「港のひかり」 強さとは何だ
藤井道人監督はアウトサイダーを描いている印象が強い。
ここで言うアウトサイダーとは社会の枠組みからはみ出してしまった者たちである。
昨年多くの映画賞を受賞した「正体」では、冤罪を着せられてしまった男、鏑木は名前と顔を変えながら、社会の片隅で身を隠しながら生きていた。
また「ヤクザと家族 The Family」では、社会における居場所を失ってしまったアウトサイダーとしてのヤクザが描かれている。
かつてヤクザという存在は日本映画においては一つのジャンルとなっていた。
高倉健が主人公を演じていた時代はある種のヒーローとしての立ち位置であり、北野武監督の作品などに登場するヤクザは極悪非道の悪の存在である。
善悪それぞれの面で描かれていたヤクザであるが、共通しているのは一般人にはない強さであるかもしれない。
この強さには暴力的な強さという側面もあるが、もう一つは精神的なものもあると思う。
義理とか仁義などの信念に対し、命を賭すほどの精神的な強さ。
それら複合した強さが一般人からすれば恐れ、そして畏怖の対象となっていたのがヤクザであったのかもしれない。
(これはあくまで物語上のヤクザの話である。現実世界のヤクザはそんなものではないと思う)
「ヤクザと家族 The Family」が新鮮だったのは、そのヤクザを題材としながら、現代のヤクザを弱者として描いたところであった。
警察の対暴力団の活動は近年激しくなり、どの暴力団も苦しい状況と聞く。
そして一般人からの目線も厳しい。
かつてあった畏怖のようなものはすでになく、この作品の主人公元ヤクザの山本はただ社会からはみ出した者として排斥される姿が描かれる。
「港のひかり」の主人公の三浦は、「ヤクザと家族」の山本がそのまま生きていたら、というような存在にも見えてくる。
義理や仁義という信念を心に持ちながら、社会の片隅で生きている。
「ヤクザと家族」において山本が尊敬するオヤジを演じていたのが本作の三浦役の舘ひろしであるのも興味深いところだ。
三浦は若頭の頃、心酔するオヤジに「強さとはなんだ」と問われる。
うまく答えられられない三浦に向かって、オヤジは答えを言う。
「誰かのために生きられるか」
本当の強さとは自分のために生きるのではなく、誰かのために自分の生をかけられるかということだ。
三浦はその言葉を胸に秘めて生きていく。
そしてある日、三浦は目の見えない少年幸太に出会い、彼のために生きていくことになる。
そして幸太も間近で三浦の生き方を感じることにより、彼の精神、強さを受け継いでいく。
三浦が所属していた河村組の面々、特に組長の石崎は、三浦とは対照的である。
三浦が精神としての強さを象徴しているのに対し、彼らは暴力としての強さを表している。
暴力としての強さは他者を犠牲にして自分のために生きていく。
弱肉強食の世界であり、もし隙が出た場合は、より強い者に食われてしまう。
石崎の懐刀であった八代の最後の行動などはそれを端的に表していると思う。
十数年ぶりに二人が再会した時、幸太はこう言う。
「おじさんだったらどうするか」
悩んだ時に三浦だったらどのように行動するか、と考え幸太は人生の岐路で答えを出してきていた。
誰かのために生きる、ということを第一に考えた時にどう自分は行動するべきか。
おじさんの存在、おじさんの生き方は幸太にとって生きる指針であった。
真夜中に海原を進む船にとって帰る場所を示す「港のひかり」であったのだ。
そして幸太に対し、三浦は
「強くなったな」
と答える。
自分の生き方を受け継いでくれる者を得られ、自分の人生が決して無駄ではなかったと思えた瞬間であったのだろう。
ヤクザ、警官と立場は真逆ではあるが、「誰かのために生きる」という信念は伝承された。
本当の強さが。

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