2019年6月16日 (日)

「空母いぶき」 リアルではなくファンタジー

小説やコミックの映画化作品の記事の時に、私は原作未読です、と書いていることが多いのですが、「空母いぶき」については原作をしっかりと読んでいました。
ですので、この作品が映画化されると聞き、ちょっと驚きました。
理由の一つとしては、このコミックで描かれる敵国が中国であり、彼らの日本領土への侵入からこの物語が始まるからです。
尖閣諸島の問題など現実的にはかなりセンシティブなものなので、果たして映画化できるのかということ。
もう一つは現代のテクノロジーを駆使した戦闘を描いているので、今の方がの実力で描ききれるかということでした。
一つ目の問題については設定を大きく変更し、敵国を中国ではなく、仮想の国である東亜連邦とすることにより対処していました。
これにより本作は原作の持つ良さを大きく損なったと思います。
確かに中国を敵国として描くのは厳しいでしょう。
しかしそれであれば映画化しなければいいのです。
映画化するということは原作が持つ魅力を映像として描くことが目的であると思うのですが、その根本を変えてしまっては意味がありません。
原作の魅力の一つは、現代の国際環境として日本の政治、軍事をリアルに描くということです。
もし現実に中国が日本の国土を侵略してきた時、日本の政治家、自衛隊はどう対処すべきか、ということを問うシミュレーションです。
シミュレーションであるならば、それは仮想の国であっても構わないのではないかと思うかもしれませんが、原作はあくまで現実的にありえそうな状況を提示することによって、読者にも課題をより現実感を持って捉えて欲しいという意図を感じます。
それをリアリティのない背景を持つ東亜連邦などという仮想国を登場させても原作の持つ緊迫感は出せません。
またこの東亜連邦という国は相手側の描写が一切ありません。
相手も意図がある人間であるということが描かれないため、よりファンタジー感があります。
原作は日本サイド、中国サイドの政治家、自衛官・軍人の描写が描かれているため、彼らの読みの攻防による緊迫感もあるのです。
それが本作では一切ないため、リアルな緊張感は感じませんでした。
関連することですが、原作は日本・中国の間での互いの政治的・軍事的読み合いがあり、その上での戦略・戦術が展開されることを描写しています。
しかし、本作では相手がたの新興国である東亜連邦は現実的ではないほどの軍事力を持っており、それをあまり考えずに逐次投入をしてきています。
それに対し「いぶき」を中心とする自衛隊も応戦しているだけであって、戦略的・戦術的な緊迫感はありません。
一見軍事もののように見える本作ですが、基本的にはファンタジーであると私は捉えました。
それはもともとの原作のスタンスと立ち位置が違うと思います。
日本と東亜連邦の戦闘も、ネットニュースのスクープによる市民の関心の高まり、そして国連の多国籍軍による介入により、収束します。
これはどこかで見たことがある展開だと思いました。
エンドクレジットで企画に福井晴敏さんの名前を見たことで納得しました。
展開が「人類資金」に似ているのですよね。
福井さんの作品は嫌いではないのですけれど、ちょっと苦手なところもあります。
うまく言えないですが、リアルに描こうとするのですが、どこかファンタジーな要素があってそれがリアルさと相殺してしまう感じとでも言いましょうか。
彼自身の初期の作品である「亡国のイージス」「終戦のローレライ」などもそうでした。
最近では「機動戦士ガンダムNT」「宇宙戦艦ヤマト2202」なども同じ匂いがします。
それぞれのオリジナルは世代なのですごく好きなのですけれど、どうもアレンジがファンタジー色が強くなっているので、そこにどうも波長が合わないのですよね。
本作「空母いぶき」に感じた違和感と同じものだと思います。

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「名探偵ピカチュウ」 ピカチュウの声がおっさんである意味

いわゆるポケモンブームが巻き起こった時にはすでに社会人となっていたので、ゲームにしてもアニメにしても個人的には全く馴染みがありません。
そもそもゲームボーイは持っていなかったですし。
「ポケモンGO」がリリースされて大ブームになった時に、初めてポケモンたちを知ることとなりました。
つまりは「ポケモンGO」しか知らないわけで、それぞれのポケモンがどんなキャラクターを持っているのやら、「ポケットモンスター」がどのような世界観なのかがわかっていないわけです。
アメリカで「ポケットモンスター」が実写化される時は、多くの日本人が思ったようにまたもやおかしな映画ができるのではないかということでした(「ドラゴンボール」のような)
ただオリジナルをほとんど知らないわけなので、本作にはフラットな態度で臨むことができました。
予告を見た時にわかったのは、どうも本作は通常の「ポケモン」とは異なる物語であるらしいということ。
「ポケットモンスター」の中で最も重要なポケモンと言えば、門外漢でもピカチュウだと答えるでしょう。
私でもピカチュウだけは知っていて、可愛らしく「ピカーッ」と鳴いているイメージでした。
しかし、本作のピカチュウはと言えば、中年のおっさんの声なのです。
正確に言うと、主人公のティムにしかその声は聞こえず、他の人間にはやはり「ピカーッ」としか聞こえません。
そしてそのピカチュウが探偵であり、主人公とペアとなって事件を解決するということです。
どうも聞いたことがある「ポケモン」とはだいぶ違うような気がするとは思いましたが、それほどオリジナルに思い入れはないのでそれがハードルにはなりませんでした。
それよりピカチュウの声をライアン・レイノルズがやっているということで、そのことの方が何かありそうだという予感に繋がり、見てみようと思いました。
 
<ここから先はネタバレあり>
ピカチュウの声をおっさんであるライアン・レイノルズがやっているというのが、想像以上にストーリーにとって大事であることが終盤に明らかになり、そのアイデアにとても感心しました。
事件の黒幕は人間とそのパートナーであるポケモンを一体化することにより、ポケモンの力を人間が手に入れることができるようにし、それによって強制的に人間を進化させようとします。
ピカチュウがおっさんの声であるのは、ティムの父親であるハリーがピカチュウと一体化させられてしまったためであることがわかります。
そのため、ピカチュウの声を聞き取れるのは息子であるティムだけということなのですよね。
ピカチュウが口にしていた「I like that. I like that very well.」という口癖はハリーも口にしていました。
子供向けの映画かと思いきや、意外とストーリー的にもしっかり練られていましたし、映像的にも頑張っていて好感が持てる作品でした。
こんな風に丁寧に実写化してくれるとありがたいですね。

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2019年6月 3日 (月)

「キングダム」 馴染みない中国史であったが、シンプルに描き出す

「GANTZ」「アイアムアヒーロー」「いぬやしき」などコミックの実写版映画を多く手がける佐藤信介監督の最新作は、これまた大人気のコミック「キングダム」です。
私は例によって原作は未読なのですが、秦の始皇帝の話だということは知っていました。
私は本も映画も歴史ものが好きで、三国志などもよく読んでいたので中国史などには馴染みがあったのですが、普通の人はそういうものにあまり興味がないと思っていたので、始皇帝の話の漫画などあまりうけないと思っていたので、コミックの「キングダム」が人気であることを聞いた時、意外に思いました。
昨年その「キングダム」が実写映画化するということを聞いた時も、ちょっと驚きました。
まずは壮大な中国という大陸国家が持つスケールを、ハリウッドならいざ知らず、邦画の規模で描ききれるかということ、また中国人を日本人のキャストで演じるということで不自然にならないかということが気になりました。
ただ今までも実写化が難しいと言われた原作ものを確実に描き切ってきた佐藤監督でしたので、期待もしていました。
私は原作を全く読んでいないので、原作に対してどうだったかという評価はできないのですが、結果的には非常に上手にまとめ上げたという印象です。
まず評価できるのはストーリーを極力シンプルにしたということでしょう。
今回は原作の1〜5巻という最初期のパートを基にしているということなのでそのためかもしれませんが、基本的に国を簒奪された王が家来とともにそれを取り戻すという展開です。
視点としては基本的には将来始皇帝の将軍となる信という青年のものが基本線として話が一本道で進むので、わかりやすい。
多くの観客に馴染みのない古代中国の話なので(人物の名前が馴染めないということも含めて)あまり複雑なストーリーだとついていけなくなる懸念はあったと思います。
三国志などはどうしても複数視点でないと描けないので、馴染みのない方にはついていきにくいですよね。
主人公を後に始皇帝となる王政ではなく、戦争孤児である信であるということもわかりやすい一因かもしれないですね。
信は将来実在の人物である李信という将軍になるというキャラクターですが、基本的には我々にとっては知らない人物なので、逆に歴史などに強くない人でも馴染みやすい。
キャラクター造形としても現代的で若いやすいですからね。
このキャラクターを演じるのは山崎賢人さんですが、鑑賞前は個人的な印象としてはあまり歴史ものには合わなさそうな感じがしていました。
ただ実際に見てみると、その現代的な感じが歴史もの特有のとっつきにくさ感を払っていたような気もします。
他のキャラクターの配役などについてもそのような印象を受けました。
心配していたスケール感についても、物語の設定上少数で城内に切り込み、その中での戦いがメインになるため、大軍団同士がぶつかり合うというようなシーンがなかったために大陸らしさが感じられないようなことはありませんでした。
適所で中国でのロケのシーンも入っていたので、上手にスケール感を補得ていたかと思います。
アクションシーンについては城内での戦いになるのでこじんまりするかと思いきや、個人対個人の戦いをアクロバチックに見えることで迫力は出ていたと思います。
魅せるアクションについては「GANTZ」「図書館戦争」などでも確かな手腕を見せてくれた佐藤監督なので見せどころをいくつも用意していました。
原作好きな人の評価は聞いていないのですが、邦画としてはかなり人が入っているということなので、ファンにも評判が良いということでしょうか。
続編を、という話も聞こえてきますが、期待はできますね。
本作で大沢たかおさんが演じていた王騎というキャラクターがクセがあって興味深かったので、もう少し彼と信が絡むと面白そうですね。
次回あるならばどうしても軍団同士の戦いは見せないわけになりそうなので、その時のスケール感をどうするかは課題かとは思います。
とはいえ佐藤監督ならしっかりまとめてくれることでしょう。
期待を込めて。

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2019年5月20日 (月)

「バイス」 日米の政治観の違い

ジョージ・W・ブッシュ大統領の時の副大統領であったディック・チェイニーを主人公とした作品。
チェイニーの名前は当時の報道などで聞いていて、副大統領であったこと、あとはネオコン(新保守主義)に属する政治家であることは知っていました。
イラク戦争などを開始したことでアメリカが大きく変わり、それによって世界が変わっていこうとしていた時で、ネオコンという考え方にやや危険なものに感じていたので、覚えていたのだと思います(現在の方がさらに危険な匂いを感じますが)。
とはいえ、具体的にチェイニーが何をしたかということはよくは知ってはいませんでした。
予告を見た時は、大統領ではなく副大統領に目を付けるとは渋いところをついてくるなといった印象でした。
どちらかといえばクリスチャン・ベールがまるで見た目が違うチェイニーになりきって演じている様子に興味を持ちました。
彼はいつも役に合わせて、変幻自在に見た目から何から変えてきますが、その技を見たかったというのが鑑賞理由の第一でした。
確かにクリスチャン・ベールのなりきりっぷりは抜群でした。
「ウィンストン・チャーチル」でチャーチルになりきったゲイリー・オールドマンも素晴らしかったですが、クリスチャンもさすがです。
これも特殊メイクということですが、普段の彼の容貌がわからないくらいの変貌ぶりでした。
彼が演じるチェイニーと、本物のチェイニーの写真を比べれば確かに違うのですが、劇中の彼を見ていると印象はまさに本物のよう。
喋り方なども似せてきているのですよね。
容貌を寄せるだけではなく、その人物の特徴を巧みに捉える技はさすがです。
日本ではなかなか「バイス」のような実際の政治をテーマにした作品は見当たらないですよね。
色々と気を使うことがあるのでしょうが、こういうある政治的なスタンスが明らかな作品も作られるというのがアメリカらしいところだと思います。
どちらかといえば、アメリカで映画を作るような人々の多くはリベラルなので、ネオコンとは逆の立ち位置にいる方が多いかと思うので、この作品のようなスタンスの作品が作られるのだと思いますが。
本作はコメディのような笑いであったり、アイロニーを含んだ描かれ方をしています。
個人的にはアイロニーが効きすぎている気もしましたが、この目線も日本にはあまりない視点です。
日本では政治を笑い飛ばすと不謹慎であるという雰囲気がありますよね。
それは歴史的に政治は社会上高位にある人々が行ってきたという背景があり、庶民は口出ししてはいけないというイメージがあるのかもしれません。
日本では政治が身近ではないとよく言われますが、政治家だけの問題ではなく、一般人も何か遠いものと見るスタンスがあるのではないでしょうか。
アメリカは建国時から民主的な選挙で社会の代表を選び、政治を行ってもらうという体制をとった世界初の国です。
ですので、政治はそもそもが民衆のものという考えがあるのでしょう。
民衆の代表が政治を行っているわけですから、その中には時折おかしなことを言う者も出てくるというのが社会的には折り込み済みなのかもしれません。
ですから、そのようなものが出てくるとからかったり笑い飛ばしたりする。
それは彼らもそもそもが民衆の一人であるからという基本的なスタンスからきているような気がします。
政治とは関わるのは面倒くさい存在というより、大いに関わりあうべき存在なのでしょう。
日米の政治観の違いというのを感じた一作でした。

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2019年5月 4日 (土)

「アベンジャーズ/エンドゲーム」 文句なしの大傑作!

マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の第22作目であり、ひとまずのフィナーレとなる本作、観る前に事前情報をなるべくシャットアウトして劇場に足を運びました。
まさに期待以上の大傑作と言えるでしょう。
全てのMCU作品を観てきた私としましては大満足の結果でした。
そもそも「アイアンマン」からスタートした一つの世界観を共有するヒーロームービーの連作であるMCUという壮大な実験は少なからずエンターテイメント映画に多くの影響を与えたと言えるでしょう。
 
<ここからは大いにネタバレするので未見の方はご注意です>
 
前作「インフィニティ・ウォー」の衝撃的な結末を観た時、この話をどのように収束させるのか想像もつきませんでした。
いや、収束させるだけならまだ簡単かもしれません。
難しいのは今まで10年以上続けてきたこのシリーズのキャラクターたちのそれぞれのファンたちが納得できる、全てのキャラクターの結末を用意することが至難の技であったのだと思います。
結論からするとその困難な試みを本作のスタッフ及び出演者は成功することができたと感じました。
まず前作のラストでほとんど半分のヒーローが姿を消してしまうという衝撃的な結末に対し、どのようにその事態を解決するかということです。
まず私が感心したのは、この手のアメコミ映画でよく使われるタイムトラベル、もしくはマルチユニバース的な解決方法を安易に用いなかったことです。
マルチユニバースについてはそれをやってしまうと単独の世界観を共有するというMCUの試み自体を自己否定してしまうことになるので、この方法は取れなかったのだと考えます。
本作で用いているのはもう一つのタイムトラベル的な解決方法ですが、安易な過去改変による現在の問題を無かったことにするという考え方ではありませんでした。
劇中でも簡単にバナーやエンシェント・ワンが説明していましたが、過去を改変してしまうとそこで新たな時間軸が発生してしまうということになります。
その新たな世界では問題はなかったことになっていますが、もともといた時間軸ではその問題は何も解決をしていません。
いわばタイムトラベルと言っても別世界に行っているようなものなのですね。
本作ではそのような考えはとらず、あくまでサノスの指パッチンはあったという事実はなくならず、そこで存在しなくなってしまった者たちをいかに取り戻すことができるかということをトライしています。
タイムトラベルという世界間移動をしてしまうと、先ほどのマルチユニバース的な解決方法をとった場合と同じジレンマを抱えることになります。
このような考えにいたったスタッフたちは、私たちが考えている以上にこのMCUの世界を大事に思っていると感じました。
彼らにとってはMCUが描く世界こそが唯一の大切な世界だということです。
 
本作をもって多くの初期にMCUのヒーローたちが引退することとなります。
特にアイアンマン、キャプテン・アメリカはこの10年MCUを引っ張ってきた2大キャラクターですから、彼らのファンが納得できる幕引きをしなくてはいけません。
これも相当難易度が高いことであったと思いますが、これも成功したと思います。
まずアイアンマンことトニー・スターク。
彼は初登場作では鼻持ちならない大富豪でありましたが、ヒーローとして自覚を持ち人々のために戦うということを決心します。
基本的にプライドが高く自己中心的なところもありますが、人々を守りたいという強い意志を持ち今まで戦ってきました。
しかし前作でサノスの強大な力の前に屈し、彼は絶望を覚えます。
しかし彼は無事に生還し、また愛するポッツとも再会でき、そして彼女との間に娘を授かることもできました。
彼自身だけのことを考えれば、幸せと言えるかもしれません。
彼が戦えないと言っても誰もそれに文句は言えないでしょう。
けれども彼は多くの人々を助けることができ、自分の家族も守る可能性があるのであれば戦うと、立ち上がります。
彼には自分だけが幸せになってしまっていいのかという思いもあったはずです。
息子のように、弟子のように世話をしていたピーター・パーカーは彼の腕の中で消えてしまいました。
その時に感じた無力感、絶望感は、現在の幸せだけでは埋めがたかったのかもしれません。
失われた人々を助け、そしてサノスから世界を守るための戦いの中、彼は究極の選択を決断します。
人々を守るために自分の命を捧げることを。
彼はあそこで指パッチンをすれば自分が死ぬことはわかっていた。
そうなれば自分の家族と暮らすささやかな幸せを失うことも。
それでも彼は指を鳴らした。
元々は自分の為にだけ生きていた男が人のために自分の命を捧げた瞬間でした。
そしてキャプテン・アメリカ。
彼はそもそも自分ではなく人々を守りたい救いたいという思いのためだけに戦ってきました。
そもそも登場作品で彼はヒドラの野望から世界を守るために自分の命を捧げようとしたわけですから。
そういう意味ではトニー・スタークとは対照的です。
この対照性がその後の「シビル・ウォー」におけるスタンスの違いにつながるわけです。
本作においても希望をなくしてしまった世界で彼は少しでも人を救いたいと活動をしています。
そして多くの人を取り戻せる可能性が出てきた時、彼は迷わずそれを叶えようとします。
まさに人々のために戦ってきたキャプテン・アメリカです。
そしてサノスを食い止め、世界を救った時、あるべき場所にインフィティ・ストーンを戻すために再び過去に戻りますが、彼は結局戻ることはありませんでした。
そのまま過去に留まったのです。
彼は過去で生き別れとなってしまったマーガレットと再会し、彼女と幸せに暮らしていたのでした。
「自分の人生を生きてみたいと思った」と彼は言いました。
それまで人のために生きていた彼が、最後にこう言ったことに心が震えました。
アイアンマンとキャプテン・アメリカ。
対照的であった二人がそれぞれ彼らなりの生き様を見せてくれたラストに感激をしました。
ブラック・ウィドウやソーについても色々語りたいところもあるのですが、長くなるのでこれまでとしたいと思います。
「インフィニティ・ウォー」の指パッチンで消えたメンバーは最近のヒーローが多かったとは思いましたが、それは本作において勇退する初期のヒーローたちを描くことにフォーカスしたかったということと私は理解しました。
それは正解であったと思います。
これだけのドラマを彼らに用意できたのですから。
ラストバトルで消え去ってしまったヒーローたちも再び集結しサノスたちと戦うシーンも鳥肌ものでした。
これでこういう勇姿が見れなくなると思うと悲しくもあるのですが、仕方がないですよね。
こんなに素晴らしい物語を見せてくれたスタッフ、出演者に感謝したいです。
MCUはまだまだ続き、新たなサーガが始まります。
それはどのような物語かはまだわかりませんが、このスタッフたちが作るのであるならば何も心配することはないでしょう。
次の「スパイダーマン」の新作を心待ちにしたいと思います。

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2019年4月20日 (土)

「シャザム!」 DCも快進撃中!

一時はマーベルに遅れをとっていた感もあったDCですが、「ワンダーウーマン」「アクアマン」と当ててきて、勢いがついてきている気がします。
マーベル・シネマティック・ユニバースに対抗し、現在DCはDCエクステンデッド・ユニバースを展開していますが、最近はややユニバースとしての縛りを緩めてきていると思います。
初期のDCエクステンデッド・ユニバースは非常にザック・スナイダーの個性が強く出ていたがために、それぞれのヒーローの個性がやや抑えられていたようにも感じます。
これはMCUが一つの大河ドラマとして機能しつつも、それぞれの作品についてはチャレンジングな監督起用をすることにより、単独作品としての個性も大切にするということと対照的です。
最近ヒットしているDC作品については以前よりも、それぞれのヒーローの世界観を重視しているように思え、それが観客にも受け入れられうまくいっているように感じられます。
そのような流れの中での本作「シャザム!」です。
初期のDCエクステンデッド・ユニバースのザック・スナイダー的なダークなトーンとは全く相いれない作品の登場です。
個性的という点ではマーベル映画の中の「デットプール」的な位置付けじゃないですかね(あっちほど下品ではないですが)。
本作はスーパーヒーローものと言いつつも、基本的にはコメディであり、スーパーヒーローのパロディとも言えます。
ですので、スーパーヒーロー作品への造詣が深いほど楽しめる作品になっています(しかし、知らなくても全く問題がない)。
本作のヒーロー、シャザムの姿はまさに古典的なヒーローそのもの。
ムキムキ筋肉にぴっちりタイツ、そしてマント。
ぶっちゃけこれはスーパーマンのパロディです。
しかしこの作品がイケてるのは、いかにもヒーローなその姿に宿っている精神が14歳の少年であるということです。
シャザムはスーパーパワーを持っていますが、中身は14歳の少年なので、いたずらなどにも使っちゃう。
見かけと精神のアンバランスさが本作のコメディのエッセンスです。
肉体と精神が入れ替わったりでアンバランスな行動が笑いとなるというのは様々にありますが、それをヒーロー映画でやったのが新しいところですね。
コメディ映画とはなりますが、ヒーロー映画としてもしっかりとしています。
シャザムの力を受け継いだ少年ビリーはその力の意味を全く分かっていませんでした。
しかしスパイダーマンの「大いなる力には大いなる責任が伴う」ではないですが、その力がことによれば人を傷つけ、そしてまた人を救うことができるということに気づきます。
また彼の力を奪おうとするヴィランが登場し、彼自身が何のためにその力を使いたいのかということを考えるきっかけを与えます。
彼はその力を身近な大切な人を守りたいという決心をするわけですが、そこはヒーロー映画らしい胸が熱くなる展開となっています。
最後のヴィランとの対決についても、あっと驚くような展開となります(ネタバレになるので書きません)。
主人公ビリーの境遇やシャザムの力の謎などの設定が一気に回収されるので、この辺も小気味いいですね。
マーベルに負けず劣らず、DCも快進撃を続けています。
次にも期待ですね。

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「ハンターキラー 潜航せよ」 潜水艦モノは面白い、しかし名作と呼ばれるには何か足りない

潜水艦映画好きなので、見逃すわけにはいきません。
「眼下の敵」「Uボート」「レッド・オクトーバーを追え!」「クリムゾン・タイト」・・・、潜水艦モノには好きな映画が多いです。
目を使うことはできず耳だけが頼りであり、狭い空間にいながら、常に周囲を高圧の海水に囲まれている。
海中に潜ってしまえば例え味方でも連絡は取りにくく、緊急事態においても判断は己で行わなければならない。
潜水艦という環境そのものが、精神的にハイプレッシャーを受ける状況なわけで、そこで展開されるドラマが面白くないわけがありません。
これが潜水艦映画にはハズレなしと言われる所以なのでしょう。
さて本作「ハンターキラー」はどうでしたでしょうか。
うん、悪くはない。
面白くないわけではありません。
ただそれがこの映画だからこそ面白いのかと言われると、上で書いた潜水艦映画で描かれる状況として基本的に持っている緊張感ゆえに面白いと言えなくもありません。
例えば「クリムゾン・タイト」であれば、潜水艦という狭い環境の中での強い信念を持った男同士の争いを合わせて描いていることが作品の個性であるし、「レッド・オクトーバーを追え!」であればスパイ映画風味を加えたところが作品のオリジナルさであると言えます。
それでは本作「ハンターキラー」はどうであったかというと、他の名作と言われる潜水艦作品と比べると際立った個性はあまり感じられません。
どちらかと言えば、今までの潜水艦モノで見たような既視感を感じるようなところもあります。
とは言え、決してつまらないわけでもありません。
潜水艦モノらしい緊張感はある作品になっているとは思います。
国とかは関係なく海にいる者同士が感じるリスペクトなどはやはり胸アツですしね。
ほんともう少しひねりが効いていれば、潜水艦映画の名作入りだったかもしれないのですけれどね。
潜水艦モノは普通にやっていても及第点は取れるいい題材なので、やはり名作と呼ばれるためにはもう少し際立った個性が必要であると思います。

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「ダンボ」 ティム・バートンらしくもあり、らしくもない

ティム・バートンがあの「ダンボ」を実写映画化ということで期待して見に行ってきました。
彼が今まで撮ってきた映画の中に常に持っているテーマと「ダンボ」は親和性が高いと思ったのですよね。
ご存知の通りダンボは耳が非常に大きな子象で、その外見によってバカにされます。
しかしその大きな耳を翼のように使うことによって空を飛べることができるようになり、それによってダンボはサーカス団のスターになるのです。
ティム・バートンがその作品の中で描いてきたのは、異端者です。
彼らは外見や性格や趣味が他の人々とは異なるということだけで、のけもの扱いをされ、恐れられます。
ティム・バートンは彼らのその異質な点こそを良さと認めます。
人と違うことを気にするのではなく、そここそを自分らしさと認め、自分自身を受け入れるようにするということです。
これは彼自身の体験も反映されているのでしょう。
彼の物語は、異なった個性を受け入れられて幸せになるパターンと、結局は誰にも受け入れられず不幸せになるパターンとがありますが、何れにせよティム・バートン自身は異端者に寄り添っています。
そういうティム・バートンですので、ダンボにも非常に共感をしていたのではないかと思われます。
その点において本作実写版の「ダンボ」はティム・バートンらしい異端者への寄り添いが感じられる作品となっていました。
ダンボ自身が異端であることを恐れていたところで、周りの彼を助けてくれる人々の力をもらって彼は勇気を持って飛びます。
それによりダンボは自分自身を認めることができました。
とてもティム・バートンのスタンスが感じられ、かつディズニーらしい仕上がりになっていたと思います。
ただ残念なのはティム・バートンらしいスタンスが現れている作品であるとは思いますが、彼らしいトーンであったかというとやや疑問です。
ティム・バートンといえば、やはりややダークで非現実的な異質感を持っているトーンなのですが、その辺りはやや抑え気味であったかなと。
サーカス団のショウの中の描写でいくつからしさを感じるところもありましたが、全体としては非常にお行儀がよかったかなと感じました。
この作品は子供層も意識しているところでしょうから、ディズニーらしい健全なところを求められたのかもしれません。
ティム・バートンの世界観が好きな自分としては少々物足りなくもありました。

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2019年4月 6日 (土)

「バンブルビー」 シンプル イズ ベスト

「トランスフォーマー」の第1作を初めて見たときは度肝を抜かれました。
車からロボットへまるで手品を見ているかのように見事に変形する様に目を見張ったのです。
しかし人間とは怖いもので、一度は驚いた描写にもいつしか慣れてしまいます。
その思いを知ってかしらずか「トランスフォーマー」シリーズはいつしかビジュアルもストーリーも過剰に、過剰にという方向に向かっていったと思います。
個人的にはすでに2作目あたりでビジュアル的にはお腹いっぱいな気分になりました。
ストーリーも後付けで色々と設定が出てくるので「ロストエイジ」くらいからあんまり考えるのを止めました。
もうここまで見てきたから、仕方がなく付き合っている感じもします。
そういう満腹感を多くの人が感じていたからでしょうか、本作「バンブルビー」はビジュアル的にもストーリー的にもシンプルになっています。
「バンブルビー」が描くのは「トランスフォーマー」の第1作目よりも前の話でいわゆるプリクエルになります。
本作はサイバトロン星の記憶を無くしたバンブルビーと少女の交流をメインに描きます。
異世界の生き物を少年・少女の交感というのは、「E.T.」など多くの名作を生み出している黄金パターンと言えます。
本作は王道で典型的なストーリーとなりますが、複雑化している「トランスフォーマー」シリーズを意識すると、とてもシンプルでそれゆえ安心して見ていられます。
幼児退行してしまったかのようなバンブルビーは機械でありながら愛らしく、主人公チャーリーでなくとも守ってあげたい気分になりますよね。
この辺りに「E.T.」との類似性を強く感じるところです。
そう言えば、本作の製作総指揮はスピルバーグでしたね。
アクション部分については最近の「トランスフォーマー」シリーズのように画面あたりの情報量を抑えているように感じます。
そのためアクションの中心をしっかりと見ることができるので、見ていて疲れないです。
最近の「トランスフォーマー」は見終わるとほんと疲れますから(3D見ようものならなおさら)。
ビジュアル的にもストーリー的にもシンプルを意識した本作。
個人的には最近の「トランスフォーマー」シリーズの中では最も良いと思いました。
さて「バンブルビー」を経て「トランスフォーマー」シリーズはどこへ向かうのでしょうか。
本編の方は話を広げすぎて収集つかなくなっているようにも感じますが、果たして?

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「運び屋」 良い人生?悪い人生?

自分勝手に生きてきた。
家庭よりも仕事優先。
家族のお祝いごとよりも、外での付き合いを重視する。
本作の主人公アールはこのように生きてきました。
そんな父親はかつての日本にも多くいました。
自分の父親の世代などはまさにこういう人ばかりだったと思います。
最近はイクメンと言われる人も増えて、家庭にも関与する父親も多く、隔世の感があります。
アールは自分の達成感がすべてで、家庭を顧みることはありませんでした。
そのため妻にも娘にも三行半を突きつけられてしまい、さらには時代の流れに取り残されて一番大事にしていた仕事も失ってしまいます。
ふとしたきっかけでかかわってしまった仕事も、それが麻薬輸送だとわかってからも続けます。
果たしてこのような人生は彼にとって良かったのでしょうか。
それとも悪かったのでしょうか。
答えは・・・「わからない」でしょう。
そもそも良い人生、悪い人生というのは何なのでしょうか。
アールはその人生のほとんどを自分がやりたいようにしてきました。
そしてそれなりの名声も得てきていたようです。
その点においては満ち足りた人生と言えるでしょう。
しかし家庭をないがしろにしてしまったため、晩年は家族とは疎遠になり人地ぼっちで過ごすことになります。
この視点では悪い人生と見えます。
彼はその後、麻薬の輸送に関わるようになりますが、彼なりのやり方で仕事を評価されていくようになります。
彼もそれなりに達成感を感じるようになります。
仕事の内容は別にして、歳をとっても仕事にやりがいを感じているという点はいい人生です。
しかし、結果的には彼の行為は露見して逮捕されることとなってしまいます。
人生最後に逮捕されるという点は最悪と言えるでしょう。
とはいえ、逮捕される前に愛していた妻の臨終には立ち会うことができました。
それは彼の人生は幸せだったといえるでしょうか。
言えないでしょうか。
やっぱりわからないです。
まだ自分は彼ほどの歳になっていないので実感はないのですが、人生を長く生きれば生きるほど、後悔したことはたまっていくに違いありません。
アールがすごいと思うのは、歳をとっていても前向きな点があるということです。
もちろん彼の人生も後悔ばかりです。
それでもまだ前を向けているというところが、ただの老人と違うという気はしました。
しかし彼の人生が幸せであったのかどうかはわかりません。
その答えがわかるのは、まさに彼が死ぬ時にどう自分の人生を振り返るかということなのでしょう。

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