「レスラー」 エンジンが燃え尽きるそのときまで

80年代に活躍したレスラー、ランディ。
彼の生き様は曲がることのできない車をひたすらに運転し続けるかのよう。
途中で降りることなどもできはしません。
エンジンが焼き切れるまで、走り続けなくてはなりません。
そんな生き様には何か悲哀を感じます。
彼の生き方は決して僕自身がそう生きてみたいと思うようなものではありません。
生きることに不器用なランディは、自分の道をただ真っすぐ真っすぐ走っていくことしかできません。
それは救いのない一本道です。
最後に残るのはエンジンが焼き切れたスクラップだけでしょう。
現実の世界には「ロッキー」のようなファンタジーはないのです。
そんなことはみんな知っている。
けれど、だからこそ、彼を観に来ている観客は、彼にファンタジーを観たいと思うのでしょう。
自分にはそんな生き方はできないから。
現実はそんなに甘くはないから。
みんなどこかで簡単にスムーズに運転できる道を選んでしまうのです。
だからこそ、ずっと一本道を走り続けるランディを憧れを持って見つめているのです。
プロレスが段取りがあるショーであるということなどは関係がないのです。
観客は彼の試合を観に来ているのではないのかもしれません。
彼の生き様を観に来ているかもしれません。
観客が自分ではそんな一本気な生き方できないと、とうにあきらめているファンタジーをファンタジーだと知りつつ、ランディは背負って走り続けるのです。
彼を観にくる人々のその想いこそが彼のガソリンであるから。
それが彼が背負ってしまった荷であるから。
最後まで。
とことん最後まで。
エンジンが燃え尽きるそのときまで。
彼は、走り続ける。

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本 「カラフル」

「DIVE!!」の森絵都さんの作品を読んでみました。
彼女の作品は「DIVE!!」しか読んでいなかったので、爽やかな青春小説みたいな感じかなと勝手に思っていたのですが、ちょっと違いました。
いや爽やかさというのはあるのです。
けれど取り上げているテーマがもうちょっと重くって。
人の本質っていうのは何なんだろう?
自分が自己認識している自分。
誰かから見た自分。
自分から見た相手。
他の誰かから見た相手。
人は自分が見ていると持っている姿以上にカラフルで、多彩で。
同じ絵を見ても、人それぞれが感じ方が違うように、人も見方次第でいろんな側面が見えてくる。
本作での主人公真も、見方によって人が、人生がカラフルで豊かであるということに気づけたんでしょうね。
深いテーマですけれど、さらりと読ませる森絵都さんはいいですね。
他の作品も読んでみたくなりました。

森絵都さん作品「DIVE!!」の記事はこちら→

「カラフル」森絵都著 文藝春秋 文庫 ISBN978-4-16-774101-3

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「いけちゃんとぼく」 ずっと側にいるよ、ずっと側にいたいよ

こういうのには弱い。
それは予告を観た時から、そう思っていたのだけれど、やっぱりうるうるっときちゃいました。

「大きな器に水がたまるには時間がかかる」
劇中で清じいがヨシオのことを称して言った言葉です。
水が一杯にたまった時が、男の子が大人になるときなのでしょう。
ヨシオは毎日のように、いじめっ子にいじめられていました。
けれどヨシオは泣きません。
だからいじめっ子たちはヨシオをいじめるのを止めません。
でもヨシオも決していい子というわけでもありません。
友達にいじわるをしたり、虫を残酷に殺しちゃったりもします。
そんな自分がイヤになっちゃたりもします。
人間というのはいいところもあって、そして悪いところもあって、そして世の中もいいこともあって、悪いこともあって。
いじめっ子のいない理想郷なんて隣町に行ってもあるわけでもなく、でも今いるところもそれほど悪いところでもなく。
大人になっていく間に、そんなふうに世の中っていうのはいろんなところがごちゃまぜになっているということをわかっていくのかもしれません。
そういうのが「普通」であるということを。
でもそんな「普通」な世の中でもちょっとだけでも変えることもできるし、自分もちょっとだけでも変われるってわかることが大人になるってことなのかもしれないです。
でも変えたり、変わったりするのには、やっぱり勇気が必要で。
ヨシオにはずっとそばにいけちゃんがいてくれました。
いけちゃんがずっとそばにいてくれて、強いところも弱いところもいじわるなところも優しいところも、全部ぜんぶ受け入れてくれたから、ヨシオはがんばれたんだよね。
自分を全部受け入れてくれる人がいてくれるっていうのは、とても心強いこと。
そういう人がいてくれるとがんばれる。
晩年のヨシオといけちゃん。
ほんのちょっとしか暮らせなかったけれど、二人は互いに支え、支えられた幸せな時を過ごせたのだろうなというのが伝わってきました。
自分を全部受け入れてくれて、そして自分も相手のことを全部受け入れられて。
ずっと側にいるよ。
ずっと側にいたいよ。
お互いにそう言える人と出会えた、ヨシオといけちゃん。
とっても幸せだったのだろうな。
そういう人と出会えるといいな。

それにしても蒼井優さんは女優さんとしても素晴らしい方ですが、声優としてもピカイチです。
「鉄コン筋クリート」のときもなんて上手なんだろうと思いましたが、本作ではさらに磨きがかかっているような気がしました。
ただヨシオを見守るだけなんだけど、ヨシオのことを深く想っているというのがとてもとても伝わってきました。
ほんと素晴らしかったです。

蒼井優さんが声の出演をしている「鉄コン筋クリート」の記事はこちら→

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「機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編」 動いてこそ魅力を発揮するデザイン

先週メモリアル上映の「機動戦士ガンダム」一作目を観てしまったために、今週も第二作「哀・戦士編」を観に行ってきてしまいました。
今まで何回観ているかわからないくらいなのに、何度観てもおもしろいです。
本シリーズは、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲと回を重ねるごとにおもしろくなっていくのが素晴らしいところです。
井上大輔さんの歌が流れると盛り上がってしまうという、ほぼパブロフの犬状態です。

さてニュータイプ論のような本シリーズのテーマについては来週観に行く(もう決めてる)「めぐりあい宇宙編」の時に書きたいと思いますが、今回は「機動戦士ガンダム」(ファーストシリーズね)の魅力について語ろうかと思います。
小中学生の頃にがっちりと心をつかまれた理由としては、やはり大河原邦夫さんによるメカデザイン、そして安彦良和さんによるキャラクターデザインによるところが大きかったと思います。
子供の頃はテーマ云々より、見た目のカッコよさだったりしますから。
お二人ともポスターとかを見ても一枚絵もとっても上手なのですが(そのポスターが欲しいがために前売り券を買ったのでした)、その魅力はアニメーションとして動いてさらに魅力的に見えるというのが「ガンダム」に心を奪われた理由ではないかと思います。
メカデザインとキャラクターデザインと違うのですが、両氏のデザインは動いてこそ魅力があるのです。
メカデザインでいうと例えば、ドムの黒い三連星のジェットストリームアタック。
設定のデザイン画だけではこのメカデザインの魅力は伝わりません。
ホバーでまるでスケートのように滑走するというアイデア、それを活かした演出(細かいカット割り、そしてスローモーション)のセンスは素晴らしい。
これは従来のアニメーションにはなかったセンスだったと思います(この感激はリアルタイムで観てないとわからないだろうなあ・・・)。
またジャブローでシャアのズゴックがジムを一撃で撃破するシーン。
これまたストップモーションと、スローモーションで、一際カッコいいです。
ぶっちゃけ、中学生の頃は連邦軍のガンダム、ガンキャノンより、敵対するジオン軍のドムとかズゴックのほうが好きでした。
動いてこそ魅力が出るというのが、「ガンダム」のメカデザインであったような気がします。
同じように安彦良和さんのキャラクターも動くとさらに魅力がでてくる魅力が出てくると思います。
特に安彦さんが自分で描いているカットは特にそんな感じがします。
「哀・戦士編」でも劇場版にあたりテレビ版から多くのカットが描き足されましたが、そのカットは明らかに違うんですよ。
何が違うかというと、動きが違うとしか言いようがないのですけれど。
リアルな動きというのともちょっと違うのですが、キャラクターが細かい芝居をしているんですよね。
それは仕草であったり、ほんのちょっとした瞬きなどであったりするのですが。
「哀・戦士編」でいうとセイラさんはかなり描き直されていて、今観ても魅力的に見えてしまうのです。
これはCGとかなんだとかという技術的なものではなく、安彦さん独自のアニメーションのセンスなのだと思います。
これにより平面であるはずの絵で描かれたキャラクターが、活き活きとしてくるのです。
わかりやすいのは安彦さんが描くメカのシーンで、ただの兵器として描かれる「ガンダム」のMSですが、彼が描くとそれはまるで人間の兵士のようにも見えるのです。
これはもう職人芸というべき技であると思います。
活動の場をアニメーションから漫画に移され、最近は安彦さんのキャラクターが動くのを観れないのがちょっと寂しいのですが・・・。
このように「ガンダム」というのは演出面でもそれまでのアニメ作品から一段上の次元にいったという作品であるように思えます。

先週は丸の内ピカデリー、今週は新宿ピカデリーで観ました。
丸の内はフィルムでの上映で、新宿はデジタルでの上映だったのですが、画質がけっこう違うのでびっくり。
来週の「めぐりあい宇宙編」も新宿で観ようっと。

「機動戦士ガンダム」の記事はこちら→

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本 「無音潜航」

現在公開中の「真夏のオリオン」の原案となる「雷撃震度十九・五」の作者池上司さんの作品です。
こちらは同様に潜水艦を題材にしていますが、時代は現代となっています。
日本と韓国で北朝鮮工作員によると思われる核テロが実行されます。
親善訪問中だった海上自衛隊所属「さちしお」は急遽、警備活動に入るよう呼び戻されますが、その途中に海難者を助けたあとから、北朝鮮軍の駆逐艦や、中国の原子力潜水艦に執拗に狙われます。
海上自衛隊の潜水艦はディーゼルを動力源としているため、一定時間ごとに空気を補給し、蓄電しなくてはいけません。
対する原子力潜水艦はディーゼル駆動の潜水艦と比べれば無限とも呼べるほど潜航を続ける能力を持ちます。
しかし原子炉を内蔵しているために船体は大きくならざるを得ず、また旧式のため静粛性も欠けます。
そしてもう一つ大きな弱点も持っていて、それが本作の中で「さちしお」がうつ起死回生の一撃に繋がります。
日本の潜水艦は原子力潜水艦に比べれば小型で小回りがきき、また静粛性も優れています。
このように短所長所をお互いに持った潜水艦同士の戦いは、剣豪同士の戦いのような緊張感を持っています。
その点においては本作は楽しめます。

けれども小説としてのドラマ性といった点でみると、あまり評価できません。
潜水艦同士の戦いが描きたかったにしても、その背景となる事件の決着や、冒頭の核テロを描く際の登場人物についての描写があとは全くなく、放り投げているような感じがしました。
やはり人物が描けていないのが致命的で、潜水艦戦については楽しめたものの、小説としてはおもしろいと言える作品にはなっていないように思えました。
「雷撃震度十九・五」はけっこうおもしろい印象があったので、ちょっと残念です。

「無音潜航」池上司著 角川書店 文庫 ISBN978-4-04-375703-9

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「機動戦士ガンダム」 アニメを変えた記念碑

エヴァの新劇場版があまりに良かったので、その流れのまま、今年がガンダム30周年ということで有楽町でメモリアル上映をやっていた「機動戦士ガンダム」を観に行きました。
ご存知の通り、エヴァと同じように、というより最もその後の文化に影響を与えたロボットアニメが「機動戦士ガンダム」です。

小中学生の頃の観たり読んだりして、その後の自分の趣味指向に大きく影響を与える作品(映画や小説など)があります。
僕の場合は、本作「機動戦士ガンダム」であり、「スター・ウォーズ」であり、「仮面ライダー」「ウルトラマン」であり、「ドラえもん」であったわけです。
特に「ガンダム」はその頃の小中学生でいわゆる「ガンプラ」に手を出さなかったヤツはいないのではないかと思えるほどに、社会現象化していました。
今回久しぶりに劇場で「機動戦士ガンダム」を観ましたが、ほとんどの台詞を空で言える自分に驚きました。
どんだけ繰り返し観たことか・・・。
記憶力の良い時に覚えていたからでしょうか。
その記憶力を英単語にしておけば、苦労をしなかったのに。

本作が何故社会現象化までいったのかというのは、それこそ「ガンダム論」みたいなものが当時からプロから素人まで論議をしていたのであえてここで書くのもなにかなと思います。
安彦良和さんが描くキャラクターの魅力、大河原邦夫さんのメカのかっこよさ、それまでのロボットアニメにはないリアルな設定等、いろいろその原因をあげることはできます。
でもやはりこの作品が社会現象化となったのは、その物語が持つ解釈の懐の深さであろうかと思っています。
当時の人でもあまり知らないとは思いますが、「Animec」というアニメ誌がありました。
大手出版社ではない(「ラポート」という会社だった)ので(たぶん今は「ふぁんろーど」は生き残っている)アニメブームが沈静化したときに廃刊になってしまった雑誌です。
そこでは読者が「ニュータイプ論」など「ガンダム」の世界について、まじめに語り合っていたのです。
これらはけっこうきちんと書いてある評論が多く、それまで子供向けと言われていたロボットアニメが様々な解釈を持たれ、議論をされる題材になりうる懐の深さを持っていることを示したという点でエポックであったと言えます。
そんな「ガンダム」(あと多分に「イデオン」)の影響をアマチュア時代にもろに受けたのが「エヴァンゲリオン」の庵野秀明監督だったりするわけで、あの作品がさらに様々な解釈を生んでいる話になっているのは、そういう影響があるからだと思われます。
かくいう自分もこちらのブログで書いているレビューが、その物語世界の構造といったものに多く言及してしまうのは、「ガンダム」のときに身に付いてしまった「作品の見方」があるような気がします。
そのように深読みしようとすればかなり読み込める作品というのは「ガンダム」がほとんど最初であり、日本のアニメーションの一つの方向性を作ったと考えられます。

「ガンダム」劇場版三部作のあと、次第に僕はアニメーションから段々離れていきました。
「ガンダム」も「ZZ」以降はまったく観ていません。
けれど久しぶりに本作を観て、あのときのあれほどまでに熱中した気持ちというものを思い出しました。

「機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編」の記事はこちら→
富野由悠季監督作品「伝説巨人イデオン<接触篇><発動篇>」の記事はこちら→

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「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」 Beautiful World

素晴らしかった!
久しぶりに映画を観て、鳥肌がたつ経験をしました。
公開前はマリという新キャラクターが登場するということくらいしか情報がなく、大きく物語はオリジナルから変わっていくであろうと予想していました。
マリは本作冒頭から登場し、この物語が以前の「エヴァンゲリオン」とは異なるというサインにはなっていたと思います。
ですので全く異なるストーリー展開になるかと思いましたが、本作の中で語られるエピソードは旧作「エヴァンゲリオン」の中でも印象深いものが活かされていました。
宇宙空間からネルフ本部を目指して落下してくる使徒を、シンジ、アスカ、レイの三人で撃滅するエピソード。
エヴァ参号機が使徒化してしまうエピソード。
綾波レイの特攻攻撃のエピソード。
ただし一見同じように見えるエピソードも新劇場版の新しいストーリー、新しいメッセージのために巧みに再構築されています。

新劇場版が旧作と異なる最も大きな点は、シンジ、アスカ、レイという三人のキャラクターの「世界」へのスタンスです。
旧シリーズでは彼らエヴァンゲリオンのパイロットの少年少女は、それぞれに世界・世間からの疎外感、そして孤独感を感じています。
シンジは父親に捨てられたという孤独感。
アスカは自分の力のみしか頼れないという孤独感。
レイは人とは異なるものとしての孤独感。
旧シリーズのキャラクターは激しいほどの「世界」への拒否感が感じられます。
それがあの最終回に繋がるわけです。
しかし新劇場版の三人も旧シリーズ同様の疎外感・孤独感を持っていますが、彼らは彼らなりに自分以外の人間とコミュニケーションをとろうと行動をしようとする気持ちをもっています。
アスカやレイのためにお弁当をつくるシンジ。
シンジのために慣れない料理をしようとするアスカ、そしてレイ。
旧シリーズにはないこれらのエピソードが、新劇場版の三人の世の中へのスタンスが変わっていることを如実に表しています。
誰かを好きになる気持ち。
その誰かを守りたいという気持ち。
「ありがとう」と言える気持ち。
そういう気持ちを三人は持って、そして自ら戦いの場にでていくことを選択するのです。
レイとシンジを思いやり、参号機のテストパイロットに志願するアスカ。
シンジを守るために自爆を選ぶレイ。
そしてレイを守るために、一度降りたヱヴァンゲリヲンに搭乗することを選ぶシンジ。
誰かに命じられたからというのではなく、彼ら自身が選んだのです。
旧シリーズではアスカの「気持ち悪い」という台詞が印象的でした。
これは人と繋がることが自分を侵されるような気持ちになるということであったのでしょう。
けれども本作ではレイの「ポカポカしてくる」という台詞がとても心に残ります。
人と気持ちが通じ合うこと、それがとても幸せな気持ちであることということを言っているわけです。
旧作から新劇場版へ、彼ら三人はコミュニケーションを拒否するのではなく、繋がろうと大きく変わっているのです。

「大人になれ」とゲンドウはシンジに言います。
自分の願いを叶えるためには誰かを利用することを厭わない。
それほど強い覚悟がなければ、自分の願いを叶えることはできないとゲンドウは言いたかったのでしょうか。
確かに「世界」は理想論で語れるほど優しいものではありません。
過酷であると言ってもいいでしょう。
だからゲンドウの言うことも一理あるかもしれません。
そのような大人たちの存在があるからか、旧シリーズではシンジの「大人になること」への拒否感というものを強く感じました。
けれどもずっと子供でいることを世の中が許してくれるわけはなく、それをわかっているからこそシンジは「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」と繰り返し唱えながら戦っていたわけです。
新劇場版では子供たちは、旧シリーズのように子供のままでいようとするのではなく、ゲンドウたちのような旧世代の大人ではなく、新しい時代の大人になろうとしているように思えました。
自分の願いとともに、相手を想うことができる、そんな大人に。

旧シリーズにおける「人類補完計画」。
人間と人間は究極的には理解し合えない。
人は傷つけ合ってしまう存在である。
すべての人が幸せになるためには、個というものを捨て去り、一にならなければならない。
これが碇ゲンドウが考える「人類補完計画」です。
けれども新劇場版においてはそのような大人の考えを越え、子供たちは必死で想いを繋げていこうとします。
自分も幸せになり、相手も幸せになる。
ゲンドウが推進する「人類補完計画」とは異なる答えを、彼らが導きだそうとしているように思えました。

本作最後のタイトルロールでは前作に引き続き、宇多田ヒカルさんの「Beautiful World」が流れます。

 もしも願い一つだけ叶うなら
 君の側で眠らせて どんな場所でもいいよ
 Beautiful World
 迷わず君だけを見つめている

これはまさに新劇場版の主題そのものを歌っている歌詞です。
そのテーマをこのように表現した宇多田ヒカルさんも素晴らしいし、だからこそ庵野監督も再びこの歌を主題歌にしたのでしょう。

彼ら三人は想う人の隣で幸せに過ごせる世界を目指しています。
彼らの「Beautiful World」が新劇場版の最後で実現することを、僕も願いたいと思います。

本作でのアスカには衝撃を受けてしまいましたが、予告で出ていたのでちょっとホッとしました。

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・序」の記事はこちら→

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「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」 彼らとの旅で得るもの

シリーズ第三作にして完結篇の本作、3時間を軽く超える長尺にちょっと観てみようというにはなかなかヘビーなんですよね。
今日は朝から雨で、出かける気が失せてしまったため時間ができたので、ゆっくりと家で本作を観賞です。

過去二作品のレビューでも書いたのですが、ピーター・ジャクソン監督の中ツ国という世界を構築しようとする試みはさらにさらに繊細かつ大掛かりになっていると思います。
小さな小道具から、背景に見える世界まで、監督のこだわりが隅々まで行き届いているように思えます。
本シリーズの成功後、雨後の筍のようにファンタジー映画が作られましたが、未だに本作を越えると納得できるような作品が現れていないのは、やはりオタクと言われるピーター・ジャクソン監督のこだわりのためでしょうか。
今後越えるとしたら、ピーター・ジャクソン製作、同じくオタク監督と言われるギレルモ・デル・トロ監督の「ホビットの冒険」ですかね。

また本シリーズが他のファンタジー作品との違いを際立たせているのはそのテーマ性でしょう。
「指輪」が象徴する人間の心に存在する悪の側面。
独占欲、支配欲、猜疑心、嫉妬等、人間の心にはこのような悪意が間違いなく存在します。
心の悪しき側面は、安易さ、強大さゆえに軽々と人を呑み込もうとします。
本作に登場するキャラクターは多かれ少なかれ、これらの悪意と良心とのせめぎ合いに苦しみます。
それは「指輪」によるということではなく、そもそも人の心がそのような心を持っているということなのでしょう。
また人間というものは、この人は悪人、この人は善人と簡単に割り切れるものではありません。
「指輪」に取り憑かれたゴラムが多重人格になっているのもそのことを象徴しています。
ひとりの人間にも悪しき心と良き心がせめぎ合い、戦っているのです。
まるで本シリーズで描かれる善と悪の戦いのように。
良き心を全うするのは、力と覚悟が必要です。
成り行き任せでは善の道を歩くことはできません。
その道を歩くという決心がいるのでしょう。
フロドが指輪を捨てにいく旅で、アラゴルンが王に至る旅で、彼らは良きことを成そうとする決心をしているのですよね。
安易に流れない覚悟を彼らは心の中に抱くのです。
彼らの旅は決して楽なものではありませんでした。
3回にわたる本シリーズ、彼らといっしょに旅をした10時間で、観ている僕たちも良き心を全うする困難さを体験します。
けれども重荷を背負いつつ旅したその先には、なにか簡単には得難いものがあることも知ることができます。
彼らの旅から自分でも良き心を持つことへの勇気をもらうことができるシリーズでした。

「ロード・オブ・ザ・リング」の記事はこちら→
「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」の記事はこちら→

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本 「東京バッティングセンター」

最近のお気に入りの作家の一人、木下半太さんの新作です。
人気の「悪夢」シリーズは関西が舞台ですけれど、本作は東京が舞台になります。
主人公は、吸血鬼でありながらホストをやっているタケシ。
彼はもともとは不細工な面相だったために、美女の生き血にありつくために苦労を重ねたため、美容整形をして金城武似になったということでタケシという通り名に。
そういえば何故か映画や小説等で描かれる吸血鬼というのは美青年が多いですよね。
人間も美形は得ですが、吸血鬼も同じというのは、世知辛い感じです。
木下半太さんの小説の魅力は、登場するキャラクターのおもしろさによると思います。
先にあげたタケシも、吸血鬼ですが、真面目で押しが弱い巻き込まれキャラ。
他に登場するのは、「復讐屋」を営む元キャバクラ嬢で雪女の雪美、まるで人の心が読めるような弁護士土屋など、一癖も二癖もあるキャラクターたち。
これらの登場人物の掛け合いが楽しく、読み口も軽いのでサラサラと読み進められます。
連作短編のような作りなので、「悪夢」シリーズのようなドンデン返しはそれほど激しくありません。
最後のオチはあちらのシリーズを読んでいるとちょっともの足りない感じはありましたけど。

一カ所「悪夢」シリーズとのリンクがありました。
あちら読んでらっしゃる方はどこにあるか探してみては。

木下半太さん作品「悪夢のエレベーター」の記事はこちら→
木下半太さん作品「悪夢の観覧車」の記事はこちら→
木下半太さん作品「悪夢のドライブ」の記事はこちら→

「東京バッティングセンター」木下半太著 幻冬舍 ハードカバー ISBN978-4-344-01671-4

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「トランスフォーマー/リベンジ」 もうお腹いっぱいです

最近どうもハリウッドのビックバジェットの作品が楽しめない。
けっこう評判のよい「スター・トレック」にしても「ターミネーター4」にしても、「そこそこ楽しめる」というくらいで、「すんごいおもしろい!また観たい!」って感じにならないのです。
どうもこの手の作品に個人的に飽きがきているからなのか、どうなのか・・・。
少し前まではこういうのすごく好きだったんですけれどね。
さて、そんなハリウッドのビックバジェット作品の一つ「トランスフォーマー」の続編「トランスフォーマー/リベンジ」を観てきました。
前作「トランスフォーマー」はあっという間に変形するロボットのギミックに度肝を抜かれ、前のめり状態で頭から終わりまで観入ってしまった作品です。
前作を観終わったときに「これは続編がまた観たいぞ」と思ったら、すぐに続編製作が決定して、その公開を心待ちにしていたのでした。
ただ、冒頭に書いたように最近この手の作品をあまりおもしろいと思わないことが多いので、ちょっと不安もありました。

観終わった感想はというと、うーん?という感じ。
相変わらずのロボットアクションはさらに派手になっていますし、でてくるロボットの種類も数も前作よりずっと多い。
目を見張ったところもいくつかあったのですけれど、でもなんだか前作で受けた衝撃を超えるほどは感じられませんでした。
トランスフォーマーたちと人類の因縁みたいな要素が入ってきたからか、ややもすると話の焦点がぼやけ気味のように感じました。
特に中盤までがそのような感じが強いように思います。
サムは前作では典型的な巻き込まれキャラだったと思うのですが、本作ではいつの間にか運命の男的に扱われていて、そのあたりもしっくりしません。
もともとマイケル・ベイの作品にキャラクターの深みというのは期待をしてはいけないのですが、話が散漫になって、よりキャラクターも薄くなったため、ドラマ部分が弱い感じがするので、なかなか話に引き込まれません。
アクションパートはパワーアップしていたと思いますが、薄味のドラマパートとの落差が非常に大きい。
アクションもさらに画面の密度とスピード感がでていたので、観ているほうとしては情報処理量を超えてしまっているようなところもあり、ちょっと疲れてしまいます。

アクション映画といえども、新しい映像で驚かせられるのはやはり一回きりなのかもしれません。
それ以降はやはりキャラクターがしっかりと描かれ、ドラマが語られなければ作品としてもたないのでしょう。
もしアクションだけを見せるという踏ん切りがついているのなら、もっともっと短く2時間弱ぐらいでコンパクトにやったほうがおもしろい気がします。
今回はとてもとても長く感じました。
もうお腹いっぱいなのに、さらにこってりラーメンを食べてしまったときみたいです。
本日は二本くらい映画を観ようかなと思っていたのですが、お腹いっぱいな気分になったので、本作だけにしました。

不満点はいろいろあるのですが、オプティマスが、追加パーツをつけて空を飛べるようになったにはちょっと燃えました。
やはりロボットものは追加パーツで空を飛ぶのは定番ですからね。

前作「トランスフォーマー」の記事はこちら→

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