トップページ | 2006年9月 »

2006年8月27日 (日)

「ロード・オブ・ザ・リング」 圧倒される世界構築力

先日「ゲド戦記」の記事を書きましたが、三大ファンタジー一つ「ロード・オブ・ザ・リング」(一作目)も改めて見直してみました。

公開時、劇場で観たのですが、その時気になったのは上映時間の長さでした。
ピーター・ジャクソン監督の作品は大概3時間級になりますが、観ていて集中力が続きません。
それでいて盛りだくさんの内容ですので、疲れたなあという印象でした。

それでしばらく観賞するのを避けてたのですが、DVDで改めて観てみると非常に良い作品ですね(今更ですが)。
ファンタジーのルーツとなる原作を基盤とするだけあってストーリーや登場人物も十分魅力的なのですが、圧倒されるのが、空想の世界である中ツ国を我々に目で見える形に具現化したイメージ力とその具体的な表現力です。

この映画では、空想世界を構成するひとうひとつが丁寧に作り込まれています。
現代劇の場合は話される言葉、ロケ・セットの脇に置いてある小物など、可視・不可視に関わらず感じられるすべてのものは、僕たちが共有する世界の文脈の中にあるものなので、いちいちひとつひとつを作り上げる必要はありません(選ぶセンスは必要かと思いますが)。
空想世界においては、小物ひとつとってもその物語世界の歴史や文化を引きずっていて、その世界の文脈が感じられるはずです。
この作り込みが甘いと、その物語世界が見ている映画のその周囲しか存在していないような書き割りめいた薄っぺらいものに見えてしまいます。
本作においてはそのようなことは全く感じられませんでした。
映画作りに当たり、物語の歴史・文化を想定するということは、ひとつの世界を作りあげていると言っていいでしょう。
「ロード・オブ・ザ・リング」はこの世界の文脈作りが非常に丁寧な作品に見えました。

あと本作観ていて気づいたのは、空撮がとても多いことです。
これはロケの場面でも、CGの場面でもそうなのですが、カメラが鳥のように飛び、世界を俯瞰するカットが多いのです。
鳥瞰のカットが多いということは世界を見渡せるということです。
制作側からみると、そこまで広く世界を想定しないとそのようなカットを撮れないということになります。

ピーター・ジャクソンおよび本作のスタッフの頭の中には、中ツ国が本当に存在していたように感じます。
ニュージーランドでのロケ、最新技術を使ったCG等が注目された本作ですが、その前に凄いと感じるのはこの世界を作り上げたスタッフたちの世界構築力でしょう。

にほんブログ村 映画ブログへ

「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」の記事はこちら→ 「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」の記事はこちら→ 「ゲド戦記」の記事はこちら→
オーランド・ブルーム出演「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」の記事はこちら→ ガンダルフ役イアン・マッケランの出演作「X-MEN ファイナル・ディシジョン」の記事はこちら→

| | コメント (4) | トラックバック (6)

2006年8月26日 (土)

「UDON」 うどんの話なのにコシがない

讃岐うどんブームのきっかけを作った麺通団をモデルにしたお話です。
映画を観ていると確かにうどんは食べたくなりますが、映画の出来としては喰い足りない印象です。
本場の讃岐うどんと言えば、麺の表面はつややかにもちもちとした肌触りで、麺の歯ごたえはしっかりとしたコシがあるものですが、映画「UDON」はふにゃっとしたコシのない麺のような印象です。

そのような印象はこの映画が芯にしているストーリーの工夫の無さからきているように感じます。
基本的には、「若者の挫折、そこから再生、夢の実現」「息子と父親の対立、そして和解」と言った青春・家族ドラマの定番ストーリーが骨格になっていますが、あまりにストーリーにひねりがなく、話の展開に驚きがありません。
これで2時間以上の上映時間は厳しい気がします。
また変化をつける工夫として、フジテレビ製作の映画らしく俳優のカメオ出演や本広監督の趣味であるキャラクター挿入などありますが、これらはあくまでもギミックであって、ストーリーを豊かにしているようには思えませんでした。
やりたいことを入れ込み過ぎ、主のテーマが何なのかわかりにくいというのも気になります。
コシがないうどんに、天ぷらやらなにやらたくさん上にのっているようなイメージで全体的にバランスが悪い気がします。

映画の中にテレビ局のブームの仕掛人、それに踊らされる人が描かれますが、このあたりをもっと深堀りした方がおもしろいテーマになったのではないかと思います。

あと気になったのは、食べ物をテーマにした映画なのに、あまり食べ物がおいしそうに映っていないことです。
食べ物のシズル感が感じられないアングル・ライティングも気になりますし、俳優さんの食べシーンが上品すぎて、うどんのおいしさがあまり伝わってこなかったように感じます。
うどんは下品でも勢いよく食べた方がおいしそうなんですけれど。
伊丹十三の「タンポポ」や押井守の作品に出てくる「立ち喰い師」などは執拗なまでの食べ物描写が特徴ありますが、このあたりまでがんばってほしかったところです。

にほんブログ村 映画ブログへ

| | コメント (7) | トラックバック (65)

2006年8月20日 (日)

「スーパーマン リターンズ」 人間「スーパーマン」を描いた良作

ブライアン・シンガー監督の「スーパーマン」へのオマージュがあらゆるところで感じられました。
オープニングタイトルで、バックに有名なテーマ音楽が流れる時のフライング・ロゴなどはリチャード・ドナーの第一作を感じさせてなかなか良かったです。
旧作の有名なシーンとしてはスーパーマンとロイスとの空中散歩がありますが、これも健在。
ロイスを抱いてふわりと着地するところの感じは、スパイダーマンのスピード感あふれるトリッキーな動きとは対照的に、スーパーマンのジェントルなところが出てますね。

旧作へのオマージュたっぷりですが、ブライアン・シンガー監督らしさもでています。
「X-MEN」シリーズもスタイリッシュで動的な映像を魅せてくれましたが、本作も同様です。
特に前半のシャトル救出の場面のシーンは、CGを駆使した巧みなカメラワークでさすがですね。
ややもするとマンガチックに見えてしまうアメコミ特有の派手派手な色彩プランを、「X-MEN」と同様に全般的に色調は押さえ気味で落ち着いて観れるようになっています。
これが全体に上質な感じを与えていると思います。

物語は1と2の続きという設定になっています。
旧作ではジーン・ハックマンが演じていた敵役レックス・ルーサーがケビン・スペイシーになっていて、旧作同様、キレやすく、それでいてやや情けない感じの悪役をうまく演じています。
クラーク・ケントはブランドン・ラウスという若手になりました。
風貌はクリストファー・リーヴをソフトにした感じで、今回のナイーブな性格のスーパーマンにあっていたと思います。
出演者は一新されていますが、旧作のファンでも違和感ないのでしょうか。
いい配役だと思います。

ヒーロー作品の最近のトレンドは悩めるヒーローですよね。
スパイダーマンは恋と友情と使命の間に挟まれ悩み、バットマンは自分自身の中にある悪の存在に悩みます。
そういう意味でスーパーマンは異星人で超人ですからそのような人間くさい悩みとは無縁で人間ドラマになりにくいのではと思いましたが、本作はそのあたりは「スパイダーマン」シリーズや「バットマン ビギンズ」ほどではないにせよ、スーパーマンの心の動きなどを今までの作品よりも描いていました。
それは超人であるがゆえの孤独です。
理解者であると思っていたロイスが「スーパーマンは必要か?」という記事で賞をとったことに、クラークは少なからずショックを受けます。
人類のため己の体を痛めつけてまで戦っても、生まれ故郷を離れたひとりぼっちの自分は、決して人類には受け入れられない。
その想いは作品のラストでスーパーマンのモノローグに現れています。
それでもその孤独は、ラストで救われます。
そこは皆さん劇場で確かめてみてくださいね。
「スーパーマン リターンズ」は、人間「スーパーマン」を描いた良作ではないでしょうか。

にほんブログ村 映画ブログへ

ブライアン・シンガー監督の1、2作目に続くブレット・ラトナー監督の「X-MEN ファイナル ディシジョン」の記事はこちら→

| | コメント (27) | トラックバック (88)

2006年8月19日 (土)

本 「阿片王 -満州の夜と霧-」

戦後高度経済成長期に生まれた自分にとっては、満州国は明治維新などと同じくらい遠くリアリティのない、
歴史上の出来事に思えます。
満州国が日本の軍部による傀儡政権であり、そこで数々の惨い行いを日本人が行っていたことも歴史の知識としては知ってはいますが、なんとなく見てはいけないもの、避けたいものという意識はありました。
それでも映画や小説等では触れていたので、遠い国の出来事、フィクションのような感じもありました。
この本では、満州や上海を舞台に戦前〜戦後にかけて蠢いていた人々を丹念に取材して、「阿片王」と呼ばれた里見甫を中心にその関係者をルポルタージュしています。
そこに描かれる人々の生き様は生々しく、おどろおどろしく、そのためかあまりに人間臭く、そうか満州国はまだ60〜70年前に存在していた国なのだなあとやっとリアリティを持って感じることができました。

「阿片王 -満州の夜と霧」 佐野眞一著 新潮社 ハードカバー ISBN4-10-436903-9

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「時をかける少女(2006)」 大人になることを自覚して初めて子供は大人になる

今までも何度も映像化されている「時をかける少女」です。
この夏は大作のアニメーションが2作もあるなか、かなり健闘しているいうことなので観に行ってきました。
評判通りとてもいい作品でした。
個人的には2つの大作を大きく超えていると思います。

陳腐な言い方ですが、子供が大人になる時の気持ちをうまく描けていると思います。
この作品を見て、子供はあるとき自分で自覚して大人になるのだと思いました。
いつまでも子供ではいられないということを自分がわかって初めて大人になれるのだと思います。

主人公真琴は偶然手に入れた「タイムリープ」の能力を始めは自分のために使います。
食べ損ねたプリンを食べにいくとか、問題を知ってテストを受けるとか、たわいのないことですけれども。
毎日が楽しい、いつまでもこうしていたい、そしてこれはいつまでも続くのであろうと、10代の頃は無邪気に思ったりします。
「永遠の夏休み」というのは、押井守監督が「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」でも扱っていましたね。
でも夏休みはいつかは終わります。
高校生という時間、楽しい仲間という人間関係も、進路を決めなければいけないという環境面や、友人から告白されるということで関係が大きく変わるということで、勝手に変化してしまいます。
そのような変化していかざるを得ない未来から逃げること(まさにタイムリープは未来から逃げるための能力)は自分自身にとって楽しいこと、心地よいことであっても、それが結果として人を傷つけてしまうかもしれません。
それに真琴はタイムリープを繰り返すことにより、気づきます。
「人の真剣な気持ちを、ちゃんと聞いてあげられなかった」
自分のことだけ考えていればいい時間というのはいつか終わるということに気づいたとき、真琴は大人になったのでしょう。
(それをさりげなく気づかせる役柄の芳山和子の設定が見事!)

映像的にも文句なしです。
CGの使い方が作為的な「ブレイブストーリー」や、重厚だけれども抑揚のない「ゲド戦記」に比べ、シンプルですが躍動感のあるアニメーションになっていたと思います。
キャラクターの細かな芝居は、初期の宮崎駿作品(カリオストロの城やコナンのあたり)の活き活きとした感じにもひけをとらないものになっていると思います。
背景も非常に美しい。
と思ったら美術監督は「カリオストロ」をやった方なのですね。

声もよかったです。
主役の真琴の声をやったのは仲里依紗さんという新人の方ですが、変に作らずに演じているので、等身大の高校生のような感じがしました。

スタッフに関しては僕は今まであまり知らない方でしたが、予想以上の出来の作品になっていると思います。
これからの作品も期待です。
この作品、ヒットしているということで(本日新宿で満員でした)、大作でなくてもいい作品は評価されるということで、まだまだ捨てたものではないです。

にほんブログ村 映画ブログへ
細田守監督作品「サマーウォーズ」の記事はこちら→ 真琴の声を担当している仲里依紗さん主演「渋谷区円山町」の記事はこちら→ 「ゲド戦記」の記事はこちら

| | コメント (16) | トラックバック (56)

2006年8月18日 (金)

「鉄人28号(2004)」 実写でやる意味は・・・

アメリカでも日本でも映画界ではリメイクがトレンドの一つになっています。
「鉄人28号(2004年)」もそういったリメイク作品の一つです。

皆さんご存知の通り、原作は横山光輝の漫画ですが、僕は原作やオリジナルのアニメや度々のリメイクもほとんど見ていないので、「鉄人28号」には特別の思い入れはありません。
ですので、「ここがオリジナルと違っていやだ」という見方はないですが、この2004年版の「鉄人28号」はほとんど評価する点がなかったように感じます。

まず気になったのがキャラクター設定です。
有名な漫画が原作であるため仕方がないところもあるかもしれませんが、キャラクターの描き方があまりに漫画的(デフォルメが強い)で生身の俳優がそれを演じるとやけに空々しい感じがし、観ていて興ざめしました。
コメディリリーフ的な警察幹部、少年がちょっと気になるお姉さん、喧嘩して仲良くなる友達・・・、この現代においては嘘くさく、あまりに工夫が感じられません。
戯画っぽいキャラクター付けを、肉体を持つ俳優さんが演じることが違和感を生み、最後まで感情移入しにくかったです。
もしこのようなキャラクターを描きたかったのなら、アニメーションなどの手法の方が最初からフィクションとして納得しやすかったので、観る側としてはよかったのかもしれません。
なぜわざわざ実写で撮ったのかという疑問がおこります。

また別の視点ですが、いわゆるアクション映画を観に行く場合、ある種のカタルシスを得にいくというところもあるかと思います。
派手な爆発や目の覚めるアクションなどといったものをみて、すっきりするといったところです。
「鉄人28号」に関しては、最後の鉄人とブラックオックスの戦いに至ってもスローモーな殴り合いで終止し、最後までカタルシスを得ることはできませんでした。
少年がリモコンでロボットを操っているのだから早い動きはリアリティがないということなのかもしれませんが、そもそも巨大ロボットが街を歩くだけでも現実味はないので、ここは割り切り映画として見せ場を作った方が良かったのではないでしょうか。
原作やアニメのテイストを気にしたのか、ロボットのデザインも実写になじみにくいものになっていて、実写を背景に超合金のおもちゃが動いているような安っぽさを受けました。
ここでもなぜわざわざ実写で撮ったのかという疑問に至ります。

この点、テレビシリーズですが2001年にフジテレビでオンエアしていた「鉄甲機ミカヅキ」という作品は、上記の2点のような不満点は見当たりません。
「鉄甲機ミカヅキ」は巨大なロボットを少年が操縦するといった点は「鉄人28号」や「ジャイアント・ロボ」と同じです。
ただ鬼才雨宮慶太監督らしく世界設定・人物設定は奥深く、ドラマも映像も見応えがあります。

「鉄人28号」では制作者がオリジナルに縛られ、最後まで実写でやる意味を見いだせなかったのではと思いました。

にほんブログ村 映画ブログへ

蒼井優さん出演の「ハチミツとクローバー」の記事はこちら→

蒼井優さん出演の「蟲師」の記事はこちら→

正太郎をサポートする立花真美を演じた蒼井優さんの主演映画「フラガール」の記事はこちら→

| | コメント (0) | トラックバック (6)

2006年8月15日 (火)

本 「ルー=ガルー 忌避すべき狼」 

遅まきながら昨年から京極夏彦の京極堂シリーズにはまり、最近はこの作者の他の作品も読むようになりました。
あの戦後昭和の時代から、近未来の舞台にしてこの作者はどんな作品を書いたのか、期待と不安があったのだけれども、やはり京極夏彦は京極夏彦でした。

京極堂シリーズに引き込まれたのは、妖怪の解釈の仕方がとても新鮮だったからです。
読む前は妖怪=水木しげるといったイメージしかなかったのですが、こういう捉え方もあったのかと。

人間は自分が見ている世界と同じものを、他人が見ていると漠然と思っています。
でもそれは誰も証明できる訳ではないのですね。
本作品では自分が見ている世界は、他人が見てる世界と異なるのではないか、という無意識が、その差分を妖怪として生み出すのではという解釈です。
ただしその差分としての妖怪は、その人にとってはリアリティのある現実としての存在となります。
虚としての妖怪が実(リアル)な存在になる、それが他の人には見えない、つまり世界は人にとって共通のものではないということです。
それはその人にとっての世の中の見え方によるもので、作品中、京極堂は憑き物落しをしますが、このプロセスはその人にとっての世界の見方を変える、つまり世界の見方のパラダイム・シフトを起こすことによって、妖怪を消すのです。

長々と京極堂シリーズのことを書きましたが、「ルー=ガルー」でもそのようなものの見方がでてきます。
この作品では、情報化が進み人々はリアルな接触をあまりしません。
登場人物たちにとってリアルなのは自分が肌で感じるものではなく、モニタや端末を介して見るもののほうがリアリティがあります。
虚の方がリアルであり、実がバーチャルといった見方は先の京極堂シリーズとも共通していると思います。
そういう意味で、本作品も京極夏彦らしい作品と言えるかと思います。

余談ですが、この作品を読んだとき、どこかで感じた肌感を感じました。
何だろうと考えていたら、「SH15UYA(シブヤフィフティーン)」というテレビドラマだと思い当たりました。
これは一昨年くらいにテレビ朝日で深夜に放送していた、「ガメラ 小さき勇者たち」の田崎竜太がメイン監督、「仮面ライダー カブト」の米村正二脚本のドラマです。
その舞台はバーチャル世界である「シブヤ」、登場人物は15歳の少年少女、実験的で無機質な映像感覚は、「ルー=ガルー」の肌合いに似ています。
主人公3人(少女2、少年1(ただし女性が演じる))は、「ルー=ガルー」に登場する葉月、歩未、美緒、麗猫のキャラクターを一度合わせて、もう一回3で割ったような感じです。
特に少女エマは歩未、麗猫のイメージが反映しているように感じました。
物語は「ルー=ガルー」とは全く違うのですが、感じる質感が似ていたので、原案である田崎監督はこの作品にインスパイアされたのではないかと思いました。

「ルー=ガルー 忌避すべき狼」 京極夏彦 著 徳間書店 新書 ISBN4-19-850653-1

映画化作品「ルー=ガルー」の記事はこちら→ 続編「ルー=ガルー2 インクブス×スクブス 相容れぬ夢魔」の記事はこちら→

京極夏彦著「陰摩羅鬼の瑕」の記事はこちら→

京極夏彦著「邪魅の雫」の記事はこちら→

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「イントゥ・ザ・ブルー」 観るべきところはジェシカ・アルバのみ

暑い日が続きます。
少しでも涼しい気分をということで、海を舞台にした映画「イントゥ・ザ・ブルー」をDVDで観ました。
以前「ファンタスティック・フォー」を観たときに気になった、ジェシカ・アルバの水着姿のジャケットが目を引いたということもありますが(笑)。

観る前から予想はしていたのですが、ストーリー展開ではみるべきところはあまりありません。
登場人物もこの手のアクションドラマにありがちな類型的なキャラクターで新鮮味に欠けました。

海中を舞台にした映画というのは、周りを水に囲まれた環境からくる窒息感・閉塞感みたいなものが、観ている側にドキドキした緊張感を生み出すものなのですが、本作品ではあまり感じませんでした。
「海猿」の方がよほど緊張感ありました。
そういえば窒息感というと宇宙空間を舞台にしたものも同様ですね。
「アポロ13」などはこの窒息感をドラマの盛り上がりに上手に取り入れていました。

当初の目的だったジェシカ・アルバですが、非常に美しかったです。
この女優さんはメキシコ・インディアン系とフランス・デンマーク系のハーフということで、エキゾチックな美しさが、燦々と降り注ぐ太陽の下で非常に映えていました。

「イントゥ・ザ・ブルー」では観るべきところと言ったら、ジェシカ・アルバの美しさだけでしょうか。
「ファンタスティック・フォー」もですが、作品に恵まれない女優さんです。

ジェシカ・アルバ出演「ファンタスティック・フォー」の記事はこちら→

ジェシカ・アルバ出演「ファンタスティック・フォー:銀河の危機」の記事はこちら→

にほんブログ村 映画ブログへ

| | コメント (6) | トラックバック (21)

「ターミネーター」 愛こそ勇気

ジェームズ・キャメロン監督の出世作「ターミネーター」です。
もう20年以上前の作品で、かつ低予算での制作だったにも関わらず、今でも十分楽しめます。
この作品以降、キャメロン監督は、メジャーな監督として活躍していくわけですが、以後の作品に通じるキャメロンらしさが原点であるこの作品にみられると思います。

キャメロン監督の特徴といえば、イマジネーションあふれる映像があげられます。
自分のイメージを表現するために「デジタル・ドメイン」というSFX会社まで作るだけあり、本作品でも骸骨をモチーフとしたメタリックなサイボーグという、その後の映画等に影響を与えた、アイデアを生み出しています。
初めてターミネーターを観たときのビジュアルショックは大きかったですね。

ただキャメロン監督の特徴はそれらの映像だけでなく、映画のストーリーの根底に共通してあるものがあります。
それは愛するものを守りたいという気持ちが、人間に勇気を与えるということです。
こうやって書くと、かなり恥ずかしいテーマなのですが、これがあるためキャメロン作品は何度観ても心を揺さぶられるのだと思います。
「ターミネーター」では、サラはカイルという愛する者、その結晶である子を得たとき生きるということに勇気をもって向かうようになります。
「エイリアン2」では母性(的な)愛、「ターミネーター2」では父性愛(変化球ですが)、「アビス」では夫婦愛が、命の危険にさらされる究極的な状況の中で主人公たちに戦う勇気を与えます。
個人的にはあまり好きな作品ではないのですが、「トゥルーライズ」「タイタニック」も同様なテーマが流れていると思います。
キャメロン監督は先進的な映像作家であるだけでなく、愛を描くラブストーリー作家かと思えます。

願わくば、このところ新しい作品を作っていないので、新作が早く観てみたいです。

「ターミネーター4」の記事はこちら→ にほんブログ村 映画ブログへ

| | コメント (4) | トラックバック (10)

「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ チェスト」 ジャック・スパロウは今までにない狂言回し的主人公

あまり期待しないで観に行った映画が、思いのほかおもしろかったりすると、とても得した気分になってしまいます。
私としては「ダイ・ハード」とか「スピード」などがそのような作品だったのですが、「パイレーツ・オブ・カリビアン」も同様でした。

1作目にそんな得した気分を味わってしまうと、続編については通常よりも期待度があがってしまいます。
そのおかげで「スピード2」などはかなりがっかりしたものですが、「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ チェスト」は期待度を上回る出来だったと思います。

まず良かったのは、キャラクターでしょう。
1作目に引き続き、ジョニー・デップ演じるジャック・スパロウが非常にいい味です。
ハリウッド映画の登場人物はややもすると類型的なことが多いのですが、ジャック・スパロウは同じようなキャラクターが思いつきません。
普通このようなクセのあるキャラクターはストーリーに変化を与える狂言まわしのようなサブの使い方をすると思うのですが、それを主役に持ってくるというところに企画の大胆さを感じます。
(1作目は主人公の割に出番は少なかったけれども、本作ではかなり活躍)
主役がどんどん勝手をしていき、それにつられて他のキャラクターが振り回され、ストーリーが転がっていくところがおもしろい。
パターン化されたキャラクターではないので、観ている方は何をしでかすかわからない、だから先が読めないおもいしろさがあります。
他のオーラン・ブルーム演じるティム、キーラ・ナイトレイ扮するエリザベスも前作同様、豊かな描き方で良かったです。
キーラ・ナイトレイは美しいですね。

あとアクションの見せ場もアイデアがありよかったです。
前作でも、立ち回りをしながら月の明かりに当たると骸骨に変化するというのを1カットで見せるというのがユニークでした。
後半の水車を使った剣劇などは撮り方も変化をつけていて観ていて、飽きませんでした。
ジャック、ティム、ノリントン3人でのチャンバラも見所ありましたし、エリザベスと二人の海賊は3人で2本の剣を使い回すなどのアイデアも秀逸でした。

ロケ場面は自然の迫力がある背景をふんだんに使い、スタジオ場面ではかなり作り込んだセットを使っていて、全体的に画面作りでも贅沢さも感じました。

次回作は行方不明のジャック探しの旅になりそうですが、ストーリーのかき回し役がいないということで今回とは違う展開になるでしょう。
そのような先が読めない展開が本シリーズの見所なので、更なる期待で待っていたいと思います。

にほんブログ村 映画ブログへ
「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」の記事はこちら→ 「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」の記事はこちら→ 「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉」の記事はこちら→

オーランド・ブルーム出演「ロード・オブ・ザ・リング」の記事はこちら→

| | コメント (17) | トラックバック (80)

「仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE」 ストーリーのスケールアップに映像追いつかず

「ボウケンジャー」に続き、「仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE」です。
テレビシリーズは平成ライダーの中でも、ストーリーとしても映像としてもかなりレベルが高い出来と思っているのですが、映画版はやや期待がはずれた感じを受けました。
「龍騎」のあたりから映画版は、テレビに比べてスケールアップしたストーリーが魅力でした。
今回も活躍の舞台を宇宙空間まで広げたという点については、平成ライダーの期待を裏切らずという感じがしました。
ただ予算の都合でしょうか、絵作りがストーリーのスケールに追いつかず、興ざめする印象でした。
せっかく宇宙にでるのですから、無重力の中でのアクションがどうなるか期待しますし、また「カブト」の特徴であるクロックアップの表現がどうなるかと思っていたのですが、思いのほか普通でした。
またアクションではない通常シーンでのセット、衣装などが凝ってないように感じ、全体的なクオリティ感が低かった印象です。
同じ石田監督作品だと「ブレイド」の方が、監督のスタイリッシュな映像美がでていたように感じます。

またテレビ版の天道総司のキャラクターが個人的には気に入っているので、映画版は観ていてとまどいを感じました。
観ていくと別物だとわかってくるのですが、割り切るまで物語に入り込むのに時間がかかりました。
観る方もキャラクターの変化度合いについていくのにたいへんだったので、演じる俳優さんはかなり苦労したのではないでしょうか。

ストーリーとしては最後の謎解きが意外性があり、さすが平成ライダー、一筋縄では終わらないという感じがあり、この点については良かったですね。

にほんブログ村 映画ブログへ

「劇場版 仮面ライダー電王 俺、誕生」の記事はこちら→

テレビシリーズ「仮面ライダーカブト」の記事はこちら→

「轟轟戦隊ボウケンジャー/最強のプレシャス」の記事はこちら→

「仮面ライダー THE FIRST」の記事はこちら→

| | コメント (5) | トラックバック (7)

「轟轟戦隊ボウケンジャー THE MOVIE 最強のプレシャス」  戦隊シリーズは時代劇

「轟轟戦隊ボウケンジャー THE MOVIE 最強のプレシャス」です。
この二、三年、スーパー戦隊シリーズの映画のレベルは高いですね。
30分強という時間の制約をポジティブに割り切り、ストーリーは極力シンプルにテンポのいいアクションで見せきっています。
観にくる人はヒーローの活躍が観たいのだということを制作サイドが素直に受け止めて、作っている感じがします。

オープニングのタイトルバックから立ち回りがありますが、5人それぞれ見せ場を作っています。
ワイヤー吊りアクションや合成カットを上手に使い、ワイドやアップのカットのテンポのいい切り替えで、近年の中でも屈指のアクションシーンではないかと思います。
名乗りシーンもケレン味たっぷりでなかなか良いです。
このあたりは歌舞伎の見栄を切るようなもので、「よっ!」とかけ声を出したくなるくらいの間合い、戦隊好きのツボをわかっている心地よさがあります。

また今年のレギュラー俳優陣も演技上手ですね。
特にレッド役高橋光臣さんは、ベテランアクション俳優倉田保昭さんとの掛け合いも堂々と演じていました。
個人的にはピンク役の末永遙さんがテレビであまり見せない表情をだしていたのが、よろしかったですけれども。

戦隊シリーズはある種のフォーマットがあるという点で、テレビ時代劇(水戸黄門のような)に近い感覚があると思います。
ここで印籠だしてくれという感じですね。
このような場合、制作サイドがあえてフォーマットを崩して創作欲を満足しても、観る側は不満足になってしまうかもしれません。
「ボウケンジャー」はそんな観る側(戦隊ファン)の満足ポイントがどこにあるか、作る側がわかってそこに見事に答え、さらに見応えがある作品に仕上げていると思います。

にほんブログ村 映画ブログへ
テレビシリーズ「轟轟戦隊ボウケンジャー」の記事はこちら→

仮面ライダーカブト/GOD SPEED LOVE」の記事はこちら

| | コメント (0) | トラックバック (4)

「香港国際警察/NEW POLICE STORY」 あの頃の憧れのジャッキーが復活

ジャッキーはやっぱり自分にとってヒーローです。
僕の世代は、ブルース・リーではなく、やっぱりジャッキー・チェンなのです。
中学生の頃、「蛇拳」「酔拳」をテレビで見ては、独特なあの型をマネしていたものでした。
生身での体当たりの演技からくるハラハラ感、ユーモラスさをスパイスにしたトリッキーな動きからくるワクワク感にしびれたものです。
そのようなジャッキーの演技に加え、アクションものとしてストーリーの成熟度があがったものが、旧香港国際警察シリーズでしょう。
このシリーズと「プロジェクトA」シリーズは見応えある作品だと思います。

その後、ジャッキーはアメリカへ進出したのですが、その時代の作品はあまり好きではありません。
(好きなのは「レッド・ブロンクス」でしょうか。これもスタッフは香港の人たちですが)
アメリカのスタッフでは、ジャッキーの肉体が持つ存在感が表現できていない感じがしました。
作り物めいているというか、ジャッキーでなくてもいいじゃないかといったような。
ジャッキーが修練を積んだ経験がフィルムに出ていない感じがします。

それで、本作は久しぶりに香港での警察ものということです。
好きだった頃のジャッキーがそのまま!
当然年齢的な衰えは感じなくもないですが、あの体当たりのアクションの表現は、ジャッキーならでは!
若者の無軌道な暴走に翻弄される管理職刑事役で、役柄としては全編シリアスです。
前段はチームリーダーとして犯罪を追うのでシリアスで年齢に見合った貫禄を見せてくれます。
そして後半で部下を殺した犯人たちを追う個人として展開すると、あの頃のジャッキーを彷彿させてくれる活躍を見せてくれます。
アクションの見せ所としても、ロープと手錠を使った高層ビルからのラペリング、旧作を思わせるような二階建てバスでのアクションなど、ツボを押さえてくれてます。

ジャッキーが子供の頃、ヒーローだったという人には文句なくお薦めできる作品です。

(後半ジャッキーのバディとなるニコラス・ツェーは武田真治に似てますね)

ジャッキー・チェン主演「ポリス・ストーリー2 九龍の眼」の記事はこちら→

にほんブログ村 映画ブログへ

| | コメント (2) | トラックバック (9)

本  「アメリカ外交 -苦悩と希望--」

藤原正彦氏の「国家の品格」をきっかけに、アメリカに迎合せず日本人が自国の文化に自信を持とうという話をよく聞きます。
自国の文化に誇りを持っていくことは大切なことだと思いますが、その場合、いきすぎると文化ナショナリズムになり、えてしてアメリカは、アメリカゼーションされた日本の戦後を押し付けてきた占領国(システムとしても文化としても)として、ざっくりと片付けてしまう人もいます。
けれども、この本を読むと、歴史の流れの中でアメリカには彼らなりに自国や世界に対しての苦悩しつつ、未来を描きながら、まさにあがきながら進んでいるというのだなということが、わかります。
大事なのは、相手のものの見方を理解し、その上でさまざまな交渉をしていかなければならないということ。
単純に日本人賞賛論や、アメリカ迎合論という捉え方ではなく、視点を切り替え大局的に見ていくことが外交は大切なのでしょう。

この本の最後にラインホールド・ニーバーという神学者の言葉が載っていました。
「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知識を与えたまえ」
外交においてもでしょうが、人生訓としても深い言葉だと思いました。
そういえば「ゲド戦記」のテーマも似ているかもしれません。

「アメリカ外交 -苦悩と希望-」 村田晃嗣 著 講談社現代新書 ISBN4-06-149774-X

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ゲド戦記」 熟成度が足りないワインのような・・・

「ゲド戦記」観てきました。
巷では評判あまりよろしくなかったので、やや期待度低かったのですが、言われるほどはひどくはないと思いました。
それで最後まで観ての印象ですが、なんとなく作品の熟成度が低い感じがしました。
まずくはないのですが、あっさりしてもの足りなさが残るといった印象、ワインで言うとヴォジョレー・ヌーボーのような感じです。

テーマとしては「人は自分の力だけで生きているわけではない。生かされている。だから恐れるあまり、生をおろそかにしてはいけない、自分だけのものではない大切な生をつないでいくのだ」といったことでしょう。
まったくその通りで、テーマ自体は私にとって共感できました。

ですが、ややそのテーマの表現が、ストレートすぎてやや青臭く、若さを感じました。
キャラクターの台詞でテーマがストレートに語られるところなどですね。
キャラクターは全般的に、アレンが特にですが、感情移入しにくく、テーマが素直に心に響きにくかった感じがしました。

また世界の描き方も、ロールプレイングゲームで観るようなありがちなファンタジーの世界で、もう少し監督の想像する新しい世界観を描いてもらえたらよかった気がします。
宮崎駿監督は「ハウル」にしても「千と千尋」にしても世界の細部のディテールへのこだわりが凄い(葡萄を栽培する土など細部のプロセスにこだわり抜き、それだけ手塩にかけた結果、複雑で深い味がするワイン)ので、どうしても比べると凡庸な感じは受けました。
アニメーションとしても宮崎駿監督の方が、新しい表現(印象深いカットや動き)ということに貪欲さを感じます。
(ベテラン監督と比べられるのは、酷だとは思いますが)

全般的に監督の想いはあるのは感じるのですが、仕込みがまだ浅く、こなれていない作品という印象を受けました。
でもまじめに作っている感じはします。

にほんブログ村 映画ブログへ

三大ファンタジーの一つ「ロード・オブ・ザ・リング」の記事はこちら→

| | コメント (18) | トラックバック (57)

「2001年宇宙の旅」 カメラの視点で表現したかったことは・・・

「2001年宇宙の旅」を久しぶりに観ました。
初めて観たのは中学生の時、もう20年以上前です。
そのときは内容がさっぱりわからず、映像的な斬新さに目を見張っていただけですが、数年ぶりに観ても、全然古くないですね。

改めて観て感じたのは、1カット1カットが絵画のようにきちんと構図が計算されているなということです。
撮影技術の発展によって最近の映画はカメラが激しく動いて迫力はあるのですが、よく見ると荒っぽかったりしますが、本作品はそういうところがないように感じます。
「2001年宇宙の旅」はとても長いカット(それもカメラも固定)が多いですが、それでも見飽きないのは、画面が美しく構成されているからかもしれません。

ついでに観ていて思ったことを。
本作品では、「視点」の切り替えという点に注目するとおもしろいです。
後半のスターゲイト突入まではカメラの視点は、あまり動くことはありません。
太古の猿人の時代、軌道上のステーション、月、ディスカバリー号、舞台は変わりますが、カメラはずっと客観的な位置を保ち続けます。
登場人物の視点はほとんどなかったと思います。
出来事を淡々と移していく視点、上空から観る客観的な視点は、「神の視点」のようにも感じます。

それがスターゲイトをボーマンが通過するところで、カメラは突然視点を変えます。
ボーマンが観た目まぐるしい風景(人類創世の歴史の真実の姿?)を、ボーマンの視点で映します。
カメラはここで主観的になります。

そしてボーマンがたどり着いた場所で、三たびカメラは視点を変えます。
ボーマンが、老いたボーマンを見、そしてまたそのボーマンが、さらに老いたボーマンを見る。
主観と客観が目まぐるしく変わります。
そしてボーマンはスターチャイルドに生まれ変わる(もしくは同一化する?)。

スターチャイルドは人類を生み出した個を超越した生命体のように思えます。
そのような生命の視点は、主観と客観が入り交じったものであるかもしれません。
神の客観的な視点、人間の主観的な視点、そしてそれが同一化し混在化した視点。
人類のスターチャイルドへの進化をカメラの視点からも表しているように感じました。

にほんブログ村 映画ブログへ

| | コメント (3) | トラックバック (10)

「日本沈没(2006年)」

「日本沈没」を観てきました。平成「ガメラ」の特撮監督として名高い樋口真嗣監督作品です。
まずは特撮映像的な部分についてですが、監督ご自身が「爆発マニア」ということで、火山などの爆発シーンは力が入っています。
爆発シーン以外でも未曾有の天変地異を描く特撮パートでは、今時ですのでCGもふんだんに使っていますが、樋口監督らしくミニチュア・マットペインティングも多用しており、空気感をもった迫力あるシーンがありました。
CGと古典的な手法がどこが違うのかと言われるとなかなか説明できないのですが、奥行き感のようなものが違い、圧迫感も感じまさにカタストロフィが目の前で起こっているように感じます。

ですが、この作品は特撮パートではだけでなく、ドラマがいいです。
日本がなくなるという危機、今までの人生の足跡がなくなり、これからの人生もどうなるかわからない状態の中、それでも人のために、自分自身をかけてでも何かをしようという人々に気持ちが揺り動かされます。

先日、NHKスペシャルで「恐竜VSほ乳類」というコンテンツがありました。
恐竜の繁栄の裏でほ乳類はいかに生き延び、進化してきたかという内容でした。
その中でほ乳類生き延びてきた理由として、恐竜よりも子を産む数は少ないが、その分、子を体内で育て、生まれてからも守り、大切に育てていくということをあげていました。
自分自身以外を守りたいという気持ちはそのようなほ乳類・人類がそもそも持っている本能なのだな、と「日本沈没」を見ても思いました。

特撮系出身の樋口監督は「ローレライ」の時、生身の俳優同士のぶつかり合いから生み出される迫力に圧倒されたということです。
特撮シーンは当然のことながら計算されつくさないと思い通りのカットはとれないわけですが、本編のドラマは必ずしもそうではないということでしょう。
監督のイメージと俳優のイメージの相乗効果が現れるということでしょうか。
「日本沈没」では、本編でのドラマを見せたいという意図を感じました。
本作で樋口監督は特撮監督から、日本映画の監督になったような気がします。

オリジナル「日本沈没(1973年)」の記事はこちら→ 樋口真嗣監督作品「ローレライ」の記事はこちら→

樋口真嗣監督作品「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」の記事はこちら→

にほんブログ村 映画ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (39)

トップページ | 2006年9月 »