上がりたいというカーティスの夢とバッティングしたのです。
そして利己的に徹することができたカーティスに破れました。
エフィーが「ドリーメッツ」を去るときのソロの歌はもの凄く感情が入っていて見事でした。
実力もあり、チャンスもあったのにも関わらず、自分ではどうしようもない不条理(と彼女が感じている)によって、手に入れかけた夢が奪いさられていくときの戸惑い、憤りが声だけでなく、エフィーの全身から感じられました。

それではディーナの夢はなんだったのでしょう。
エフィーほど有名になるということに固執していたようには思えません。
彼女はどちらかというと好きな仲間といっしょに歌を歌い続けられることが夢だったのではないでしょうか。
そして愛する人と暮らし、その人の子を得ること。
ディーナは自己主張が強い性格ではないように見えます。
歌もカーティス曰く特徴がない、だから演出しやすい。
どちらかというとおとなしいディーナが、強く感情を出す場面が二つあり、まずは最初の場面は、先に書いたエフィーが去るシーンです。
我が儘な振る舞いをするエフィーに対して、「こうなったのはあなたのせい」と言います。
これはみんなでいっしょにやっていられる状況(これはディーナの夢)を破壊したエフィーに対する憤りです。
エフィーの夢、ディーナの夢、カーティスの夢がぶつかり合うこの場面は屈指の出来だと思います。

ディーナ自身はトップスターになることが夢ではなかったように思います。
トップスターとなったのは、好きな仲間たちと歌を歌い、好きな人の希望をかなえるためにふるまってきた結果でしかないのです。
けれどもその夢もカーティスの夢といつしかバッティングするようになり、エフィーほど瞬間的ではないですが、徐々に夢が破れていきます。
夢が破れた時を自覚したのが、ディーナの感情が強く出ている第二の場面。
ソロのレコーディングをしているとき、ガラスの向こうにいるカーティスに向かって歌っているようなシーンです。
このシーンのビヨンセの歌声も見事でした。

エフィーは栄光を得ることができなかった。
けれども愛する人の子を得ることはできた。
ディーナは栄光を得ることができた。
けれども愛する人の子を得ることはできなかった。
エフィーも、ディーナも夢が破れて、やっと人にやさしくなること許容することを学びます。
自分の痛みを感じ、そして人の痛みを感じられることができるようになった。
そのとき初めて二人は許し合えたのだと思います。
それは大人になったということかもしれません。

そういう意味ではカーティスは最後まで子供だったのかもしれません。
自分が欲しいものだけをひたすら追っていく。
周囲のことを考えない独善性は、子供っぽさかもしれません。
けれども最後にメンバーたちが去っていった時、彼も夢に破れるのです。
最後のシーンで、エフィーの子が自分の子だと気づいたようにみえるカーティスの表情は、夢破れ大人になるようなステップを踏み出す感じもうけました。

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本 「図書館危機」

有川浩さんの「図書館戦争」シリーズの第三弾です。
次の巻で完結なんですね。
前巻ではどちらかというと主人公よりもまわりのキャラクターのお話に寄っていましたが、今回は主人公郁に中心がもどります。
あこがれの王子様の正体がわかり、恋を自覚した郁はどうなるのか・・・。
ジュブナイルっぽい甘酸っぱさはこのシリーズの継続トーンですね。
有川さんはご自分であとがきで、ベタ甘とこの作品と評していますが、僕もこういうのは好きです。
中高校生の頃読んだジュブナイルものみたいで。
なにかコバルト文庫の新井素子さんの作品のような気もします。
ぶっきらぼうな憧れの人に頭をくしゃくしゃされる絵というのは、「星へ行く船」の多一郎とあゆみの感じに似ているような気がします。
なんかちょっと甘酸っぱくて、こそばゆくなる感じいいです。
あまりこういう小説ないので、たまにはこういうのも気軽に読めてハッピーになれるのでいいですね。

図書館戦争シリーズ「図書館内乱」の記事はこちら→ 図書館戦争シリーズ「図書館革命」の記事はこちら→ 図書館戦争シリーズ「別冊 図書館戦争Ⅰ」の記事はこちら→ 図書館戦争シリーズ「別冊 図書館戦争Ⅱ」の記事はこちら→ アニメ版「図書館戦争」の記事はこちら→

「図書館危機」 有川浩著 メディアワークス ハードカバー ISBN4-8402-3774-1

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2007年3月11日 (日)

「容疑者 室井慎次」 勇気はひとりの人間に一度しか与えられない

ご存知「踊る大捜査線」のスピンアウトです。
テレビシリーズで重要な脇役の一人であった警察キャリアの室井管理官が本作の主人公になります。
息の長いシリーズになりましたよね。
今でこそスピンアウト企画も日本では普通になってきましたが、その端緒はこのシリーズかもしれません。
ずっとこのシリーズで脚本を担当していた君塚良一氏が本作の監督になります。

キャリア組の思惑に振り回される現場というのはテレビシリーズでもずっと題材になっていましたが、本作ではそこがメイン。
テレビシリーズで青島刑事との間に結ばれた約束を果たすため、室井管理官は「現場」の力を信じ、彼らと共に進もうとします。
けれども警察官僚たちの権力争いや弁護士たちの思惑に巻き込まれて、人身御供のように犠牲にされそうになります。
それでも室井管理官は自身の思いを曲げない。
それは一緒に時間を共有した湾岸署の仲間たちとの間に築いた信頼をなくすことになるから。
柄本明さん演じる津田弁護士の台詞がよかったです。
「勇気はひとりの人間に一度しか与えられない。室井さんはそれを知っているのではないか」
生きていると、ときどき思いを曲げさせられるような場面に出くわし、勇気を試される場面はあります。
ふんばる勇気は一回しか使えない。
その勇気を手放してしまうと、次からはもうそれは踏ん張り棒にはならないんですよね。

スピンアウト企画第一弾の「交渉人 真下正義」の方はどちらかというとアクションサスペンス映画という感じで見応えありましたが、それと比べると本作は派手さはありません。
けれども上に書いたようなテーマがあったので見ていてももの足りない感じはありませんでした。
さまざまなテイストを吸収できるのがこのシリーズの強みなのかもしれません。

ところどころやや詰め込みすぎてストーリーが枝葉にはいってしまうところはちょっと気になりました。
ラストもやや冗長気味。
室井慎次の過去の恋人とかはあんなに長い時間をとらなくてもいいんじゃないかと思いました。
確か公開時にこの恋人が書いたという設定の日記が本屋で発売されていたと思いますが、ここらへんにフジテレビ流の商売っ気を感じてしまったりしました。
「踊る大捜査線 THE MOVIE2」もちょっと脱線気味のところもあったので、詰め込み過ぎなのは君塚氏のクセなのかもしれません。
このシリーズのファン的にはいいのかもしれませんが。

弁護士役の田中麗奈さん、良かったです。
小憎らしい灰島弁護士を相手に最後にしっぺ返しを食らわす時はかっこよかったですね。
その小憎らしい弁護士灰島はその後テレビのスペシャルで主人公になりました。

「踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!」の記事はこちら→ 「踊る大捜査線」スピンアウト企画のスペシャルドラマ「弁護士 灰島秀樹」の記事はこちら→ 君塚良一監督「誰も守ってくれない」の記事はこちら→

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本 「共感をつかむプレゼンテーション」

仕事柄プレゼンテーションをすることが多いです。
もともとは人前でしゃべるのが苦手だったのですが、会社に入ってずっとやっていれば少しは慣れるわけで、自分なりのスタイルができあがってきました。
そうなると、最近は若手のプレゼンにいっしょに出たときなど、まだまだ経験値の少ない彼らにいろいろと注文をつけたくなったりします。
ただ自分の中にあるものも経験の蓄積だけで、体系だってなかったりするわけで、自分でも整理をしようとたまたま見かけたこの本を手に取りました。

本の最初の方に書いてあった「プレゼン」の意味のところでなるほどと思いました。
英語の辞書を調べるとpresentationの意味は「発表」というのと「贈呈」というのがあります。
presentがもとなので当たり前と言えばそうなのですが、いわゆるプレゼンテーションというものの意味というのは、「アイデアのプレゼント」だと著者は書いてありました。
読んでなるほどと膝をうちました。
プレゼンテーションは自分の考えだけを話しては成功しません。
相手へのアイデアのプレゼントだというスタンスにたって、相手のことを思いやって話す。
恋人にプレゼントをあげるとき、自分の好みのものをおしつけたりはしませんよね。
相手の好きなものを調べ、どういうふうにすれば喜んでもらえるかというのを考えるものです。
ビジネスのプレゼンテーションも同じ。
相手をどれだけ思いやれるかが成功の秘訣だと思います。

その他にも「エレベーター・トーク」や「KISS(Keep It Short and Simple)」などプレゼンテーションをする際の心構えや、資料の作成・準備の仕方などがわかりやすく書いてあります。
プレゼンテーションに不慣れな方、あまり好きではない方にお薦めできる本です。
とても読みやすく書かれていますので、肩の力を入れずに読めると思います。

「共感をつかむプレゼンテーション」 菅野誠二著 日本経団連出版 ソフトカバー ISBN4-8185-2611-2

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本 「酸素男爵」

タイトルの「酸素男爵」という語感に魅かれて古本屋で購入しました。
なんかSF的センスが感じられるタイトルじゃありませんか?
読んでみると、「酸素男爵」という人物が出てくるわけではありませんでした。
いうなれば、「酸素男爵」とは酸素を取引している利権集団みたいなものです。
「機関投資家」みたいなものでしょうか(これも「家」とあると人のような感じも受けますが、ほんとは「機関」ですからね)。
この小説の背景は月や火星が地球化されようとしている時代。
地球から独立しようとする月の国家、地球の軌道上にある集団、そして地球側も先進国と発展途上国で思惑が違う状況です。
主人公ガルバーニッホはそれらの思惑に翻弄され、月から軌道上、地球へと逃亡を続けていきます。
あまりでしゃばりすぎない程度に未来のテクノロジーを描いているのは、センスを感じます。
ただ後半は、なにか話が収集つかなくなっている気がしました。
主人公の意識のコピー(意識をシミュレートしたコンピュータ)であるジイツウなどはなんででてきているのかよくわかりません。
主人公の運命の行き先も曖昧なままで、何か消化不良にも感じました。
細かなアイデアはセンスあるような気がしますが、ストーリーテリングがもうちょっとというところでしょうか。

「酸素男爵」 グレゴリイ・フューリイ著 早川書房 文庫 ISBN4-15-011032-8

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「リンダ リンダ リンダ」 思い出す、不器用だったあの頃

忘れていた高校生の頃を思い出しました。
そういえばブルーハーツも、ジッタリンジンも僕の高校生の頃でした。
バンドメンバー四人が文化祭の練習のため、徹夜をしたとき学校の屋上でメンバーのひとり望が言った言葉に思わず共感しました。
「こういうときのことは忘れないんだよね」

でてくるみんなの会話の間がとてもいい。
人はみんな不器用なんですよね。
普段自分が話していても、映画の中の会話のように、するすると言葉はでてこない。
あとで思えば、ああ言えばよかった、なんであの時あんなこと言っちゃったんだろうと思うことは、よくあります。
そんな風に思うだろうと思うと、言葉を出すのが、表現するのが何かもどかしく、臆病に思ったりします。
ほんのちょっと言葉をだすのにも、なにか考えてしまうというか。
高校生の頃はなおさら。

バンドのメンバー恵が練習場所に困って、バンドをやっている元カレに相談する時。
恵のことが心配で、元カレはなんだかんだと世話をやこうとします。
「練習するんだからさー、でてってよ」
恵はつっけんどんにこう言いますが、なにか照れをかくそうとする不器用さがかわいい。
文化祭で、恵と喧嘩別れしたバンドメンバー凛子が心配で様子を見に来たときの、二人の会話も。
 凛子「遅れてきたのが悪いんだからさー」
 恵 「わかってるよ」
 凛子「大丈夫?」
 恵 「うん、・・・大丈夫じゃないよ」
 凛子 「・・・がんばってよ」
 恵 「うん」
二人とも不器用なんだから!
でもなんだか微笑ましい。
みんな、自分のことを思い、相手のことを思い、考えながらしゃべってる。
みんなの口から出てくる言葉は、とても不器用でもどかしさがあるのだけれど、何かやさしさの感じる間がとてもよくでていた感じがしました。

忘れていてもふと思い出す、なんだか不器用だったあの頃。
ブルーハーツの歌がとても合っていました。

山下敦弘監督作品「天然コケッコー」の記事はこちら→

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2007年3月10日 (土)

「LOST シーズン1」 1話を見てしまえば中毒化必至

お正月休みから見始めて、先日シーズン1を全部見終えました。
今までアメリカのテレビドラマシリーズって全く見なかったんです。
「24」が話題になった時もなんとなく乗り遅れてしまってそのまま。
たまたま年末に雑誌「Cat」や「Title」でDVD特集をしていた号で「LOST」の評価が高かったので、なんとなくレンタルしてみました。

いやー、はまってしまいました。
シーズン1でもDVDが10巻以上なので、一気に観るわけにもいかず、毎週末1巻づつクリア。
次から次へと謎が現れてくる展開に、週末になるたびドキドキしながら見てました。
ほとんど中毒のよう。
さすがにこのシリーズに関しては内容について触れてしまうとヤボなので、こちらでは触れませんが、一度ご覧になるのをお薦めします。
第一話だけでも見れば、中毒化するのは必至です。

とはいえ、内容に関係ない見所を。
まずはでてくる登場人物たち。
この物語は現在進行形の遭難した島でのサバイバルと、登場人物たちの過去のフラッシュバックがで構成されています。
島での彼らの行動と、それぞれの過去が絡み合うように進む構成は見事です。
ストーリーが進むにつれ、キャラクターが深みが増していき、それぞれの登場人物への感情移入が高まっていきます。
一人一人の人物を丁寧に描いていけるのは、2時間ぐらいの映画では厳しく、テレビシリーズならではの特徴なのだなと改めて思いました。

映像的にもかなりクオリティが高くてびっくりしました。
日本の場合はテレビシリーズは、製作費・製作時間の点からもどうしても映画に比べてクオリティが下がらざるをえませんが、「LOST」はヘタな映画並のクオリティはあります。

トム・クルーズが「M:i:3」の監督にJ.J.エイブラムズを指名した時、全然「LOST」のことを知らなかったので、「誰それ?」っていう感じでした。
アメリカで話題のテレビシリーズ「LOST」のプロデューサーだとそのとき聞いたのですが、テレビの人ですか・・・、ちょっとスケールダウン?という印象を持ちました。
すみません、エイブラムズさん、こんなドラマ作るなんてすごい方です。

レンタル店ではシーズン2のレンタルを開始してます。
AXNでもシーズン2まで一挙放送がはじまり・・・。
しばらく「LOST」中毒は続きそうです。

「LOST シーズン5」の記事はこちら→ 「LOST シーズン4」の記事はこちら→

「LOST シーズン3」の記事はこちら→ 「LOST シーズン2」の記事はこちら→

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本 「ジャズの名盤入門」

映画についてはいろいろブログで書けるくらいには思い入れや知識もあるのですが、音楽はあまり詳しくはありません。
というよりあまり積極的に聞く感じではありませんでした。
けれども、昨年あたりからは「のだめ」の影響も合ったりしてクラッシックを聞くようになり、なかなか良いなあと思うようになりました。
やはり食わず嫌いはいけないと思い、今度はジャズでも聞いてみようかと思い立ちました。
でも、ジャズってとっつきにくい感じありませんか?
どこから聞いていったらいいのかよくわからないということで、入門本を購入してみました。

ですが、やはり読んでみただけじゃわからないですねえ(苦笑)。
こういうものは聞いてみないと。
いくつかiTunesで調べて聞いてみたりしたのですが、同じジャズというカテゴリーでも思いのほか違うものだと改めて思いました。
いくつか聞いてみると自分の好みなどもなんとなくわかってきました。
この本では定番のジャズアルバムを丁寧に解説しているので、調べるにしてもあたりをつけるには便利かもしれません。

本を読んで感心したのは、50枚ものアルバムを解説する著者のボキャブラリの豊富さ。
聞いてみなければわからない音楽を、言葉だけで一枚一枚のアルバムを解説するのはたいへんですよね。
ワインの味を言葉だけで表現するソムリエのようにさまざまな比喩を使って、それぞれのアルバムを表現しています。
僕もブログで映画のことを書いていて、時折自分のボキャブラリのなさにもどかしさを覚えるのですが、こういう本を参考にすればもっと上手に伝えられるのかもしれませんねえ。

「ジャズの名盤入門」 中山康樹著 講談社 新書 ISBN4-06-149808-8

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「蒼き狼 地果て海尽きるまで」 大味な作り、ある意味誰でも観やすいともいえる

いわゆる日本の大作映画という感じですね。
オールモンゴルロケということで、それこそ地が果てるまでどこまでも広がる平原、広大な自然自体が持つ迫力というものを感じました。
また合戦シーンは、大規模に人を投入した撮影のようで、最近多く見られるCGで人を増やしているような戦闘シーン(この作品でも使ってはいましたが)に比べ、生身の迫力はあったように思えます。

映像という意味ではそれなりに楽しめたのですが、どうも乗り切れなかったのは、俳優さんたちの芝居のクドさにちょっと辟易してしまったからでしょうか。
どの俳優さんがというよりも皆さんが共通してクドい芝居だったので、監督の指示なのかもしれません。
主演の反町さんのややオーバーめの演技は、かつての時代劇(これも時代劇なのですが)か大映ドラマのようでやや古くさい感じがしました。
妻と抱き合うシーンは、「はっしと抱き合う」って脚本のト書きにあるようなまんまの演技。
狙っていたものかもしれませんが・・・。
バックに広大な自然、大規模なモブがあって、画面的には背景に迫力を感じるので、役者の芝居も派手めにいかないとかすんでしまうという計算があったのかもしれません。
あと脚本も説明的でかつクサい台詞が多く、ここにも古くささを感じてしまいました。
ストーリーも時間軸にしたがって単純に経過していくのみなので、凝っていないともとれます。
安心して観れるということかもしれませんが。
僕が観に行った回は、若い人はほとんどいなくて、50、60代の年配の方が多かったようでした。
題材的にもそういう方をターゲットにしているのかもしれません。
そういう意味では時代がかった大げさな演技、単純なストーリーラインというのは狙っていたことなのかもしれないですね。

あと演技関連では、棒読みっぽい台詞回しをする方が何人かいたのも気になりました。
反町さんをはじめベテランの俳優さんはどちらかというと力を入れた演技をしていたので、棒読みの台詞がそれに絡んでくるとやや違和感を感じます。
冒頭の子供の頃のシーンは、池松壮亮君以外は学園祭のお遊戯のような演技でがっくりしてしまいましたね。
最近は子役でも上手な方が多いので、なんでこんなキャスティングにしたのか疑問が残りました。

クラン役のAraさんは新人の方のようですが、兜をとったときに現れた美しい顔にときめいてしまいました(笑)。
たどたどしい台詞回しは新人なので仕方ないですかね(美人には甘いなあ)。

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2007年3月 4日 (日)

「さくらん」 むせ返るような女の臭い・情念を感じる

写真家蜷川実花さんの初監督映画です。
蜷川さんの写真はきちんと見たことがないのですが、予告編で鮮やかな色使いをしているのが印象に残って気になったので観に行ってきました。

まずは全編を通してレイアウトされた画面の構図、溢れるばかりの大胆な色使いに強い個性を感じました。
さすが実績のある写真家だと思います。
今まで映画ではあまり見たことの色調に思えました。
チャン・イーモウは「HERO」でとても鮮やかな色を使っていましたが、あれは濁りのない原色の世界。
「さくらん」ははっきりとしてコントラストがある強い色を使っていましたが、ややダーク。
この華やかさと同時に併せ持つ暗さで、女性のもつ情念の深さみたいなものがでていたような気がします。
(ふと道成寺の清姫のような女性の業を思い出しました)
僕は男なので、そのあたりの女性の心理などは想像するしかないのですが。
女性の方はこの映画をどう感じられたのでしょうか。

観ながらふと思ったのですが、先日観賞した「マリー・アントワネット」と「さくらん」には共通性があるなあと思いました。
「マリー・アントワネット」はソフィア・コッポラ監督の作品。
ソフィア・コッポラのお父さんは、あのフランシス・コッポラ。
蜷川実花監督のお父さんは舞台演出家蜷川幸雄氏。
お二人とも有名な演出家の娘さんなんですね。
そして「マリー・アントワネット」も「さくらん」も時代物であり、そして時代考証にとらわれず大胆に個性を発揮しているところも共通しているなと思いました。
音楽の使い方も大胆で、片やヴェルサイユ宮殿のバックにポップスを流し、片や桶屋の背後に椎名林檎が歌います。

もちろんその表現はそれぞれの個性がでていると思います。
「マリー・アントワネット」はパステルカラーの色調、軽めで明るいポップス、デコラティブな小物・背景で全体的にガーリーな雰囲気。
まだ女以前の少女もしくは童女といった感じを受けます。
性の臭いを感じないというか。
「さくらん」は先に書いたように原色の強い色調、椎名林檎の音楽、ゴージャスな小物・背景で全体的には頽廃感も漂う雰囲気を感じます。
しっとりと落ち着いた女性ではなく、性を知り少女を卒業したけれども大人ではない(中森明菜の歌のようだ)といった感じでしょうか。
花魁なので当然なのですけれども、女の臭い・情念を感じる雰囲気でした。
この臭いたつような感じが、男性である僕はむせ返るようなちょっととっつきにくい感じはしたのですが、女性監督でなければだせない感覚なのかなと思いました。
男性が女性だけの世界を描写しようとすると、理想化した女性像で描いてしまうかもしれません。
「SAYURI」と比較してみてみてもおもしろいかもしれません。

ストーリーに関していうと、それほどびっくりするような展開ではありません。
それでも、映画監督を本業としていない、そして女性であるという点からも、既存の映画にとらわれない感じがとても良かった気がします。
次回作もチャレンジャブルな作品を期待したいと思いました。

ソフィア・コッポラ監督「マリー・アントワネット」の記事はこちら→

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2007年3月 3日 (土)

「ゴーストライダー」 キャスティングに疑問

アメリカンコミック原作の映画は好きなので、早速観に行ってきました。
マーベルの原作は当然のことながら未読なのですが。

この作品、キャスティングが失敗じゃないでしょうか。
事前にスチールを見たときから悪い予感はしていたのですけれども。
どうしてニコラス・ケイジなのでしょう?
いい俳優だと思うのですが、この作品には合わないような気がしました。

現在一般向けにスーパーヒーローものを当てようとする場合、キャラクターとマッチする「らしさ」が俳優に必要だと思います。
20数年も前でしたら、ありえないヒーロー像(揺るぎない正義感とかまったくへこたれないタフネスさのような)でも大丈夫でしょうけれども、今の時代だとそのようなキャラクターだとまったく子供向けとされ、お客さんは入らないでしょう。
ですから、悩むヒーローというのが最近のトレンドになってきているように感じます。
(あの「スーパーマン」ですら、悩むようになってきました)
ヒーローだけど人間らしいといった感じですね。
これはドラマ部分が見応えがでてくるので、僕は歓迎すべき傾向だとは思ってます。
けれどもその場合、そのキャラクターと演じる俳優のマッチングが重要になるかと思います。
「スパイダーマン」であれば、恋や自分のやりたいこと責任に悩む青年ピーター・パーカーというキャラクターとトビー・マグアイアの少し気の弱そうな風貌は合っていると思いますし、「スーパーマン リターズ」であれば超能力を持っていてもナイーブさがあるスーパーマンとブランドン・ラウスのビジュアルはマッチしていると思います。
現実的には絶対いないのだけれど、「いそうな」感じがする距離感があるということでしょうか。
ですので、最近のヒーローものは絶妙なキャスティングが求められると思います。

この作品「ゴーストライダー」ですがキャラクターの性格の描き方がまず浅い。
正義感があるわけでもなく、愛にいきるわけでもなく、宿命と戦っているわけでもなく、なんとなく中途半端な感じがあります。
この設定だったら若い時の選択を悔いているような苦さや暗さとかがもう少し出ている方がよかったかと思います。
そしてこのキャラクターとニコラス・ケイジがどうもしっくりあっているように思えません。
どうも無理に若作りしている感じが痛々しい。
これだったら冒頭の若いときを演じていた青年の方がよほどイメージがあっているように思えました。

ダークヒーローで言えば、最近では「コンスタンティン」があります。
本作と同じように悪魔の僕という設定ですが、キャラクターのややヒネた感じ、ものを斜めから見る感じが、キアヌ・リーブスとよくあっていた、いい作品でした。
このキャラクターと俳優がしっくりと合う感じがこの作品にはない感じがします。
一般受けを狙わず、特定のファン層を狙うならもっと思い切ったキャスティングでも良かったと思います。
「バットマン」のマイケル・キートンのように(結果的にこの作品はヒットして一般受けしましたが)。
ニコラス・ケイジですとビジュアル系で人を呼べる期待も持てるわけでもなく、狙いがわからないキャスティングです。

お話もこれと言ってとりあげるところもなく。
キャスティング、ストーリー、映像すべてにおいて、ダークヒーローものとしては「コンスタンティン」の圧倒的勝利だと思います。

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本 「三銃士」

本はいろいろと読む方ですが、国内海外問わず古典はあまり読んだことがありません。
なにか取っ付きにくいですよね。
でもこういう風に本についても記事を書いているので、読んだ方がいいなあと思い、古典にチャレンジです。
岩波文庫なんてほとんど手にしたことないのですが。
とはいっても、あまり敷居が高そうな作品だと挫折することが容易に想像できるので、映画化していて物語がなんとなくわかっていて、わかりやすそうなものをということで「三銃士」を読んでみました。
キーファー・サザーランドやチャーリー・シーンが出ていた映画の「三銃士」はけっこう好きな作品ですよ。
あまり話題にならない作品ですけれど。

改めて読んでみて・・・。
おもしろいですね、「三銃士」。
昔の作品なので回りくどいところもありますが、それはコナン・ドイルあたりでもそんな感じですから、そういうものでしょう。
想像していたよりはエンターテイメントな感じがしていて読みやすい。
読んでみると映画の「三銃士」はけっこう原作に忠実に描かれていますね。
一番違うのはミレディーの性格で、原作では徹底的な悪女でした。
映画の方が頭の中にあったので、いつ改心するかと思ったら、最後まで悪い女でした。

古典でもけっこう楽しめる。
いい発見でした。
また別の作品にチャレンジしようと思います。

「三銃士<上>」 アレクサンドル・デュマ著 岩波書店 文庫 ISBN4-00-325338-8
「三銃士<下>」 アレクサンドル・デュマ著 岩波書店 文庫 ISBN4-00-325339-6

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本 「ケース・オフィサー」

「宣戦布告」で北朝鮮の原子力発電所テロをリアルに描いた麻生幾氏の小説です。
この作品では、イスラム過激主義のテロ、そして細菌攻撃(バイオテロ)を扱っています。

麻生幾氏はもともとは事件記者だったようです。
ウィキペディアによると公安関係ともパイプがあるということで、軍事関係・警察関係の描写はリアリティがあります。
そのためか氏の作品では登場人物も事件に巻き込まれ、無情にも死んでいったりします。
ハリウッド映画にあるようなご都合主義的な救いはありません。
あくまでも冷徹に事件を描いていきます。
以前「宣戦布告」を読んだ時、その硬質なタッチに驚いた記憶があります。

本作「ケース・オフィサー」もそのタッチは継続しています。
上巻はどちらかというと、警察のテロ対策部門の海外での収集活動を、担当官(ケース・オフィサー)と情報提供者との関係、感情を交え描いています。
このあたりの描写は他の作家にはないリアリティが感じられますね。
下巻では日本で発生したバイオテロが描かれます。
普通こういう小説や映画では事件は寸前に防がれるものですが、この小説ではその本格的な攻撃が開始されてしまいます。
病気が広まっていく様、人が救われず死んでいく様にはおそろしさを感じます。
けれども物語の中で楽観的に解決してしまって、ああ良かったで終わらず、事件が起こってしまうことをあえて描くことに作者の危機感を感じました。
先に書いたように作者は事件記者という経歴をもっている方なので、さまざまな情報に接することが多かったのでしょう。
そういう中でテロリズムに対する危機感を持ったのかなと思いました。

作風は重めですが、作品としてはエンターテイメント性もありますので、最後まで一気に読める小説だと思います。

「ケース・オフィサー<上>」 麻生幾著 産經新聞社 ハードカバー ISBN4-594-04689-4
「ケース・オフィサー<下>」 麻生幾著 産經新聞社 ハードカバー ISBN4-594-04690-8

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