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2006年11月24日 (金)

本 「邪魅の雫」

この作品のキーワードは世界と世間。

そもそも世界とは何か?
ここでは世の中で起こるすべての出来事、事象としてみよう。
人間が認識できる範囲は限られている。
自分が見て、聞いて、味わって、触って・・・感じられるところは限られている。
本やテレビ等の映像メディア、今ではインターネットなど直接感じられなくても、知識として得られる範囲は広がっているが、これにも限界はある。
世界のすべてを認識している人間はいない。
しかし、自分が感じている範囲が限定されていることを忘れ、自分の認識が世界をイコールだと思ってしまいがちである。
知らないところにも、世界が存在していることが頭から抜け落ちる。
世間とは、ある人とある人との間に共通してある世界認識といっていい。
つまりA君とB君との世間と、B君とC君との世間は同じとは限らないし、どちらが真であるということもない。
己が世界だと思っていることが他者にとって共通の世界であると皆が信じている状況で、あえてそれぞれの人間が操作された情報しか与えられなかった場合、微妙に次第にそれぞれの世界認識はずれてくる。

この作品では、章立てごとに登場人物が連続殺人事件をそれぞれの限られた情報による世界認識でとらえていて進行していく。
登場人物それぞれの間(世間)で情報交換はされるものの、認識のズレはうまらない。
物語が進行しても何が事件なのか「わからない」のだ。
それが微妙な世界認識のズレによって引き起こされていることが、読んでいてはじめのうちはわからない。
しかし度の合わない眼鏡を長時間しているような酩酊したような居心地の悪い状態を感じる。
最後に京極堂がそのズレを解き明かし、事件の構造をはっきりとさせる。
ようやくピントのあう眼鏡を手に入れたようなすっきり感。
この構成、京極夏彦はやはりすごいと思う。

「邪魅の雫」 京極夏彦著 講談社 新書 ISBN4-06-182468-4

京極夏彦著「陰摩羅鬼の瑕」の記事はこちら→

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