本 「ルー=ガルー 忌避すべき狼」
遅まきながら昨年から京極夏彦の京極堂シリーズにはまり、最近はこの作者の他の作品も読むようになりました。
あの戦後昭和の時代から、近未来の舞台にしてこの作者はどんな作品を書いたのか、期待と不安があったのだけれども、やはり京極夏彦は京極夏彦でした。
京極堂シリーズに引き込まれたのは、妖怪の解釈の仕方がとても新鮮だったからです。
読む前は妖怪=水木しげるといったイメージしかなかったのですが、こういう捉え方もあったのかと。
人間は自分が見ている世界と同じものを、他人が見ていると漠然と思っています。
でもそれは誰も証明できる訳ではないのですね。
本作品では自分が見ている世界は、他人が見てる世界と異なるのではないか、という無意識が、その差分を妖怪として生み出すのではという解釈です。
ただしその差分としての妖怪は、その人にとってはリアリティのある現実としての存在となります。
虚としての妖怪が実(リアル)な存在になる、それが他の人には見えない、つまり世界は人にとって共通のものではないということです。
それはその人にとっての世の中の見え方によるもので、作品中、京極堂は憑き物落しをしますが、このプロセスはその人にとっての世界の見方を変える、つまり世界の見方のパラダイム・シフトを起こすことによって、妖怪を消すのです。
長々と京極堂シリーズのことを書きましたが、「ルー=ガルー」でもそのようなものの見方がでてきます。
この作品では、情報化が進み人々はリアルな接触をあまりしません。
登場人物たちにとってリアルなのは自分が肌で感じるものではなく、モニタや端末を介して見るもののほうがリアリティがあります。
虚の方がリアルであり、実がバーチャルといった見方は先の京極堂シリーズとも共通していると思います。
そういう意味で、本作品も京極夏彦らしい作品と言えるかと思います。
余談ですが、この作品を読んだとき、どこかで感じた肌感を感じました。
何だろうと考えていたら、「SH15UYA(シブヤフィフティーン)」というテレビドラマだと思い当たりました。
これは一昨年くらいにテレビ朝日で深夜に放送していた、「ガメラ 小さき勇者たち」の田崎竜太がメイン監督、「仮面ライダー カブト」の米村正二脚本のドラマです。
その舞台はバーチャル世界である「シブヤ」、登場人物は15歳の少年少女、実験的で無機質な映像感覚は、「ルー=ガルー」の肌合いに似ています。
主人公3人(少女2、少年1(ただし女性が演じる))は、「ルー=ガルー」に登場する葉月、歩未、美緒、麗猫のキャラクターを一度合わせて、もう一回3で割ったような感じです。
特に少女エマは歩未、麗猫のイメージが反映しているように感じました。
物語は「ルー=ガルー」とは全く違うのですが、感じる質感が似ていたので、原案である田崎監督はこの作品にインスパイアされたのではないかと思いました。
「ルー=ガルー 忌避すべき狼」 京極夏彦 著 徳間書店 新書 ISBN4-19-850653-1
映画化作品「ルー=ガルー」の記事はこちら→ 続編「ルー=ガルー2 インクブス×スクブス 相容れぬ夢魔」の記事はこちら→| 固定リンク
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