2024年9月 8日 (日)

「エイリアン:ロムルス」強かった1作目のプロット

1979年の「エイリアン」は衝撃的でその後のSF映画に大きな影響を与えました。
この作品はSF映画の世界観でありながら、ホラー映画のようなスリラー的なエッセンスも盛り込んだという意味で新しかったように思います。
その後「エイリアン2」はジェームズ・キャメロンがさらに進化させ、スリラーというよりは戦争アクション映画としてアプローチしました。
2作目が1作目とは異なるアプローチをするというのは、斬新であったと思います。
その後、3、4と続編が作られましたが、勢いは失速。
それぞれの監督が新基軸で挑戦していることは理解しつつも、リプリーが神がかったきたりなど、やや方向性としては迷走していたように感じます。
その後、リドリー・スコットがエイリアンの始まりを描く「プロメテウス」「エイリアン:コヴェナント」を送り出しましたが、哲学的な内容ということもあり、そもそもの「エイリアン」が持っていたテイストは薄かったように思います。
本作「エイリアン:ロムルス」は時代的には「エイリアン」と「エイリアン2」の間に位置するということで、そもそもの始まりである「エイリアン」に原点回帰した内容となっています。
本作の冒頭で「エイリアン」でリプリーがエイリアンと死闘を繰り広げたノストロモ号の残骸が登場します。
リプリーが始末したはずのエイリアンをウェイランドユタニ社が回収し、秘密裏に研究をしていたのです。
本作の主人公たちは劣悪な環境の植民地星から脱出をしようとしている若者たち。
彼らは廃棄された宇宙船を使い脱走しようとしますが、その宇宙船こそウェイランドユタニ社がエイリアンを研究していた施設だったのです。
施設は破壊されひとっこ一人いません。
彼らが乗り込んだことにより、再びフェイスハガーたちが活動を初め、彼らに襲い掛かります。
基本的にプロットは1作目とほぼ同じです。
圧倒的なエイリアンたちに対して、若者たちは無力です。
仲間たちが少しずつ倒されていく中で、主人公のレインが生き残りをかけた戦いをサバイブしていきます。
そもそもレインはどちらかというと慎重派で、植民地からの脱出についても流されていった感じがあります。
しかしサバイバルを通じて、より生に執着し、そのために戦うということで、覚醒していく様はリプリーに通じます。
つまりは同じプロットを繰り返ししているわけではありますが、決してつまらないわけではありません。
どのように彼らがエイリアンと戦っていくかという部分は本作ならではのアイデアもあり、飽きさせません。
元々のプロットが非常に強かったということでしょう。

| | コメント (0)

2024年9月 1日 (日)

「劇場版 アナウンサーたちの戦争」背負う十字架

本作はNHKスペシャルで放映されたドラマの劇場版となります。
劇場で公開されるまで、このようなドラマがあったことは知りませんでした。
現代でも世界各地で戦争は行われていて、以前よりもさらにも増して重要になってきているのが、情報戦です。
インターネットを使って虚偽情報を流したり、敵国の世論を誘導したり、また自国に対しては不利な情報を隠匿したり。
原始的な手法では、韓国が北朝鮮に対して、韓流ドラマが収録されたDVDを蒔くというのもありました。
太平洋戦争においても、旧日本軍は情報戦に力を入れていました。
圧倒的に物理的な戦力が足りない中、欺瞞情報や敵国の戦意喪失へ、情報戦、特にラジオを使った電波戦は有効であると考えたのです。
当時、そのような軍の方針に従ったのが、現在のNHK、日本放送協会です。
軍が占領地を東南アジアに広げていくのに従い、日本放送協会のアナウンサーたちが前線での電波戦に駆り出されました。
そして、また日本に残ったアナウンサーたちは国民の戦意高揚のためにその声を使ったのです。
本作では戦争というものに巻き込まれていったアナウンサーたちの姿を描きます。
アナウンサーの言葉は真実を伝えるべきものであるのに関わらず、軍の都合が良いことを話さなければならないことに苦悩する人。
言葉の力に溺れ、日本国のために言葉を武器として使おうとする人。
そして言葉の無力さを思い知った人。
自ら望むと望まらずにも関わらず、当時のアナウンサーたちは戦争に加担しなくてはいけない状況でした。
それは否定できないこと。
彼らの言葉によって、戦地に向かっていた者も多くいたことでしょう。
このような物語を、そこに関与していたNHKが語るというのは勇気がいることだと思います。
当時の人々はすでにいないわけですが、自組織の汚点を語るわけですから。
ただ組織として、しでかしてしまったことを、反省する気持ちを表する事は大切な事だと思います。
昨今、テレビ局などがいろいろしでかしてしまった不始末が多くあります。
普段、誰かが起こした事件などは根掘り葉掘り報道するわけなのに、自組織のしでかしたことに対しての反省は驚くほど弱い。
そのほとんどは民放が多いのですが、彼らは全て戦後作られた組織です。
NHKが背負っている、戦争に加担してしまったという十字架は彼らにはない。
逆にNHKは十字架があるからこそ、その態度は真摯にならざるを得ない。
この違いが、不手際が起こった時の、各社の態度に出ているような気がしました。

| | コメント (0)

2024年8月31日 (土)

「ねこのガーフィールド」ドタバタコメディ、最後にホロり

娘が見たいということで、お付き合いで鑑賞です。
オレンジ色のねこ、ガーフィールド。
見たことはある。
調べてみると、40年以上の歴史もあるねこのキャラクターとのこと。
「映画もあったような・・・」という朧げな記憶もあったのでさらに調べてみると、「ガーフィールド」「ガーフィールド2」と2作ほどありました。
これは実写と3DCGの合成らしい。
なので今回の作品よりもガーフィールドは少しリアルタッチのようですね。
さて、本作です。
感想書きたいところなのですが、すみません、何度か寝落ちをしてしまい・・・。
娘は楽しんでしたようです。
ガーフィールドは完全インドア派で、ソファに座ってテレビを見ながら、カウチポテトするのが大好きというキャラクター。
アメリカンな感じがしますね。
そのガーフィールドが、慣れない外に出ていって大冒険をするという話。
基本は伝統的なアメリカのアニメのようなドタバタコメディで、それに加えて親子のホロリとされるようなエッセンスが入っています。
大人にはちょっと物足りないかな。

| | コメント (0)

「夏目アラタの結婚」見るものを思い込みを裏切る

こちら試写会で鑑賞です。
主人公夏目アラタは児童相談所の職員ですが、児童との相談を重ねるうち、連続殺人犯からある秘密を聞き出さなければならなくなりました。
その殺人犯、真珠と面接をするも、彼女は得体がしれなく、その本音が引き出せません。
そのため、成り行きで彼女にプロポーズをしてしまいます。
<ここからネタバレあり>
アラタが真珠と初めての面接をした時、彼女がつかみどころなく、何を考えているかわからない印象をアラタも我々観客も受けます。
アラタのモノローグで、真珠のことをトラップをさりげなくかけてくるため、非常に頭が良いと評しています。
ここに本作最初で最大のトリックがあると思いました。
彼女の脈絡のない行動を見ていると、そこに実は裏があるのではないかと勘ぐりたくなります。
そこにはこのようなシチュエーションにふさわしいキャラクターを、見ている人たちはイメージしているのではないでしょうか。
そうです、「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクターです。
ご存知のように彼は非常に頭が切れ、獄中に居ながらも、さまざまな謎を明らかにします。
また彼は檻の中から人々の心理を操ります。
そして真性のシリアルキラーです。
見ている側は知らず知らずのうちに真珠にレクターを重ね合わせ、彼女の行動・発言に全て裏があるのではないか、と考えます。
最後に明らかになりますが、彼女は最初から最後までまっすぐ出会ったのですね。
いつか、自分のことをちゃんと見てくれる人が、救い出してくれる、と思ってきた。
ただ、それだけ。
舞台挨拶の時、上映前だったのではっきりとした言い方ではなかったのですが、真珠を演じた黒島結菜さんが「真珠は最初から最後まで変わらない部分があるということを大事に演じた」とおっしゃっていました。
その時は、その言葉の真意がわからなかったのですが、映画を見終わった後に、わかりました。
人は他人を何かしらのレッテルを貼ってみてしまいがちです。
劇中でも真珠は「憐れんだ目で見るな、かわいそうって目で見るな」と言います。
そして「アラタだけが、お前は人殺しだ、と本当の自分をわかってくれた」とも言います。
彼女をサポートする弁護士は、彼女を保護されるべき人という目で見ます。
それもレッテルです。
そして彼女はレクターのような人物である、という見方もレッテルでしょう。
本作は、人は知らず知らずのうちに、レッテルを貼りながら人を見てしまうということを使った、メタなトリックがあると思ったわけです。
これはもう一度、見てみると真珠の行動・発言を貫いている彼女の気持ちが浮かび上がってくるような気もします。
同じく舞台挨拶で堤監督が、本作は今までの作品の中で最も編集に苦労したとおっしゃっていました。
見終わるとそれも理解できます。
ちょっとした表情を変えたり、カットを増やしたり、減らしたりするだけで、真珠の一貫性は保てなくなりそうなバランスの難しさがあるような気もします。
本作はサイコミステリーだと思わせておいて、ボーイミーツガールなラブストーリーでした。
真珠は部屋に入ってきた時から、アラタが自分を救い出してくれる王子様であると確信しました。
全てが見事に回収されて圧巻のラストであったと思います。

| | コメント (0)

2024年8月24日 (土)

「フォールガイ」スタント愛

こちらの作品、監督はデヴィッド・リーチ。
彼はもともとスタントマン出身で、今まで「デッドプール2」や「ブレット・トレイン」などのキレキレかつぶっ飛んだアクション映画を撮ってきました。
個人的には「ブレット・トレイン」は大好きで、凝ったアクションシーンも素晴らしいですが、映像の独特のトーンも好きでした。
本作見た時の最初の印象は、これまでの監督の作品の比べて、トーンも物語の展開も含めて王道であるように感じました。
それもそのはずで本作の原作は80年代に放映されていたTVドラマ「俺たち賞金稼ぎ!!フォール・ガイ」ということです(私は見ていませんが)。
本作では、事件が起こって、主人公が巻き込まれ、それと並行してラブロマンスも進んでいく、という展開ですが、これが80年代的なわかりやすいストーリテリングのため、王道的な印象を受けたのだと思います。
設定などは現代に合わせてかなり変わっているようですが、ストーリー展開から感じる懐かしい感じは、もともとの原作が持っている80年代らしさが滲み出ているのかもしれません。
あと懐かしい印象を感じるのは、数あるアクションシーンが、従来のようなフィジカルなスタントで表現されていたことかもしれません。
高所からの落っこち、ヘリコプターアクション、カースタントの大ジャンプなどなど・・・。
「マトリックス」以降、ワイヤーやCGを使った別次元のアクションが生み出されて、それらが定着しましたが、本作はそれ以前のフィジカルなスタントがメインに描かれています。
これはそもそも本作がスタントマンが主人公であること、そしてデヴィッド・リーチ監督がスタント出身であり、思い入れがあるということもあるでしょう。
実際、アクションシーンの際のスタントマンたちの様子も窺える場面もあり、彼らに対するリスペクトも感じます。
期待していたトーンとは異なりましたが、アクションとそれを支えるスタントマンたちのへの愛が感じられる作品です。

| | コメント (0)

「インサイド・ヘッド2」良いところも、悪いところも自分自身

感情のキャラクター化ということにチャレンジし、見事なストーリーを紡ぎ出した前作「インサイド・ヘッド」。
米国でも日本でも興行は好調のようです。
それもさりありなん、続編である本作も前作同様に見事な出来栄えです。
少女ライリーの頭の中でヨロコビ、カナシミ、イカリ、ビビリ、ムカムカはワンチームで、ライリーの幸せのために奮闘していました。
しかし、突然司令室に鳴り響く警報!
それは思春期警報でした。
皆、経験あるように思春期は心の様相が大きく変わる時期です。
そしてそのこと自体に自分自身も翻弄されます。
そんな思春期を迎えたライリーの中に現れたのが、新しい感情たち。
シンパイ、ダリィ、イイナー、ハズカシです。
シンパイはネガティブな未来のことばかりを考えてしまう感情。
これは悪いわけではなくて、予想される未来に対して何か対策をしようという原動力にもなります。
ただ心配ばかりしてしまうと、かえって何も動けなくなったりもします。
ダリィは不貞腐れて、冷めた感情ですね。
これも思春期ならではでわかります。
イイナーは人を羨ましがる気持ち。
憧れる気持ちかもしれません。
これは行動力にもつながるかもしれませんが、空回りしてしまうことも。
そしてハズカシ。
これはあまり目立ちたくないという気持ち。
人と比較してしまい、自分の悪いところ、いけてないところばかりが気になってしまう気持ちですね。
いずれも思春期らしい感情で、それが魅力的なキャラクターになっています。
従来の感情に加え、この新しい感情がバランスをとっていく、というのが大人になっていくということなのでしょう。
でも思春期というのは、そのバランスがうまく取れないという時期なのですね。
その感情の混乱が本作では描かれます。
ヨロコビたちは自分たちがライリーの美しい<ジブンラシサのはな>を守ろうとします。
しかしシンパイたちは新しいライリーの<ジブンラシサの花>を育て始めます。
その花は不安定で、揺らぎがあります。
この揺らぎは思春期の不安定さを表しています。
この時期は自分自身が他の人と比較して、優れていると思えることもあれば、逆に全く箸にも棒にもかからない人間とも思えてしまうことがあります。
最高と最悪の間を揺れ動く感じですよね。
特に最悪の気分の時は、自分が欠点だらけのダメ人間に思えてしまいます。
この最高と最悪を行き来することが、<ジブンラシサの花>の揺らぎで表現されているのでしょう。
ヨロコビたちは完璧な花こそがライリーらしさと初めは考えていますが、いい部分も悪い部分も不安定さも含めてライリーらしさと気づきます。
まさにこれは人が思春期を経て、自分らしさということを見出していく過程でしょう。
良いところも、悪いところも含めて、自分自身として受け入れられる。
それが大人になるということなのですよね。
自分のことで言ってしまうと、自分のインサイドヘッドでは、おそらくシンパイがリーダーのようになっているんだろうなと思います(笑)。
良くも悪くも心配性なので。それでうまくいく場合もしんどい場合もありますよね。
それも自分。

| | コメント (0)

2024年8月23日 (金)

「クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記」モアおバカ度

「クレヨンしんちゃん」の映画というと割とナンセンスというか、おバカな設定というイメージがあったので、テーマが恐竜と聞いた時は、真っ当だなという印象でした。
子供たちと子供の恐竜の交流というと「ドラえもん」的なイメージがあるんですよね。
普通のサラリーマン一家の家に恐竜がいるっていうのも十分非日常ではあるのですが、ロボとーちゃんとか、世界サンバ化計画とかに比べると、おバカ度が少ないというか・・・。
個人的に「しんちゃん」に期待しているのは、おバカ度がどのくらいかというところがあるので、その点では物足りない印象でした。
「しんちゃん」の映画の魅力はおバカであるのにも関わらず、なぜか泣かされるという落差にあると思っているのです。
本作ももちろん泣かされるところはあります。
ただ、先ほど書いたような落差はないので、「ドラえもん」的な感動といった感じで、「しんちゃん」らしさは薄かったかな。
好きだったのはしんちゃんの愛犬シロの描写で、自分の境遇と重ね合わせて恐竜ナナに気を遣っている様子が、何とも可愛らしかったです。
ラストはしんちゃんより、シロの方に共感してしまいました。
当然、来年も「しんちゃん」の映画はあると思うので、その時はもう少しおバカな感じでお願いしたいものです。

| | コメント (0)

2024年8月20日 (火)

「ツイスターズ」異なる主人公像

1996年の竜巻映画「ツイスター」の続編です。
前作と同様に、竜巻を追うストーム・チェイサーたちが登場しますが、ストーリー的な繋がりはありません。
唯一関係があると見られるのは、主人公ケイトたちが学生の頃に使っていた実験器具が「ドロシー」で、これは前作の主人公であったジョーたちが開発したもの。
彼らのお下がりをケイトたちは使っていたのでしょうか。
ちなみにケイトたちが新しく使う竜巻の解析装置にはスケアクロウ(かかし)、ブリキなど名前が付けられており、「オズの魔法使い」繋がりになっています(ドロシーは竜巻でオズの国に行ったので)。
前作と本作はストーリーとしては繋がりはほぼないわけですが、主人公像は対照的です。
前作の主人公ジョーは幼い頃に大竜巻により、愛する父親を亡くしました。
それが彼女にとってトラウマとなり、竜巻に彼女は固執します。
竜巻を追えば、父親に会えるような気持ちもあったのかもしれません。
そしてまた竜巻は父親を奪った敵でもあり、彼女にとってそれは怒りの対象でもありました。
対して本作の主人公ケイトにとっては、竜巻は恐れの対象です。
血気盛んな学生時代、彼女の判断のミスにより、仲間たち、恋人が竜巻に命を奪われます。
ジョーと同様に、ケイトも愛する者を竜巻に奪われたのです。
ケイトにとっても竜巻はトラウマなのですが、かつての自分が功名心で陥った過ちを見せつけてくる存在なのです。
彼女はそれから逃げ出しました。
ジョーは幼く無力だったため、父親を奪った竜巻に対してなす術はありませんでした。
だからこそ、大人になって対抗する力を持った時、その竜巻を制御しようと思ったのでしょう。
ケイトは竜巻がトラウマになった時、十分に大人であ離ました。
友人たちの命を奪ったのは、無論竜巻でありますが、そのきっかけとなったのは、自分自身だったのです。
ですから彼女の気持ちはジョーのように竜巻に向かうのではなく、自分自身に向かったです。
このように、同じく竜巻を扱い、それらを追うストーム・チェイサーたちを描いていますが、この2作品の主人公の違いを見てみても面白いのではないでしょうか。

| | コメント (0)

2024年8月18日 (日)

「仮面ライダーガッチャード ザ・フューチャー・デイブレイク」感じないダイナミズム

テレビシリーズはすでに最終版を迎えている「仮面ライダーガッチャード」の劇場版です。
令和ライダーとなってすでに「仮面ライダー」も5作目となっていますが、今期の「ガッチャード」は個人的には最も物語にのれていない作品となってしまいました。
平成以降の「仮面ライダー」は一年間を通して、縦軸のストーリーが非常に強い構成になっています。
対して「スーパー戦隊」シリーズは一話完結的な構成が強い傾向にあります(昨年の「キングオージャー」は例外的に縦軸のストーリーが強かった)。
「仮面ライダー」の縦軸のストーリーは時に驚くべき展開となり、一年間を通してダイナミックさを生み出してきました。
「ガッチャード」はその縦軸のストーリーが相対的に弱い印象です。
主人公宝太郎の全てのケミーと仲良くなる、という願いは縦軸の要素ではありますが、それによって他の人々や世界に大きな変化をもたらすものではありません。
中盤以降、グリオンや冥黒王たちが登場して、ストーリーにテコ入れは入りましたが、彼らの目的もいまいちはっきりとしません。
グリオンの言う黄金境とはどういう世界なのでしょうか。
無論縦軸が弱いのはいけないというわけでありません。
一話完結的なストーリー展開も良い作品はたくさんあります。
「ガッチャード」でも加治木のエピソード(9、10話、44、45話)はとてもエモくて良い話でした(この辺りはさすが長谷川圭一さん)。
「ガッチャード」で気になったのは、冬の映画の時にも書きましたが、あらかじめ映画やスピンオフを見越した展開となっており、それらがあまり本筋には影響を与えないことです。
冬の映画ではテレビで登場した錬金連合の話が劇場版で回収されましたし、本作で再登場したガッチャードデイブレイクもテレビシリーズの登場が前振りのようなものでした。
仮面ライダーレジェンドもスピンオフを見ていなければ、テレビシリーズでは突然登場したキャラクターに見えたことでしょう。
デイブレイクはタイムトラベル、レジェンドは並行世界というギミックを使っていますが、これらの設定も便利に使いすぎだと思います。
「電王」では時を旅するということの意味、記憶というもの意味がテーマになっていましたし、「ディケイド」では並行世界という設定が物語に大きく結びついていました。
本作はタイムトラベルも、並行世界もただの便利なツールのように深く考えられないで作られているように思います。
本作では錬金術が重要な存在ですが、これがもはや何でもありの魔法となっている感じがします。
本来は錬金術ならではの制約(某漫画のような等価交換の法則)などがあった方がより盛り上がったような気がします。
どうも一貫してどのような話にしたいのか、方針があまりきちんと立っていなかったというのが「ガッチャード」の印象です。
ですので、この映画に関しても最初からあまり気持ちは入らず、見てみてもただのスピンオフという程度であまり感心しませんでした。
最近の「仮面ライダー」の劇場版はこのような作品が多く、物足りない印象を持つことが多くなっています。

| | コメント (0)

2024年8月17日 (土)

「爆上戦隊ブンブンジャー 劇場BOON! プロミス・ザ・サーキット」自分のハンドルを握れ

「ゼンカイジャー」「ドンブラザーズ」「キングオージャー」と従来のスーパー戦隊シリーズの常識を覆したような作品が続いていました。
コロナ禍という前代未聞の状態の中で、新しい技術も取り入れながら、時代の閉塞感を打破しようという気概が、制作者にもあったのかもしれません。
コロナも落ち着き、平常が取り戻されてきた今年は、スーパー戦隊シリーズも、原点に回帰したような作品を送り出してきました。
それが「爆上戦隊ブンブンジャー」です。
このシリーズを見続けてきている自分としては、原点回帰なのですが、この2、3年でエントリーしてきた子供達には新鮮に見えるかもしれません。
主人公のレッドは頭脳明晰で、仲間を思う気持ちが強いリーダーシップを持つ、範道大也、ブンレッド。
最近のスーパー戦隊の中では、典型的なレッドなキャラクターですね。
他のブンブンジャーもそれぞれがプロフェッショナルな能力と個性があるメンバーが揃っています。
そういう意味では非常にスーパー戦隊らしい構成です。
ただ、今の時代を表しているなと思える部分もあります。
大也は「自分のハンドルを握れ」というセリフをしばしば言います。
これは自分自身がやりたいことを考え、実行していくのが、自分の人生であるということです。
この時代、さまざまな情報が溢れていて、非常に流されやすい。
大也はリーダーではありますが、メンバーのそれぞれの個性を非常に大事にします。
そしてその個性をいかに発揮させることができるか、そしてそのメンバーがイキイキと活躍できるのか、ということを考えています。
これは今の時代の理想の上司像にも通じるものがありますね。
子供たちも流されやすく、人と違ったことをやりたがらない。
おとなよりも同調圧力が強いのではないかと思うほど。
本作はそれぞれが違ってていい、ということを伝えてくれているようにも思います。
ちょっと話題が映画から離れてしまっていますが、映画の方は尺もちょっと短めなので、テレビシリーズの一つのお話、といった体です。
本作に登場する惑星トリクルの王女二コーラも自分の生き方を決められなかった少女です。
彼女はブンブンジャーと出会い、自分がやるべきと考える人生を歩み始めます。
最近の中では王道なスーパー戦隊である、「ブンブンジャー」。
子供達にはどんなメッセージが伝わるでしょうか。
個人的に好きなキャラクターはブンオレンジ。
大人の余裕を感じさせるキャラクターが新鮮です。

| | コメント (0)

«「もしも徳川家康が総理大臣になったら」自分に期待しろ