「室井慎次 生き続ける者」透かし見える商売っ気
青島が登場する新作の発表があり、非常に驚いているところです。
本作のラストにも登場していて、もしかしたらと思っていたところでもありましたが。
さて、本作です。
こちらは10月に公開された「室井慎次 敗れざる者」の続編です。
そちらのレビューでも書いた通り、前作は前振りのような位置付けであるため、見終わったあとは消化不良感がありました。
ですので、本作ではその感覚が解消されることを期待していました。
けれどもその期待は叶いませんでした。
本作は室井慎次というキャラクターの生き方を描き切るという目的で書かれたものだとは思います。
それであれば、真っ直ぐに彼の生き様を描けばよかったように思います。
本作はもともとBSのドラマとして企画されていたということなので、その頃はそうであったのかもしれません。
しかし、冒頭に書いたような青島が復帰し、シリーズが再起動するということが見えていた時に、本作をその呼び水にしたいという商売っ気が出てしまったような気がします。
前作を見た時から気になっていたことの一つとして、過去作品からの引用が多いというものでした。
昔からのファンからすると過去のキャラクターに関わるエピソードが出てくるのは嬉しいものです(本作でもすみれのその後に触れられていました)。
そもそも「踊る大捜査線」というシリーズがヒットした要因の一つとして、多種多様のキャラクターたちのサブエピソードが織りなすリンクが挙げられます。
ファンであればあるほど楽しめるこういった仕掛けは、MCUなどでも見られます。
こういった仕掛けは昔のファンも見に行ってみようという気持ちにさせる動機になります。
本作の事件は、室井の自宅の近くにレインボーブリッジ事件の犯人の一人の死体が埋められていたというものです。
そしてまた室井の家に転がり込む娘、杏が、日向真奈美であることもわかります。
これらは上に書いたリンクの要素です。
お客を呼ぶ仕掛けです。
しかし、それらの仕掛けは全く本作が描こうとしている室井慎次の生き様には関係がありません。
そしてタチが悪いのは、そのリンクの部分が本作のメインの筋に大きく関わっているように見えることです。
レインボーブリッジの事件から繋がるような気配がある死体遺棄事件は、結局は昔の仲間同士の仲間割れであり、室井の家の近くに埋めるように指示をした真奈美の意思はよくわからないままです。
杏のエピソードについても、母親が真奈美でなくても成立します。
かえって真奈美が刑務所で子供を産むという力技を駆使して、違和感を生み出しています。
前作では大きく事件が展開されるというような振りで終わりましたが、その結末は期待はずれでした。
客を呼び込もうと商売っ気で、伝えたかった物語な酷く濁っているように思います。
MCUはスーパーヒーロー疲れという現象に対し、従来ファンを意識したリンクの要素を以前より少なくし、それぞれのキャラクターのドラマを描く方向に舵を切っています。
それに対して「踊る」シリーズは、まさにかつてのMCUが歩んだ道を行こうとしているように見えます。
これを続けるといづ「踊る」疲れになるような気がします。
最近のコメント