2017年4月 2日 (日)

「キングコング: 髑髏島の巨神」 東洋と西洋の邂逅

この作品、タイトルを見ると1933年の「キング・コング」のリメイクのような感じがするけれど(ピーター・ジャクソンの「キング・コング」はそうでした)、本作はどちらかというと東宝の「キングコング対ゴジラ」に登場するコングのイメージでした。
途中で大ダコと対決しますし。
アメリカのコングは大きくなったゴリラというイメージで、あくまでも動物の範疇であったような気がします。
それに対し、東宝のキングコングは猿型の怪獣というイメージですかね。
これ、似ているようで結構違う概念であると思います。
アメリカのコングはあくまで動物ですので、人間サイドから見るとあくまでモンキー。
誤解を恐れずに言えば、人間様よりも格下の大きなだけの動物という見方をしているように思います。
しかし、日本のキングコングは怪獣であり、なぜか日本人はそこに神を見るのですよね。
「キングコング対ゴジラ」でもコングは島の人々からは魔神として崇められていますし。
ゴジラもそうですが、巨大で人間のコントロールが及ばないものに対して神性を感じてしまう気性が日本人にはあります。
今回の「キングコング:髑髏島の巨神」は、髑髏島の住民から神として崇められているという点からしても、その存在は東宝版キングコングに近いかと思います。
その神性を主人公のジェームズやカメラマンのメイソンは感じますが、同行する軍人のパッカード大佐はそうは思わない。
彼は自分の部隊に対する脅威とだけ捉え、どちらかというと大猿ごときが優秀は人間を追い込むことに我慢がならないというように感じているように見えます。
これは巨大でコントロールできない物事に対し、それを受け入れ共存すること求めるか、逆に完全にコントロール下に収めようとするかという見方の違いと言えるでしょう。
東洋的なものの見方と西洋的なものの見方とも言えるかもしれません。
冒頭の第二次世界大戦のシーンはなぜあるのかということを考えると、最初からこの東洋的視点、西洋的視点が交錯するということを提示していたということなのかとも思えます。

レジェンダリーフィルムは今、「モンスターバース」というプロジェクトを進めているのだそう(初めて知った)。
これは巨大生物が存在する世界の一連のシリーズのようです。
アメリカ版「ゴジラ」の次回作はキングギドラとラドンが登場する予定で、その後本作のキング・コングとゴジラは対決するらしい。
まさに東宝怪獣映画の全盛期のような様相になってきています。
日本的な怪獣映画のシリーズがアメリカで作り続けられようとしていることが不思議な感じがしますね。

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2017年3月25日 (土)

「モアナと伝説の海」 社会のためという動機

こちらの作品もディズニーのプリンセスものの系譜に属するものになるのかな。
「プリンセスと魔法のキス」あたりから、つまりはジョン・ラセターがディズニーの作品に絡むようになってから、ディズニーのヒロインの性格は大きく変わってきたと思います。
ヒロインが王子様と結ばれてめでたしめでたしとなるのではなく、彼女たちは自分たちの力で自分の進む道を見つけていくようになってきました。
相手役の男性たちは、彼女たちの行動に引っ張られていく存在になってきました。
これは女性がたくましく自分の意思で行動していくという強さを持ってきている社会を反映しているのかもしれません(男性の草食化も)。
昔のディズニープリンセスはまさにお姫様で、良き夫を得ることが幸せであるという昔の価値観を表していたものかもしれないです。
本作の主人公モアナもまさに自分で自分の生き方を決めていく女性ですし、相手役のマウイも見てくれは強面ながら、やはり彼女に導かれていくわけです。
そういう意味で「モアナと伝説の海」も最近のディズニープリンセスの系譜にあると言えます。
とは言え「アナと雪の女王」ほどのカタルシスを感じられたかというと、それほど強くはなかったように思います。
なんでかなと考えたのですが、「アナ」や「ラプンツェル」はパーソナルな愛情であったり葛藤であったりをテーマの中心においているので、感情移入しやすいということがったのかなと感じました。
「アナ」は二人主人公で、姉妹それぞれの思いのすれ違いであったり、特にエルサの心の中の葛藤が物語をドラマチックにしていました。
「ラプンツェル」は自由や愛などの気持ちもありながらも、それを封じ込めようとする母へ愛情も持っているという葛藤がテーマでありました。
本作についてはモアナ自身の誰かへの感情というものが彼女を動かしているのではありません。
彼女は社会的な責任(世界を救いたいという思い)を果たそうということで、旅に出かけます。
これは今までのディズニーのヒロインにはなかった動機であると思います。
しかし、モアナは自分のため、自分の感情のためというよりも、社会のために行動しているためか、今までのディズニーのような感情移入しやすさはなかったように思います。
ただこれが悪いわけではなく、この作品が掲げているテーマは内に内にと籠っていこうとする社会の流れ(保守的な動き)に対して、新しいことにチャレンジすること、広い世界に目を向けることの大切さを訴えているものであると感じました。
自分のことばかり考えがちな社会の中で、社会のために行動するヒロインは今の時代を反映しているものなのかもしれません。

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2017年3月 8日 (水)

「ラ・ラ・ランド」 ミュージカルの力

以前はミュージカル映画をあまり好きではなかった。
映画の中で進んでいたドラマの途中で、突如出演者たちが歌い始めるのが、奇妙であるような感じがしたのだ。
劇中で歌うということを描くミュージカルはリアリズムとは対極の表現だと思う。
リアリズムの視点で言えば、日常の生活の中で突然歌いはじめる者などいるわけがない(いたら相当にアブナイ)。
ミュージカルは、人の行動としてはとっても不自然なことをしているわけだ。
そういう視点で自分にとってミュージカルは馴染みにくいジャンルだったわけなのだが、現在はそのような印象は持っていない。
というよりミュージカル映画は好きなジャンルになっている。
いつごろからかと思い返すとおそらく「シカゴ」あたりからだと思う。
それまで個人的にミュージカル映画の印象は古臭いイメージがあったのだが、「シカゴ」は映画的な派手なゴージャスな画作りで自分の中でイメージを一新した。
食わず嫌い的なハードルがなくなって素直に観れるようになると、意外にもミュージカルの劇中歌とはストレートにキャラクターの気持ちを伝えることができるものだということがわかってきた。
普通のセリフとしていうとかえって大仰に感じたりしてしまう言葉でもミュージカルならば言えてしまえるし、心情もストレートにそのまま口にすることができる。
だから人の気持ちを素直にまっすぐに描きたい物語はミュージカルに向いていると言える。
その視点において、本作「ラ・ラ・ランド」はミュージカルの良さを存分に発揮していると思う。
この映画は凝ったストーリー展開で観客を魅了するタイプの映画ではない。描かれているのは人が人を愛しているときの幸せな気持ちや、別れの後の切なさというとても普遍的なこころ。
セブとミアの二人が出会ったときの対立、愛し合い幸せに満ちた日々、すれちがいと挫折、その時々の気持ちが二人の歌にのせて表現されている。
歌を通じて二人の幸せや、切なさが素直に心に響いてくる。
このダイレクトに心に響かせることができるのが、ミュージカルの力なのだろう。
二人が出会い、愛し合い、そして別れるプロセスは誰しも経験したことがあるような典型的な恋愛だと思う。
だからこそその時々に感じた気持ちは観客の心の中にしまわれていて、セブやミアの素直な気持ちがのった歌に揺さぶられるのだろうと思う。
「ラ・ラ・ランド」はミュージカルでなければ陳腐な恋愛ドラマになっていたかもしれないが、ミュージカルとして作られたことにより、多くの観客の共感性を得られる作品になることができたのだろう。

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2017年3月 3日 (金)

「ミス・ペレグレンと奇妙なこどもたち」 他の人と違うことは弱みではなく、個性

ティム・バートンらしい作品。
彼の作品には、周囲になじめない奇妙な人々が登場することが多い。
「シザーハンズ」しかり「バットマン」シリーズしかり。
これらの作品では、社会になじめない人々は他の人とは何か違うというだけで、社会的に隅に追いやられてしまうことが描かれている。
最近の作品では「ビッグ・アイズ」の主人公マーガレットも社会になじめなかった人とも言える。
ティム・バートンの目線はそのような奇妙な人々に対してのシンパシーに満ちている。
彼は変わっていること自体をおおらかに、その人の個性として尊重して描いている。
透明人間であろうが、空気よりも軽かろうが、すべてを燃やしてしまう力を持っていようが、それはその子の個性であると肯定している。
聞くところによればティム・バートン自身も相当に変わっていた子供だったようなので、それが彼の作風にも表れているのだろう。
トランプ政権後のアメリカ社会、また最近のヨーロッパ等ではマイノリティに対して、以前よりもさらに厳しい態度をとるようになってきている。
日本でもヘイトスピーチを巡る問題が上がってきているが、同様な雰囲気を感じる。
非寛容さが蔓延してきている社会の行く末を想像すると恐ろしくもある。
ティム・バートンの初期作品では異端者・異能者は迫害されたり、搾取されたりした中で、割と悲劇的な方向の結末である印象がある。
それが彼特有のもの悲しさを作品全体にトーンとして与えていたように思うのだが、最近はちょっと変わってきている印象もある。
どのあたりからかとは明確には言えないのだが(「アリス」あたりかと思うが)、異端者・異能者が虐げられる弱者としてではなく、最後には反撃することができる人物に成長していくさまが描かれているように思う。
これは主人公たちが自分自身を認めることができる力を持つことができるようになってきているとも言える。
変わっていることにより迫害され弱者として生き続けるのではなく、自分はこうであると認め、それを周囲にも認めてもらうことができる自立できる人間として描こうというような印象を受けるのだ。
本作でもジェイクは自分自身と子供たちのために、彼らを搾取する人々と戦う。
世の中の雰囲気は非寛容へと触れていて、社会になじめにくい人々はより一層生きにくい社会になってきているわけではあるが、それらに対し、自分自身を主張できる強さは持っていたいというメッセージなのかもしれないと思う。
他の人と違っていることは個性であり、個性は大事な力であるのだろう。

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2017年2月 6日 (月)

「マグニフィセント・セブン」 「七人の侍」の素晴らしさを再確認

「荒野の7人」のリメイク作品です。
監督はアントワーン・フークアなので男っぽい雰囲気に仕上がっていて好感が持てます。
「荒野の7人」自体がそもそも黒澤明監督の「七人の侍」をベースに作っているわけですが、本作を観ると「七人の侍」のプロットがすばらしく優れているということが改めてわかりますね。
無法者に搾取されている村の農民たちが、七人のアウトローを雇い、悪人たちを追い払おうとします。
アウトローたちは農民たちのなけなしの金を受け取り、彼らのために戦いますが、ひとりまた一人と命を落としていきます。
そのおかげで彼らと農民は無法者たちを追い払うことができ、村には平和が訪れます。
これが「七人の侍」のプロットですね。
まず優れているのがアウトローたちがそれぞれに個性的であること。
様々なバックボーンを持った男たちが偶然に集まり、無法を許さず村人たちを守るということのために戦います。
本作においても、若者から壮年まで年齢も幅広く、白人・黒人・東洋人・メキシカン、・ネイティブアメリカンなど人種も様々、南北戦争で南軍に属していた者、北軍にいた者など出自もいろいろです。
バックグラウンドが違う彼らですが、目的のためにいつしか固い絆を作っていきます。
それぞれ戦うことに関してはプロフェッショナルであり、それぞれにリスペクトを持っていくわけです。
七人の男たちが次第に結束を高めていくプロセスによって観る者が共感を高めていけるんですよね。
また決戦において一人またひとりと命を落としていく姿もぐっとくるものがあります。
自分の信じる正義のために戦い、そのために命を落とすというのは、やはり男のロマンのようなところはありますよね。
そういう姿は素直にかっこいいと思ってしまうところはあります。
そして最後には悪は敗れ、平和が訪れるというのも見ている側としてカタルシスを感じます。
七人のメンバーが全員死んでしまうというわけではないというもいい。
あまりに悲劇に寄りすぎても、ハッピーな気分にはなれないので。
こう見るとこの作品を観ていいなと思うところはすべて「七人の侍」のプロットに含まれていることなのですよね。
いかにこのプロットが優れているかどうかがわかります。
「七人の侍」にあってこの作品にないのは、実は農民は子狡く、そしてたくましく生きているということ。
ここに黒澤明は生命力のようなものを重ねていたように思いますが、この感覚は本作にはありません。
アメリカ人にはわかりにくい感覚かもしれないですね。

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2017年2月 3日 (金)

「ドクター・ストレンジ」 次期アベンジャーズのキーマン?

マーベルのニューヒーロー「ドクター・ストレンジ」を観てきました
個人的にはまったくこちらのヒーローについては知らなかったのですが、アイアンマンにしてもソーにしても同じ状況だったので、すぐに馴染むでしょう。
マーベルのヒーローをよくよく見てみると次のように大別できるかと思います。
1.テクノロジーによってパワーを補強するもの(アイアンマンとかアントマン等)
2.鍛錬などによって人間離れしたスキルを身に着けるもの(ブラック・ウィドゥとかホークアイ等)
3.テクノロジーとは異なる異次元のパワーを持っているもの(ソーとかスカーレット・ウィッチ等)
今回のドクター・ストレンジは3番目のカテゴリーですかね。
ドクター・ストレンジは空間と時間を自在に操る力を持っています(時間についてはアイテムが必要なのと、リスクを伴うために自在にとはいかないかもしれないですけれども)。
空間を自在に操るという力は今回の作品でもいくつもそういう場面があり、「インセプション」のように空間がねじられるような描写は映像的にも見ごたえがありました。
3Dで観たので、けっこうくらっときましたよ。
マーベル・シネマティック・ユニバースでは数々の超人が登場してきましたが、時間と空間を操る力を持つヒーローはいなかったと思います。
私の予想では今後「アベンジャーズ」などで「X-MEN」シリーズのようなタイムリープ的なエピソードが出てくるのではないかと思います。
今回のラストもまさに時間を遡る力で相手を打ち倒しましたから(というよりは根負けさせる)。
相手を倒すのではなく、あきらめさせるという結末は新鮮でした。
本作でも並行宇宙というキーワードが何回か出てきましたし、時間に関わる話になりそうな予感があります。
また空間を操る力を持っているということで銀河の彼方にいる「ガーディアン・オブ・ギャラクシー」の面々を呼び寄せることもできますよね。
ドクター・ストレンジは次期「アベンジャーズ」のキーマンになりそうな気がします。
物語としてはドクター・ストレンジの登場篇ということで、物語的にはそれほど変わったところはなく定番のヒーローものとして仕上がっていたと思います。
本作のヒロインはレイチェル・マクアダムス。
好きな女優さんなので、もうちょっと出てほしかったですけれど。
歳を重ねていっても可愛らしい女優さんです。

エンディングを観るとドクター・ストレンジはソーの新作に出そうな感じですね。
両方ともマジック的なパワーを使うので、相性はいいかも。
「アベンジャーズ」の新作にも出るのかな。
そのときはスタークとストレンジのゴーマン対決が見ものですね。

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2017年1月15日 (日)

「この世界の片隅に」 当たり前のこと、大切なこと

昨年後半よりしみじみと話題になってきていたアニメ映画「この世界の片隅に」を見てきました。
ほのぼのとしたタッチの絵柄ではあるのですが、描いているのは太平洋戦争の頃で、なかなかに深そうなテーマであるので、観にいくのを躊躇していたところもあるのですよね。
結果的には最後に滝の涙になってしまいました。
主人公のすずは戦争という時代の中でも、日々ご飯を作ったり、着物を縫ったり、家族や旦那さんのお世話をしたりととても日常な生活を毎日繰り返しています。
配給がどんどん厳しくなって手に入るものが少なくなってきたり、空襲警報のサイレンが鳴り響くタイミングが間がなくなってきたりと戦争が間近になってきているわけですが、それでも日々の生活を暮らすための日常的な仕事は代わりません。
それを家族のためにしっかりと行っていくことが、すずの生活の全てであったのですね。
けれどもそういったすずの世界の外では戦争が着実に進んでいます。
幼馴染の晢が一時帰ってきた時はそういった変わらないすずの姿を彼は愛しく感じました。
多分彼が戦っている南方は非人間的な行為も行われていたことでしょう。
だからこそ晢は変わらない日常の象徴であるすずが愛おしく感じたのでしょうね。
夫の周作にしてもすずがいる場所が彼の戻るべきところでした。
しかし、すずのお母さん(おばあさんだったか?)がこのような意味のことを言っていたと思うのですが、「(戦争になって)驚くようなことが起こったが、それに驚かなくなってきている」、つまりは非日常的な戦争が次第に普通の生活の中にも次第に侵食してきているということなのですよね。
すずが営んできていた普通の生活、それは呉への空爆で決定的な変化を強いられます。
すずは姪の晴美を目の前で失い、そしてまた自分の右手も失ってしまいます。
彼女の右手は大好きな絵を描くための手、そして家族のお世話をするための手。
右手は平和で日常的な日々を営むことの象徴でした。
それは強引に奪われてしまいました。
自分にも子供ができたからか、日々の当たり前のような生活がとても愛おしい。
そういった普通の日々がずっと続いてもらいたい。
世の中に影響力があるような大それた人物なんかでなくてもいい、この世界の片隅で当たり前の生活を送れていればそれでいいと感じます。
それを強引に終わらすようなことが起こらなければいいと、強く感じました。
すずが玉音放送を聞いた後に怒りに囚われたのは、そんな大切な日常を奪ったのにもかかわらず、あっさりと配線を認めてしまった人々へ思わず沸き立ったものなのでしょう。
自分の右手、晴美のいのち、母や兄のいのち、そんな掛け替えのないものがなくなったのに・・・。
戦争はとかくマクロな視点で語られます。
それは仕方がないことではあると思います。
しかし、とてもミクロな視点で眺めることもかたや大切なのですよね。
そこに普通に生きる人々がどのようになっていくのか。
どう感じるのか。
当たり前はいつも同じようにあるから、その大切さを感じにくいものですが、なくなった時それがかけがえのないものであることがわかる。
この映画を観て、自分の周りにある当たり前のこと、そしてそれがどんなに大切なものであるかを改めて感じました。

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2017年1月 6日 (金)

「新宿スワン」 掃き溜めの白鳥

園子温監督の作品はあまり見ることがなかったのですが、こちらの作品「新宿スワン」をお正月休みに観てみました。
彼の作品で観たことがあるのは、テレビドラマの「時効警察」くらいじゃないでしょうか。
どうも園監督の作品はけっこうヘビーな印象があって、観るのにけっこう心理的にエネルギーが必要な感じがしていて、なんとなく避けてたんですよね。
今回については正月休みの時間があるときに、自宅で映画を観ようということになり、嫁の希望は綾野剛さんか山田孝之さんが出ている作品が良いということで、お二方が出ている「新宿スワン」にしようということになりました。
1作目はヒットもして続編も作られるという情報があったので、あまりえぐくはないだろうという読みもあり。
とはいえ歌舞伎町が舞台のスカウトマンの話なので、風俗の話などもバンバンでてくるので嫁と一緒に観ているとやや気まずいところもありましたが(笑)。
さて作品はというと、長尺の作品ではありながらも、想像していたよりもずいぶんと観やすい作品でした。
園監督はとっつきにくいというイメージがあったので意外ではありましたが、食わず嫌いでしたかね。
魅力的であったのは、綾野剛さん演じる主人公白鳥龍彦のキャラクターですね。
歌舞伎町のスカウトマンの話なので、登場人物たちは腹に一物を持っているような人間ばかりです。
ある意味、ゲスな人間が多く登場するわけですが、その中にあって龍彦だけが純粋に自分が世話をする女の子の幸せを考えて行動しています。
それは最初から最後まで変わらない彼の行動原理で、そのブレなさ加減が気持ちいい。
なかなか自分の思うようにならない世の中でストレスを持っていたり、自分を無理に合わせたりしている人(自分も含めて)が多い現代で、彼のブレない姿勢に爽快感を感じます。
汚れた街の中で、彼の気持ちだけは穢れない。
彼の名字の「白鳥」はその穢れなさを表し、名の「龍彦」は彼の生き方を貫くためのの激しさを表しているようにも感じます。
まさに歌舞伎町(掃き溜め)の白鳥。
この場合は見てくれの美しさというよりも、生き方の美しさというものなのですけれど。
彼自身は彼の生き方に深い考えがあってそう生きているわけではなく、もっとピュアで素直な気持ちなのですよね。
「バカ」とも言えるわけですが、そういうまっすぐさが気持ちいい。
2作目は劇場で観たくなりました。

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2016年12月30日 (金)

20156年を振り返って<映画>

そろそろ2016年も終わりますので、恒例の1年間の振り返りを行いたいと思います。
今年の鑑賞本数は44作品で、過去最低だった去年を更に下回る本数になってしまいました。
年明けすぐに長期で海外出張に行ったり、子供が生まれたりと公私ともどもいろいろあったため、劇場に足を運ぶ時間を都合つけるのがなかなか難しかったですね。
それでもがんばったほうではないかと。
どちらかというとレビューを書く時間がないのが、悩みの種でしたね。
今までは鑑賞後すぐに書いていたのですが、数日後、下手をすると二、三週間後などに書いていることもあり、観終わってすぐのフレッシュな感想ではなくなってレビューの内容が薄くなる傾向にあったのは否めません。
来年は本数は稼げなくても、内容はもう少し充実させたいですね。

1.「オデッセイ」
2.「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」
3.「64 (前編)」「64(後編)」
4.「レヴェナント:蘇りし者」
5.「君の名は。」
6.「シン・ゴジラ」
7.「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」
8.「スター・トレック BEYOND」
9.「スポットライト 世紀のスクープ」
10.「ズートピア」

1.「オデッセイ」
こちら2016前半の作品なのですが、1位にあげさせてもらいました。
この作品の好きな点は、人類の知恵や思いやりということにとてもポジティブなところですね。
最近の映画は未来というと暗いイメージが多い作品が多いのですが、人間という生き物は色々あっても、知恵や良心で困難を克服できるのだという気にこの作品はしてくれます。
またSF的にも考証がちゃんとされていて、ファンタジーでないSFを久しぶりに映画で楽しませてくれました。

2.「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」
こちらはファンタジーの方のSFですね。
古くからの「スター・ウォーズ」ファンとしてはEpisode4に繋がる話ということで気分が盛り上がりました。
しかし、記事の方でも触れたのですが、フォースを持たない人々に焦点を当てるという点では「スター・ウォーズ」シリーズとしては新しい試みでもありました。
こうやって上手に「スター・ウォーズ」の世界を広げてくれると毎年ファンとして楽しみに待つことができますね。

3.「64 (前編)(後編)」
軽いタッチの邦画が多い中で、骨太の警察ドラマを味あわせてくれました。
事件自体の謎を解いていくという面白さもありましたが、佐藤浩市さん演じる主人公の気持ちが深く描かれていて見ごたえがありました。
後編の最後の方の佐藤さんと緒形直人さんの河原のシーンは圧巻でした。
あと永瀬正敏さんの抑制した演技も素晴らしかったです。

4.「レヴェナント:蘇りし者」
こちらも主人公を演じるディカプリオの演技が圧巻でした。
追い込まれて追い込まれて撮ったという、演技者の魂のようなものを感じます。
ディカプリオは上手い役者だと思うのですが、なかなか評価されてこなかったので、この作品で認められて良かったです。
もちろんアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの映像美も素晴らしい。

5.「君の名は。」
今年の邦画を席巻した作品の一つ。
年末だというのにまだロングラン上映を続けています。
この作品、とても計算されて作られているという感じがしました。
そういう点でとてもプロらしい。
新海監督はアマチュア感というかインディーズな印象を持っていましたが、とても見る側のことを考えて作っている感じがします。

6.「シン・ゴジラ」
多くの人がこの作品を1位するのではないかと思うのですが、私はちょっと低め。
元々「ゴジラ」への思いがあるため、どうしても辛口になってしまうというのが一つ。
あとはやはり「エヴァンゲリオン」を彷彿とさせるので、それなら早くエヴァ作ってよと庵野監督に言いたいって行こうとがもう一つの理由。

7.「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」
マーベルが長年にわたって構築してきた「マーベル・シネマティック・ユニバース」の一つの頂点とも言える作品ですね。
ここに至るまでの全ての作品が「シビル・ウォー」のドラマティックな盛り上がりに貢献していると思います。
それに比べDCの映画化作品は、急ぎすぎ。

8.「スター・トレック BEYOND」
「スター・トレック」らしさをしっかりと理解している人が作っているとわかる作品です。
「フォースの覚醒」とこの作品を見ると、「スター・ウォーズ」は基本的にファンタジーで、「スター・トレック」はSFであることがわかると思います。

9.「スポットライト 世紀のスクープ」
渋めの作品も一つ入れておきました。
なかなかこういう作品は見る機会が減ってきてしまっているのですが・・・。
お話も面白かったですし、出ている役者さんがいいところをおさえているのですよね。
マイケル・キートン、レイチェル・マクダアムズ、マーク・ラファロ、みんな好き。

10.「ズートピア」
ディスニーではありますが、ダイバーシティとか色々と深いところをテーマにしています。
ピクサーのジョン・ラセターが絡むようになってディズニーのアニメは格段にレベルが上がりました。
クリエイターはそうそう変わらないと思うのですが、彼らの力を引き出せる体制になったということですよね。

さてワーストの方ですがこちらになります。
「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」
「テラフォーマーズ」
「10 クローバーフィールド・レーン」
「スーサイド・スクワッド」
「デスノート Light up the NEW world」
つまりは二匹目のドジョウ的なことを考えるとダメということです。
三池さんは最近ちょっと外しているぞ。

今年はレスがかなり遅くなってしまいました。
そういう状況が続くと思いますが、来年も何卒よろしくお願いします。

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「バイオハザード:ザ・ファイナル」 原点回帰

「バイオハザード」シリーズの6作目にして最終作(最終作になるはず)。
結局1作目を撮ったポール・W・S・アンダーソンが最終作も監督となりました。
彼の「バイオハザード」愛と奥さん(ミラ・ジョボヴィッチ)ラブは半端ない。
本作の舞台はシリーズの出発点であるラクーンシティに戻ります。
物語の原点ハイブへアリスはTウィルスを根絶できる薬を手に入れるため再び侵入をします。
そういう意味では原点回帰、1作目が思い浮かぶストーリーで、シンプルな展開ではあります。
監督もずっとこのシリーズに関わっているわけですので、奇をてらうことはなく、「バイオハザード」とはかくあるべきという安定感のある展開になっています。
そのため驚きということはないのですが、シリーズを全部観てきた自分としては安心して観れました。
ワンパターンちゃ、ワンパターンなんですけれど。
しかし、この監督はカット割りが細かいので観ていてちょっと疲れます。
しかも3Dで観てしまったので。
一応ファイナルということで、アリスを中心にアクションも作られていましたね。
彼女は身体能力も元々高いですが、相変わらずキレがいいです。
2児の母には思えないですね。
これにてこのシリーズは終了ということですが、最後はまた作ろうと思えば作れそうな感じで終わりましたね。

日本からはローラさんが出演!と取り上げられていましたが、ほぼ瞬殺でしたね。
アンデッドになって襲ってくるかと思いきや、喰われて終了でありました。

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