2022年6月23日 (木)

「峠 最後のサムライ」古臭い価値観

母親が時代劇が好きで、子供の頃からよく見ていたせいか、このジャンルのものは嫌いじゃない。
特に幕末期は時代が変わろうとする時であり、さまざまなドラマのある作品が作られてきていて、魅力的であると思う。
古来より続く日本人的な価値観、進歩的で自由な価値観、どちらが正しいということではなく、その両方が今の日本人のベースになっているようにも感じる。
だから幕末期は倒幕派、佐幕派のどちらの立場に立っても共感できるドラマを感じることができる。
本作の主人公河井継之助は幕府譜代の長岡藩の家老である。
彼は戊辰戦争において新政府軍と戦い、結果敗れ、その時に負った怪我のために死ぬ。
義のために戦い死ぬ、というサムライらしい生き様をした人物として描かれている。
が、私が映画で描かれているこの人物を見たときに感じた印象は「古くさい」であった。
映画そのものもオーソドックスな時代劇であり、別段何か優れているものがあったという感じがなかったということもひとつかもしれないが、この主人公にあまり共感することがなかったのだ。
個人的には昔気質の日本人にある、義に生きるという価値観は嫌いじゃない。
そのようなドラマを見て、グッとくることも多々ある。
しかし、本作についてはそうは思わなかったのだ。
まず、彼は最初は迫ってくる新政府軍を前にし、長岡藩はスイスのような中立的な立場をとるという判断をする。
しかし、天下がひっくり返ろうとしている時に、そのようなことを新政府軍が認めるわけがない。
継之助は西洋の制度にも明るく新しいことを取り入れる人物のようだが、あまり状況が読みきれていないようにも思える。
政府軍との交渉はうまくいかず、結果的に長岡藩は新政府軍と戦闘に入る。
その時も継之助は可愛がっていた宿の娘に「勝てはしないが負けもしない」と言うが、結果敗退をしてしまう。
長岡軍は会津へ向かい、長岡は西軍に蹂躙される。
継之助は理想を持ち、義を大事として、戦うものの、先読みができているとは言えず、そのため藩民は苦難を味わう。
本人はいいかもしれない。
理想を追い、正義を貫き、死ぬのだから。
本望かもしれない。
しかし、それについていった者たちは・・・。
ある意味、自分勝手といってもいいだろう。
夫(もしくは上司)は我を通して、妻(部下)は黙ってそれに付き従う。
あまりに古臭い価値観で辟易としてしまったのが、正直なところ。
見にいった劇場の観客の方々もかなり高齢者の方が多く、見終わった時にそこに納得してしまったりもしたものである。

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2022年6月15日 (水)

「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」アムロの兵士としての成長

ファーストガンダムの中でも異色のエピソードである第15話
「ククルス・ドアンの島」。
「作画崩壊」とネタにされることも多い回ですが、戦争を描いたエピソードとして印象が強いです。
ファーストガンダムは前半はアムロの少年から戦士への成長を、後半はさらにニュータイプへの覚醒を描いているのがストーリーの本筋ですが、その大きな流れの中で挟み込まれている1話完結の回で、戦争を間近な視点で描いている特異なエピソードがいくつかあります。
第13話「再会、母よ…」では戦争の渦中に突然放り込まれ戦士として成長せざるを得なかったアムロに対し、その外側に立ち彼を非難する母親カマリアを描くことにより、当事者と傍観者の超えにくい断絶を浮き彫りにして、戦争を表現します。
また第28話「太平洋、血に染めて」での戦下で戦争と折り合いをつけながら懸命に生きるミハルの悲劇は、一般市民視点での戦争の平等性(誰にも差別なく悲劇が起こりうる)の容赦なさを感じさせます。
この2話はアニメの中の戦争がフィクションとして描かれていることが多い中、リアルな手触りを持って描写されていて強い印象を残しました。
ちょうどウクライナでの戦争が展開されている中で、我々はニュースなどの報道を通じてそれを見ていますが、どうしても傍観者の視点になってしまいます。
第33話「コンスコン強襲」で、ジオンとホワイトベースの戦いを中継で見ている市民たちが描かれていますが、それと同じ視座です。
この話では同じようにガンダムの戦闘をテレビで見て狂喜するアムロの父、テム・レイも登場しますが、戦争を傍観者としている点でカマリアと同じです。
第13話、第28話はそのような傍観者としての視座ではなく、戦争が引き起こす出来事を市民の視点を入れて描くことにより、見ている者にリアルな手触りの戦争を感じさせます。
この映画の元となった第15話「ククルス・ドアンの島」もそのようなエピソードであったと思います。
タイトルに名前が出ているドアンはジオン軍の脱走兵であり、戦争孤児となった子供たちを隠れながら守り育てています。
彼はジオン軍の中でも実力がある戦士であり、使い古されたザクを駆り、子供たちを守るため訪れる連邦やジオンのモビルスーツを屠ってきました。
この辺りはテレビのエピソードと同様なのですが、映画は異なる点もいくつかあります。
映画は監督である安彦良和氏のオリジン版をベースにしているということで時間軸が異なります。
テレビ版ではドアンの島をアムロが訪れるのは地球降下後割とすぐですが、オリジン版ではジャブロー戦以降となっているとのこと。
これで何が違うかというと、おそらくアムロが兵士としてどの程度成長しているかということだと思います。
テレビ版ではまだ兵士としての自覚はあまりない状態(ブライトに張り倒される前ですので)ですが、おそらく映画ではジャブロー戦を経て、兵士として行動できるようになっているような気がします。
それが如実に出ていたのが、アムロがガンダムで生身のジオン兵を踏み潰してしまうシーンです。
これはかなりショッキングなシーンではありましたが、兵士としてのアムロとしては、あそこでジオン兵に発見され部隊に連絡されれば、子供たちが危機にさらされるため、手段を問わず、止めなくてはいけなかったのだと思われます。
兵士としてのアムロからすれば、子供たちの世話をするドアンの行動は奇妙にも感じられますが、まだ一般市民の頃の気持ちも持ち合わせている彼は、共感できるところもあったのだと思います。
心情的には兵士と市民の端境にいるのかもしれません。
テレビでも映画でもアムロはドアンに「あなたがまとっている戦争の匂いのせいだ」と言いますが、テレビの場合はまだ戦士にもなっていない少年の言葉としては少々背伸びしすぎているような印象もありました。
しかし映画では兵士として行動できるようになっているアムロですので、このセリフも言ってもおかしくないと感じました。
このアムロは巻き込まれて生きるために戦っているのではなく、兵士として自覚を持って戦争に向かい合っているからです。
そんな彼が、自覚が持って戦争を降りたドアンに対し、降りるのであればしっかり降りねばいけないというアドバイスを送ったのだと感じました。
本作で描かれる戦闘は小規模な局地戦であり、俯瞰した戦争というよりは人間の目線からの見上げる戦争のように感じます。
それは戦争の中にいる市民の目線である訳ですが、アムロはそこから意志を持って戦争というものに向き合っていこうとしているということを強く感じました。

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2022年6月12日 (日)

「ハケンアニメ!」それぞれのリーダーシップ

映画やアニメの制作は集団芸術です。
その制作のトップにあるのはディレクター(監督)になりますが、集団芸術ゆえの困難さがあります。
学生の頃、映画サークルにいた時、一、二度短編映画の監督をやってみたことがありますが、正直自分には向かないなと思いました。
映画作品を作り上げるにはとても強いリーダーシップが必要であることに気づきました。
加えて自分の中にイメージする力があり、そしてそれをスタッフに伝える力が必要です。
自分に対して自信がないと、多くの人を動かすことはできません。
強いリーダーシップには、時には強引さも必要ですが、また相手に対するリスペクトも必要です。
独りよがりでは誰もついてこなくなりますし、自信がなければそれもまた誰もついてきません。
必要なのは思いの強さです。
本作では同じ時間帯に放映されるアニメを作る二人の監督がそれぞれ描かれますが、性格が全く異なります。
一人は天才と呼ばれる王子監督。
誰にも認められる才能があり、その才能を信じてチームが集まってきています。
チームのメンバーは彼を信じ苦しくても苦しくても付いていこうとしますが、その分、出来上がりに関しての責任は彼が背負わなければなりません。
これは集団芸術と言いながらも、非常に孤独であり、大きなプレッシャーに潰されそうになるかと思います。
私も仕事でCM制作に関わっていますが、大勢のスタッフがいる中で異なることを言うのは非常に勇気があります。
考えに考え抜いて発言しますが、そのプレッシャーたるや・・・。
王子監督は強いリーダーシップがあるようには思えませんが、彼を信じサポートして彼の代わりにチームをまとめ上げるプロデューサーがいました。
彼女無くして王子監督は作品を作り上げることはできなかったでしょう。
王子監督に対抗する新人は佐藤監督です。
彼女の場合はスタッフに信用される実績はまだなく、まずスタッフに彼女のやりたいことを理解してもらう必要があります。
彼女はなぜスタッフが自分が思うとおりにやってくれないか悩みますが、それも道理です。
まず彼女に必要なのはスタッフへのリスペクトです。
しかし、スタッフの言うことばかり聞いていると、次第にそもそもやりたかったことのイメージから乖離していってしまいます。
その上で、彼女のやりたいことを丁寧に伝えて、共通のビジョンをチームで共有していく。
それが必要です。
王子監督にしても、佐藤監督にしてもやり方は違えどそれぞれのリーダーシップを発揮しています。
そしてリーダーシップには自分の思いの強さが必要です。
思いがないと挫けてしまう。
それを改めて確認させてもらいました。
「サウンドバック」は面白そうな作品だと思いました。
ちょっと見てみたいですねー。

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2022年6月 4日 (土)

「トップガン マーヴェリック 」前作へのリスペクト溢れる

社会現象ともなった「トップガン」から35年以上経っての続編の公開です。
当時私は高校生で、もちろん「トップガン」にはハマりました。
本物の戦闘機F-14トムキャットを使った空中戦のシーンにはまるでコクピットにいるかのような感覚になりましたし、ドラマ自体は複雑ではないので高校生的にも分かりやすいながらも、最高峰を目指すパイロットたちの戦いと友情に胸熱になったものでした。
自分のミスによる事故によって親友でありバディでもあるグースを失い、打ちひしがれる主人公マーヴェリックは、ライバルであるアイスマンや恋に落ちる女性教官チャーリーに支えられ立ち直ります。
今考えると非常に少年漫画のようなキャラ設定ではありますが、だからこそ分かりやすく皆に受け入れられたような気がします。
そのような非常に思い入れの強い作品の続編(特にすごく前の作品)は、自ずとそのハードルが上がっていきます。
また新解釈などにより、自分が好きであった部分が変わってしまうことへの心配などもあります。
しかし、本作では海外評もかなり絶賛であったので、ひとまず安心しておりました。
そして鑑賞してみると、前作へのリスペクトあふれ、そしてさらに映像表現は超えてくるものとなっておりました。
まず、オープニングで製作会社のタイトルが出るところで驚きがありました。
ドン・シンプソン&ジェリー・ブラッカイマーとなっています。
この二人は当時のプロデューサーですが、ドン・シンプソンは既に亡くなっているため、現在はジェリー・ブラッカイマーしか名前が出てきません。
しかし、本作に限って今回は当時のまま二人の名前が入っています。
そしてオープニングですが、夕方での空母での戦闘機の離着陸シーンから始まります。
BGMはもちろん「Danger Zone」。
戦闘機はF-14からF/A-18となっているものの、アングルなども当時と同じようなところを狙っていて、見ていると一気に「トップガン」の世界に戻っていきます。
このオープニングによって、今回の製作陣が前作に対して非常にリスペクトを持っていることを感じさせてくれました。
前作へのオマージュを感じるシーンは他にもいくつもありました。
トムがカワサキのバイクで疾走するシーン、ビーチで戦闘機乗りたちがアメフトをするシーン(旧作はビーチバレーでしたが)、バーで海兵たちが歌を歌うシーンなど。
特にバーで海兵たちが歌うシーンは印象的でした。
前作ではマーヴェリックの相棒であったグースがピアノを弾きながら歌う曲を今回は、その息子であるルースターが同じように歌っているのです。
そのシーンに前作のシーンがフラッシュバックのように重なります。
その時のマーヴェリックが感じている気持ちを見ている我々も同じように感じることができるシーンでした。
前作と同じようなシーンが重なると、ただなぞっているだけにも見えかねません。
しかし本作はマーヴェリックが過ごしてきた年月を感じることができます。
それがマーヴェリックとルースターの関係性です。
マーヴェリックは父親を奪ってしまったという負い目を感じ、ルースターを危険からなるべく遠ざけようとしてきました。
しかし、それはルースターが望むことではなく、それにより彼らの関係はギクシャクしたものとなっていました。
それはまさに疑似的な親子関係のようなものであり、本作は父が息子を認め、息子も父に対して改めてリスペクトを持つという、関係性修復の物語でありました。
それは前作にはない要素で、ただなぞっているわけではないという点です。
この二人の関係性は前作を見ている者からすれば非常に納得できるもので、新たな要素でありながらも心から受け入れられ、共感できるものでありました。
当時見ていた我々の多くが親になっているからかもしれません。
35年経っての新作ということへの納得性がある素晴らしいストーリーであったと思います。

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2022年5月22日 (日)

「鋼の錬金術師 完結編 復讐者スカー」憎しみの連鎖

前作の「鋼の錬金術師」はあまり評判が良くなかった記憶があります。
その多くは原作で描かれている舞台と登場人物がヨーロッパ風であるのに、演者が日本人であったため、イメージが違うということだったと思います。
当時私は原作を読んだことがなく、先入観なしに映画を見ましたが、皆が言うほどには悪いという印象はありませんでした。
むしろ、「等価交換の法則」が意味する何かを手に入れるために、何かを差し出さなければいけないというテーマには深さを感じたものです。
前作を見た後に原作に手を出し、一通り読みました。
今回は原作を読んでいるので「先入観あり」での鑑賞になります。
ですが、印象は悪くなかったです。
むしろ良いかもしれません。
まず今回新たに登場するキャラクターですが、演じる俳優の方々のキャスティング、演技もあって、非常にシンクロ率が高かったと思います。
個人的には原作ものの映画でシンクロ率が高くても、それ事態は映画の質にはあまり関係ないと思っていますが、合っているであれば越したことはありません。
シンクロ率が高いなと思ったのは、舘ひろしさん演じるブラッドレイ大総統、渡邊圭佑さんのリン、内野聖陽さんのホーエンハイム。
原作のイメージぴったりでした。
山本耕史さんのアームストロング大佐は反則ですね(笑)。
今回のキーパーソンであるスカーの新田真剣佑さんは原作のイメージからするとちょっと若いかなと思っていましたが、思っていたよりはハマっていたと思います。
ストーリーも多少エピソードの順番入れ替えは合ったように思いますが、おおむね原作通りだったと思います。
本作を制作するにあたり、スタッフも出演者も原作へのリスペクトを持ってあたったということを聞きましたが、それが感じられる作りになっていたと思います。
ちょうど今、世界は侵略戦争を目にしています。
そこで命を失う人々のニュースを日々耳にします。
まさに「理不尽」としか言いようがありません。
その理不尽により、憎しみが生まれ、そしてまた繰り返し憎しみが生産されていく。
それを我々は目撃しています。
本作はフィクションですが、まさに戦争の理不尽さと、憎しみの連鎖をテーマにしています。
劇中でスカーの師が口にする「憎しみの連鎖を断ち切るには誰かが耐えなければならない」という言葉は真実ではありますが、当事者にはあまりにつらい言葉です。
肉親を理不尽な暴力により失った者の気持ちの行き場はどこになるのでしょう?
スカーのやったことは許されることではありませんが、共感できないことでもありません。
ただこれを続けている限り、連鎖に終わりはありません。
だからこそ本作でウィンリィの行為にスカーは自分にない強さを感じたに違いありません。
スカーは自分の中にある憎しみに耐えられなかった。
しかし、ウィンリィはそれに耐えようとしている。
自分にない強さを感じたからこそ、彼はウィンリィを守ろうとしたのでしょう。
よくよく考えれば本作に登場するキャラクターの多くは、罪を背負っています。
命令とはいえ、虐殺に手を貸したマスタング大佐、ヒューズ中佐、アームストロング少佐、ホークアイ中尉は皆その罪を自覚しています。
何かを叶えるために何かを犠牲にしようとする。
それは異国から来たリンたちも同じです。
そしてエルリック兄弟も。
まさに等価交換の法則です。
何かを願うことは悪いことではない。
けれどそのために誰かの願いを犠牲にできるのか。
これは本作を通じて描かれるテーマなのだと思いました。

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2022年5月15日 (日)

「シン・ウルトラマン」 オリジナルへのリスペクト溢れる

小学生の頃、怪獣ブーム(再放送で見ていた世代)であったので、「ウルトラマン」には相当な思い入れがあります。
「レオ」までの怪獣はほぼ名前を言えるのではないでしょうか。
「シン・ウルトラマン」の脚本の庵野さん、監督の樋口さんは私よりもちょっと上の世代で、リアルタイムで見れていると思います。
庵野さんが「ウルトラマン」に対して強い思いを持っているのは、大学生の頃に自主映画で「ウルトラマン」を作っていたことからも有名です。
私も大学生になっても特撮好きだったので、庵野さんの自主映画は伝説的な作品として語り草になっていました。
「シン・ゴジラ」で一般的にもメジャーになった庵野さん、平成「ガメラ」でリアリティのある怪獣映画を撮った樋口さんがどのように「ウルトラマン」を新作として作り上げるか、期待がありました。
同時に不安もありました。
いわゆるリブートは旧作を現代的に作り直すという場合と、新解釈をして再構成するという場合がありますが、本作はどちらだろうか?ということですね。
新解釈の場合は、自分の大切にしていたものと違う時、期待を裏切られる可能性があります。
結論から言えば、本作は旧作を大切にしながら現代的にアップデートするという前者の作りであり、非常にオリジナルに対するリスペクトあふれるものでした。
前半戦は次々に日本を襲う禍威獣たちとそれに対抗する禍特対を描きます。
BGMはオリジナルの「ウルトラマン」のものばかりで当時の記憶が蘇ります。
ちなみに選曲は庵野さんが手がけていて、彼のこだわりぶりが感じられます。
個人的にこの場面でこの曲を選ぶという感覚がドンピシャでした。
ザラブのニセウルトラマンやメフィラスの人間巨大化など、印象的なエピソードも踏襲していました。
あの当時も衝撃的でしたが、それを現代の技術で再現するのは感無量ですね。
一番リスペクトを感じたのはウルトラマンという人格を描いたというところです。
第二次怪獣ブームは第二次変身ブームと言われることもあり、同時期には「仮面ライダー」も放送されていました。
「仮面ライダー」はまさに「変身」であり、ある人格(例えば本郷猛)が姿を変えて仮面ライダーになりますが、人格はそのまま本郷猛のままです。
これは当たり前のようですが、「ウルトラマン」では異なります。
ベータカプセルを使用する前はハヤタ隊員ですが、ウルトラマンになった後はハヤタの人格が残っているかはよくわかりません。
人格がないわけではない(首を傾げたりする仕草があったり、子供たちのことを考えて怪獣を倒さなかったりするので)とは思いますが、ハヤタと同一人格かはよくわかりません。
つまりウルトラマンの人格はよくわからないのが、オリジナルの「ウルトラマン」なのです。
本作でもウルトラマンと神永は「融合」と表現されていました。
余談になりますが「ウルトラセブン」がセブンが以前に見た地球人の男の姿を真似て「変身」してモロボシダンになっているので、モロボシダンの人格はセブンそのものです。
あまりウルトラマンの人格が描かれなかった「ウルトラマン」でそれが強く表現されているのが、最終回です。
映画でもほぼそのまま再現されていますが、ウルトラマンがゼットンに敗れ、ゾフィに光の国に連れ戻されようとする場面です。
そこでウルトラマンは自分の意志として、地球人への思いを語ります。
「シン・ウルトラマン」ではこのウルトラマンの意志の部分を全編を通して描こうと試みました。
そのようにして逆に地球人・人類を描こうとしています。
本作に対して影響を与えているエピソードとして37話「小さな英雄」があります。
このエピソードでは、科特隊の技術担当のイデ隊員はいつも新兵器を開発をしても結局は怪獣をウルトラマンが倒してもらうことに無力感を感じます。
人類は怪獣には敵わない、ウルトラマンに任せたほうがいいのではないかと。
結果、イデたち科特隊はウルトラマンのサポートで怪獣を倒すことができます。
これは人類が自らの力で危機を乗り越えようとする意志と力を持つことができるという非常に前向きなエピソードでした。
ウルトラマンはそのような人類の可能性を愛し、最終回のゾフィーとの対話に繋がったのだと思います。
そのようなウルトラマンの思いを本作では深掘りをしたのでしょう。
本作でも科学技術担当の滝が圧倒的なゼットンの力を目の前にして、イデのように無力感を感じる描写がありました。
しかし彼もまたウルトラマンの期待にこたえ、立ち上がり人類の知恵を結集してゼットンに対抗しようとします。
自らの運命を切り開くために戦う人類の力を、ウルトラマンは信じました。
そのようなオリジナルで描ききれなかったウルトラマンの人格、思いを描こうとしたのが「シン・ウルトラマン」だと思いました。
庵野・樋口漁師らしいオリジナルへのリスペクト溢れる作品になったと思います。
とはいえ、ちょっと映像的には気になるところもありました。
「ウルトラマン」で非常に印象的な映像をとった監督で実相寺昭雄という方がいまして、その構図を「実相寺アングル」と言ったりします。
庵野さんはかなりこれが好きで、アニメでも実写でも実相寺監督的なアングルを狙うことが多々あります。
本作では非常に実相寺アングルを多用していて、それがやや鼻につきます。
効果的に使えばいいとは思いますが、これでもかというほど使っているので見づらい感じがありました。
極端なヨリも多用していて、これは普通のカメラだと寄り切れないからか、ハンディのビデオ的な映像となっていて、画面の質感が他と合っていないところもいくつかありました。
庵野監督の実写作品ではしばしばこういう感じのところはあるので、あまりその辺りは気にしないのかもしれないですが、私はちょっと気になりました。

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2022年5月 7日 (土)

「ホリック xxxHOLiC」胎内からの旅立ち

原作の「xxxHOLiC」は全く未見ですが、絵柄は印象的で記憶がありました。
アニメ的な絵柄なイメージだったので、蜷川実花監督が撮ると聞いて意外な感じがしましたが、映画の印象はまさに監督らしい絵作りになっていました。
原作未読ですので、原作との違いは語れませんので、本作を見ての印象を書きたいと思います。
蜷川監督の作品なので、色彩的にも毒々しいと言えるほどに鮮やかで、画面を埋め尽くすほどのモノの密度があります。
これは彼女のスタイルなので、これを受け入れるかどうかは好みになりますね。
個人的にはちょっと苦手ですが。
さて内容についてです。
ちょうど昨日ニュースで最近の日本の若者は自己肯定感が少ないという話が紹介されていました。
「自分なんかが何かできるわけがない」
そう思う子供が多くなっているとのことです。
それは自分で決めることを幼い頃からさせていなかったからということらしいのですが、そのことが本作にも通じているように思いました。
主人公四月一日君尋は人の闇に取り付くアヤカシが見れることにより通常の人と同じような生活ができず、自分の先のことも考えられずに生きてきました。
しかし、あるとき侑子という人の望みを叶えることができるという女性と出会い、彼女の元で暮らすようになります。
四月一日の姿はまさにニュースで紹介されていた自己肯定感の少ない若者と重なりました。
自分で決められない、あきらめて逃げてしまう、結果自分自身も大切にすることができない。
また四月一日は幼い頃に自分のせいで母親を死なせてしまったと感じています。
それも彼の無気力さの一因になっているようです。
侑子は彼と暮らしながら、彼が自分を大切にし、自分の進むべき道を決めていけるように導いているように思いました。
四月一日は友と呼べる存在を得て、初めて大切なものを手に入れました。
彼がはまってしまったループの1日はその大切なものが全て詰まった1日です。
そこでは何も考えないまま、心地の良い日が繰り返されていきます。
登場人物であるアカグモが言ったようにまさに母親の胎内のように心地の良い日々。
そしてそこから出ようとする四月一日を導くのはやはり侑子でした。
彼女は四月一日の母親的な役割を果たしていたのでしょう。
もしかすると彼の母親の思いが現れた存在なのかもしれません。
心地よい胎内の外には、シビアな現実が待っている。
けれどそこで人は自分で決めて歩んでいかなければならない。
ずっと閉じこもっていた四月一日を侑子は導いたのです。
侑子の存在も現実であったか、それとも幻想であったか。
どこが現実でどこが幻想かわからない物語。
現実感のない蜷川実花監督の映像は合っていたのかもしれません。

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2022年5月 6日 (金)

「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」 まさにマッドネス、まさに狂気

「ノー・ウェイ・ホーム」でマルチバースの扉を開けたドクター・ストレンジが本作では狂気のマルチバースに本格的に挑みます。
監督は「スパイダーマン」3部作の巨匠サム・ライミ。
本作について言えば「死霊のはらわた」のサム・ライミと言った方が相応しいかもしれません。
事前よりMOMはホラーテイストがあると言われていましたが、中盤の「追っかけ」はほぼホラーです。
追っかける「あの人」は顔面血まみれで「キャリー」っぽいですしね。
前作の「ドクター・ストレンジ」も映像表現的にはミラーディメンションなどかなり個性的な表現を攻めていましたが、本作はさらにダークで狂気的な映像となっていました。
この辺りもサム・ライミのセンスが現れているところなのでしょう。
今までもフェイズ4のMCUでマルチバースに触れたのはテレビシリーズの「ロキ」、「ホワット・イフ」、そして映画の「スパイダーマン/ノー・ウェイ・ホーム」ですが、それらで起こった出来事と本作の事件は直接的な因果はありません。
本作の出来事の発端となるのは新キャラクターのアメリカ・チャベスです。
彼女は生まれながらにしてマルチバースを渡る能力を持っています。
本作において彼女の背景についてはあまり多くは語られません。
今後のMCUの中で語られていくのでしょうか。
「ホークアイ」で登場したケイト・ビショップ、また公開待たれる「ミズ・マーブル」ら若手のキャラクターたちと今後絡んでいくようになるかもしれませんね。
ドクター・ストレンジについてはトニー・スタークやキャプテン・アメリカなき今、指導者的役割を背負うことになるかと思いますが、本作でも描かれているように彼は一人でことを成し遂げようとする傾向がありました。
しかし、アメリカとの出会いにより、人を信じ、育て上げることに目覚めたようにも感じます。
スタークとピーターのような指定関係が、ストレンジとアメリカの間でも築かれていくような予感はありますね。
さて、これ以上はネタバレなしで書くのが難しいので、ネタバレ全開でいきます。
<ここからネタバレあり>
本作でヴィラン的な立ち位置になるのはなんとワンダ=スカーレット・ウィッチです。
ここにはちょっと驚きました。
「ワンダヴィジョン」で彼女は真の「スカーレット・ウィッチ」としての能力に目覚めした。
そして物語のラストで彼女が手にしていたのは禁断の書「ダークホールド」。
「ダークホールド」の影響により、ワンダは子供を失った悲しみ(彼女が創造したものとは言え、彼女にとっては本物の子だった)から歪んだ願望を増幅させてしまい、恐ろしいスカーレット・ウィッチに支配されてしまっていたのです。
失った子供を取り戻したいという親の気持ちは誰でも共感できるものですが、世界最強の力を持つと言われ、かつ現実を改変する能力もある彼女が暴走した時、世界そのものが失われる危険性が出てきたのです。
結果、彼女は自分の過ちに気づき、その元凶となった「ダークホールド」の原本もろとも滅びようとしました。
暴走するほどに彼女が追ってしまった悲しみ、双子の兄、愛する夫、かけがいのない息子たちを失った悲しみはいかに深かったか。
世界を破壊しそうになったことを収束させるためとは言え、ワンダが悲しみを背負ったまま退場したのは非常に切なかったです。
しかし史上最強の魔女である彼女ですから、いつかまた登場することを期待したいです。
「ワンダヴィジョン」で登場した魔女アガサについては、ドラマの方で新作が作られるということですので、そちらでの登場を期待したいです。
そういえば「ダークホールド」については「ワンダヴィジョン」に登場した時にちょっと驚きました。
以前ドラマの「エージェント・オブ・シールド」を見ていた時にも登場していたからです。
本のデザインは全く違っていました。
私は未見ですが、別のドラマである「ランナウェイズ」(これもMCU)にも「ダークホールド」が登場していたようです。
MCUに「ダークホールド」が3冊?
ちょっと変だなと思っていましたが、本作を見て納得がいきました。
本作のラストでワンダが破壊するのは「ダークホールド」の原本です。
その前にワンダが持っていた本はその写本とのことでした。
つまり「エージェント・オブ・シールド」や「ランナウェイズ」に登場していた「ダークホールド」も別の写本と解釈することはできますね。
最後にあの方々「イルミナティ」です。
コミックの「イルミナティ」とはストレンジたちも参加するヒーローのチームとのこと。
予告編で「X-MEN」のチャールズ・エグゼビアらしき人物が映っていたため、その登場が噂されていました。
結果的にはMCU世界での「イルミナティ」ではなく、他のユニバースでの「イルミティ」でしたが。
そのメンバーはなかなかのものでした。
まずはすでに名前を出したチャールズ・エグゼビア。
演じるのはパトリック・スチュワートで、オリジナルの「X-MEN」からの登場です。
この辺は予想通り。
続いてはキャプテン・カーター。
アニメ「ホワット・イフ?」で別のユニバースでスティーブの代わりに血清をペギー・カーターが打ち、超人兵士となったのがキャプテン・カーターです。
こちらも「キャプテン・アメリカ」でペギーを演じていたヘイリー・アトウェルが演じています。
実写でキャプテン・カーターが見れるとは!
驚いたのはブラックボルトです。
このキャラクターはドラマ「インヒューマンズ」に登場したインヒューマンズの王です。
ちょうど私は「インヒューマンズ」を見ていたところだったので知っていましたが、多くの人には馴染みがないかもしれません。
「インヒューマンズ」はたった1シリーズで不幸にも打ち切りとなってしまいました。
マーベルテレビジョンとマーベルスタジオのゴタゴタのせいかもしれません。
最近マーベルスタジオはマーベルテレビジョン制作のMCU作品についても積極的に取り込もうとする姿勢があります(「デアデビル」に登場したキャラクターが再登場するなど)。
その傾向の一つかもしれないですね。
キャプテン・マーベルはキャロル・ダンバースではなくマリア・ランボーになっていました。
これも「ホワット・イフ?」的な「もしも」でしょうか。
この宇宙ではキャロルがSWORDを立ち上げているかもしれません。
そしてミスター・ファンタスティック。
言わずと知れた「ファンタスティック4」のリーダーです。
演じていたのはジョン・クラシンスキーで、今まで何作か作られた「ファンタスティック4」でミスター・ファンタスティックを演じた方とは違います。
「ファンタスティック4」は今後MCUで作られることが決まっていますが、そのままジョン・クラシンスキーでいくのかはわかりませんね。
最後はマスター・モルド。
彼は「ドクター・ストレンジ」で袂を分かったモルドとは別人です。
ですので、あのモルドは本作には一度も出ていません。
今後あのモルドはストレンジに絡んでくることはあるのでしょうか?
あとミッドクレジットで出てきた人物。
びっくりしました、シャーリーズ・セロンじゃないですか!
彼女が演じているのはクレアというキャラクターらしいです。
今後も何か波乱がありそうですね・・・。
ざっと見ただけでも色々見るべき点がある本作。
まだまだネタがあるかもしれません。

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2022年5月 5日 (木)

「とんび」子育ては繋がっていく

最近親子ものにはとことん弱い・・・。
事故によって妻を亡くし、男手一つで息子アキラを育て上げたヤッさんの物語。
ヤッさんはいかにも昭和な不器用な男ですが、子供のことを考え、一人前に育て上げました。
子供が成長するに従い、ぶつかり合うこともありますが、そのような中で子供と共に彼も成長していきます。
完璧でないところが、見ている自分も共感できますね。
うちの娘はまだ5歳なので「パパ、パパ」とくっついてきますが、もう5年も経てば距離を置かれてしまうのだろうな、とか考えて見てました。
親としての心得に触れている箇所もいくつかありました。
例えば、和尚がヤッさんに向かって言う「海になれ」という言葉は奥が深いですよね。
悲しみを子供の中に積もらせてはいけない、悲しみすらも飲み込んでしまう海のように親はならなければいけない。
親も人間ですから、かなり大変ではありますが、親となる覚悟を言ったものでしょう。
その後、ヤッさんはアキラに嘘を言いますが、それは全て息子のため。
そのことによりヤッさんは責められますが、全てを飲み込んでいる。
子供の時は親の苦労なんてさっぱりわかりませんが、大人になるとその時は大変だったんだろうと想像することは私もありました。
親の事業は割と大変だったようで、私が就職が決まった時、店を畳むと父親が言ったのです。
自分で仕事をするようになったんだから自分の手で生きろ、もう面倒は見ないから、ということでした。
私は逆にそこまで踏ん張って面倒を見てくれていたんだと思いました。
その父も亡くなってしまいましたが、ちゃんとお礼を言えてなかったな、と。
ヤッさんが自分を捨てた父親に会った時の場面も印象的でした。
恨みつらみを言うのではなく、彼が口にしたのは感謝の言葉でした。
ヤッさんは「生まれてさせてくれて幸せな人生をありがとうございました」と言ったのです。
決して彼の人生は平穏ではなかったことは見ている我々もわかります。
けれど、色々ありつつも息子を育て上げたことによる充実感はやはり何ものにも変え難い幸せなんですよね。
私も子供を育て上げた時、そのように感じられるといいなと思いました。
息子のアキラもその後、所帯を持ち、子供も生まれます。
彼の人生も波乱はありますが、それでもラストシーンからは彼もまた充実感を味わっているように感じました。
そうやって親から子へ、そこからまたその子へ、と繋がっていく。
親に感じた感謝を、親には返せなくても、子供に伝える。
それが繋がっていく。
子育てってそういうことかもしれないと思ったりもしました。

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2022年5月 3日 (火)

「映画 クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝」 先送りとの戦い

前回に引き続き、5歳の娘と行ってきました。
5歳と言えば、しんちゃんと年齢が一緒ですね。
自分の子供を見ていても思うのですが、子供っぽいおバカなこと(しんちゃんの真似をしてお尻プリプリ〜とかやったりする)もするかと思うと、時折妙にしっかりしたことを言ったりして驚かされます。
改めてしんちゃんのキャラクター設定って、5歳児の生態をうまく捉えているな、と思います。
「クレヨンしんちゃん」は私の子供の頃はまだ始まっていなかったので、子供と一緒に見始める前は見たことがありませんでした。
子供の親になって見てみると、親子の話などはグッとくるものが多いのですよね。
こちらの映画もそうでした。
子供と過ごす日々はかけがえがなくて、親が子供を奪われたならば何があろうと取り戻したい。
そんなひろしとみさえの気持ちに共感しまくりでした。
しんちゃんも家族と過ごす日を大切に思っていて、自分の娘もそう思ってくれていたら嬉しいなとも感じました。
あと、しんちゃんの映画はそのおふざけなトーンの裏に、まじめなテーマが織り込まれていることがあります。
本作で登場する忍者たちは「地球のおへそ」を代々守っています。
そのおへその栓が抜けてしまうと、たちまち地球のエネルギーが放出されてしまい、地球は滅びてしまうからです。
この忍者たちを統べるのが長老です。
彼は地球のおへそを守っているかと思いきや、純金からできている栓から得られる富で私腹を肥やし、地球の将来のことなど全く気にしていないのです。
この長老という人物は現在の社会における指導者たちの姿と重なります。
環境問題を含め、地球が課題を持っていることを知りながら目先の利権ばかりに目を奪われ、問題を未来の子供たちに先送りにしてしまっている。
そういう施政者のメタファーがこの長老なのです。
彼に対して、子供たち、そして彼らの親たちが戦いを挑むのが本作です。
子供にはずっと幸せに暮らしていってほしいと思うのが、親心。
その親心を施政者は忘れているのではないか。
相変わらず「クレヨンしんちゃん」は奥が深いと思った次第です。

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