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2006年11月 4日 (土)

「伝説巨神イデオン」<接触篇><発動篇> まだ希望はあると思いたい

「機動戦士ガンダム」の後に富野喜幸(現 由悠季)監督が作ったアニメーションテレビシリーズの映画版です。
テレビシリーズは東京12チャンネル(現 テレビ東京)で放映されていましたが、内容が難解だったためか、暗すぎたためか、視聴者がついてこず打ち切りとなりました。
しかし、その後ガンダムブームの影響もあり、再注目され、<接触篇><発動篇>の2部作で、一挙に劇場公開となりました。
<接触篇>はテレビシリーズの再編集、<発動篇>に関してはほぼすべての原画は描き起こしになっています。
こうみると、「新世紀エヴァンゲリオン」も同じような道筋をたどってますね。
ちなみに「エヴァンゲリオン」を製作したガイナックスの母体となった「ゼネラルプロダクツ」ではSF大会用のオープニングで「イデオン」のパロディをやっていました。

物語はある植民星で二つの異文明の接触からは始まります。
それは地球人がソロ星と呼ぶ惑星で、そこにバッフ・クランという地球人と姿形がいっしょの文明が訪れます。
偶然のきっかけで両者は戦闘状態に入ります。
ソロ星には古代文明が残したメカニックが埋められており、地球人は人形のロボットを「イデオン」、宇宙船を「ソロ・シップ」と呼びます。
それらのメカを動かすエネルギーは未知のもので、バッフ・クランの伝説にある「イデの無限力」だと思われ、その力は圧倒的で、攻撃してくるバッフ・クランの攻撃を一撃で粉砕します。

出だしは以上のような感じです。

ロボットアニメでありながら、出てくるメカニックはあまりカッコいいと言えるものはありません。
地球サイドのメカはいまゆる見慣れたものが多い。
地球人から見て敵となるバッフ・クランのメカは、見ていても異質感があるものです。
これが異文化に接した時の感触であるというのを狙ってデザインをしているとしたら、かなり凄いと思います。

登場人物たちが非常にエゴが強い人々が多い。
またキャラクターデザインが湖川友謙で、それまでのアニメによくあったかわいいテイストではなく、リアルなタッチだったため、見ているものの感情移入を拒否します。
キャラクターたちは対立し、裏切り、嗚咽し、泣き叫びます。
ソロ・シップに乗り込むメンバーは地球からもバッフ・クランからも追われ、その中で簡単に死にいたります。
物語の中で、意味もなく死にいたる状況というのは、見ているものにとっては、ある種の空しさを感じさせ、それがこの作品にずっと通奏低音のように響いているような気がします。
唯一の救いは地球人ベスとバッフ・クランのカララが愛し合い、子を宿すことにあります。
異文明同士でも理解しようとすることはできる。
しかし、それを人は憎しみの連鎖、エゴの拡張、メンツにとらわれ許せない。
結局人はそのような「悪しき心」から解放されることはないのだろうか。

テーマは宗教や哲学に通じるようなかなり重い内容です。
ちょうど僕はこの作品に触れたのが、中学生の頃だったのですが、はじめはさっぱり内容が理解できず、宗教や哲学の本なども読むようになりました。

結局、知的生命体の集合体である「イデ」は「悪しき心」をもつ人間(地球人とバッフ・クラン)を互いに戦わせ全滅させようとしていたのです。
そしてその中からまだ純粋な生命のもとを救い上げ、「良き心」を持つ生命として育てようとしていたのです。

初めてこの作品を見て20年くらい経ちますが、作品通してある「あきらめ」がやるせないです。
富野監督はこんなにも今の人間は悪いのか、一度滅びなくてはいけないと考えていたのでしょうか。
作品中登場人物カーシャがこう叫びます。
「私たちはなぜ生きてきたのよ。」
また主人公のコスモは
「認めないぞ、こんな甲斐のない生き方は!」
今の僕たち人間はまだ完全な善でもない。
ただまったくの悪でもない。
そんななかでソロ・シップのメンバーのようにあがきながらも生き続けていく。
その中でわかりあえることもあると思います。
僕はまだ希望はあるとみたいです。

富野由悠季監督作品「機動戦士ガンダム」の記事はこちら→ にほんブログ村 映画ブログへ

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コメント

エクスカリバーさん、こんばんは。

そうですね、「イデオン」が放映された時は庵野監督は学生で影響を受けていたと思います(イデオンがでてくる自主制作アニメを作ってます)。
テレビシリーズ中はストーリーの収拾がつかず(打ち切りになり)、映画で結論をだしたというのも似ていますね。
「エヴァ」のようにREBUILDして欲しいです。
今だったら受け入れられるような気がしますよね。

投稿: はらやん(管理人) | 2007年9月17日 (月) 20時28分

当時としては早すぎたのでしょうか。
『エヴァ』が持て囃される現在ならすんなりと受け止められたかも知れませんが、この作品がなければ或いは『エヴァ』は生まれなかったかも知れませんね。
TVシリーズをベースに映画という形で再構成した作品が多い富野さんですが、逆にこの作品の場合、映画をベースにTVシリーズの完全版を作って欲しい気もします。
39話を途中からリメイクし、「発動篇」の新作部分を40話以降として本来あるべき姿にして欲しいのですがね。

投稿: エクスカリバー | 2007年9月17日 (月) 19時16分

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» 『THE IDEON/発動篇』(1982) [【徒然なるままに・・・】]
TVシリーズを再編集した劇場版『伝説巨神イデオン』前後編の後編。 物語はTV版最終話である39話から始まるが、その途中から未放映部分へと移っていき、全体としては少なくても四分の三以上が新作シーンではなかろうか。見応えとしては前編の比ではなく、これがあるからこそこの劇場版『イデオン』は、作品として認められるのだ。 開巻すぐのタイトルバック部分でそこに至るまでの流れとして、キッチ・キッチンの、そしてギジェの死が描かれる。 特にコスモのヘルメットのバイザー越しにキッチンの首が飛んでいくショットな... [続きを読む]

受信: 2007年9月17日 (月) 05時33分

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