2021年1月 4日 (月)

「劇場版「鬼滅の刃」無限列車編」 負けない強さ

遅まきながら劇場版「鬼滅の刃」を見に行ってきました。
昨年のブーム真っ只中の時は完全に出遅れていたのです。
その時は幼稚園生の娘が「禰󠄀豆子!」とか「炭治郎!」とか言っていて、「家で見せていないのになぜ知っている?」と驚いていたのですよね。
彼女たちが幼稚園で話題にするくらい流行っているのかと。
少々ひねくれているところもある私は流行っていると、いいやと思ってしまうところもあり、ずっとスルーをしていたのですが、年末に会社の社長との来年度以降の打ち合わせの時に「こんな時代に『鬼滅の刃』が流行っている理由を考えた方が良い」というような趣旨の発言をされて、これまた驚いたわけです。
幼稚園生から社長まで魅了する「鬼滅の刃」、押さえない訳にはいかないと。
ということで冬休みに入ってから幼稚園生の娘と「鬼滅の刃」を一気見、そして年始早々劇場版に足を運んだというわけです。
 
こんな時代に「鬼滅の刃」が流行っている訳。
社長から出されたお題は色々な人が論じています。
炭治郎が置かれた状況は客観的に見てとても苦しい状況で、それをコロナ禍における辛さに人々が重ね合わせたという説もありました。
それは確かにそうだと思います。
ただそれだけではなく、そういう辛い状況への炭治郎の対し方に共感が湧いたのだと考えます。
炭治郎は決して強いわけではありません。
そして家族を守りきれなかったという後悔を常に持ち続けています。
そして全ての人に対して等しく(鬼でさえも)尊重する思いを持っています。
今回の映画の中で炭治郎の深層心理の情景は冴え渡る一面の青空でしたが、まさに彼には影がない。
彼が戦う鬼は自分のために人を食う。
コロナ禍において、社会がギスギスとしていることを感じていた方も多かったと思います。
年配者は若者を酷く言い、若者は年配者を悪く言う。
自粛警察といった正義感を振りかざす人たちもいました。
ネットでの誹謗中傷も多かったと思います。
これら悪意はまさに鬼のように、感染して拡大していきます。
そのような悪意が蔓延していく状況の中で炭治郎という少年の生き様は希望のように感じたのかもしれません。
彼は鬼にすら同情をする。
鬼が背負ってきた悲しみを感じることができる。
計算高いわけではなく、大きく広く、悲しみや辛さをありのままに受け止めることができる。
彼は柱ほど強くはない。
鬼に叩きのめされることもある。
彼自身も己の不甲斐なさを自覚している。
けれども決して弱いわけではない。
彼は負けないのだ。
劇場版でも彼の凄まじい強さを感じさせる場面がある。
今回劇場版に登場する鬼は相手に幸せな夢を見せ、夢に留まらせる力を持つ。
その夢から脱出するには夢の中で自刃するしかない。
炭治郎はそれに気づく。
目覚めても鬼は炭治郎に何度も術をかける。
その度ごとに炭治郎は何度も夢の中で自刃をするのだ!
夢の中とはいえ、自分に刃を向けることは大変な苦痛だろう。
しかし彼は人々を救うために何度でもそれを行う。
彼は一撃で鬼を滅する圧倒的な強さを持っているわけではない。
彼が持っているのは決して負けないという強さなのだ。
コロナ禍において精神的に追い込まれることがあった人も多かったと思います。
そんな中で炭治郎の負けない強さというのは、一つの支えになったのかもしれませんね。
 
強いと言えば今回劇場版の最後に圧巻の戦いをした炎柱の煉獄杏寿郎です。
彼は実力的にも鬼殺隊随一の剣士ですが、上弦の鬼である猗窩座
と死闘を繰り広げ敗れます。
猗窩座は煉獄の力を認め、鬼になるよう勧めますが(まるで「魔界転生」のようだ!)、彼はそれを拒否します。
彼は幼い頃より類稀なる実力を持った人間の責任として、人を救うために生きてきた。
だからこそ己の業のために生き人を害する存在になるよりは、人を守って死んでいくことを選んだ。
そしてその意思を後身に伝えようとした。
まさに天晴れな生き様であり、炭治郎とは違う圧倒的な強さを見せてくれました。
4歳娘はこの場面で泣いていましたね。
彼女が映画を見て泣くというを見たのも初めてでした。
「なんで泣いたの?」と聞いたら「悔しかったから」と言っていました。
「あの鬼は逃げてずるい」と。
確かにその通り。
上弦とはいえ、結局は己の身を大事にし、戦いを捨て彼は逃げた。
煉獄は己を犠牲にしても戦いから逃げなかったわけです。
 
あと「鬼滅の刃」がヒットした理由として、家族愛をあげる方もいます。
周囲の女性に聞くとこの意見は多かったように思いました。
劇場版においてそれを強く感じた場面が一つあり、とても印象的でありました。
炭治郎に鬼が夢を見せますが、次第により過酷な夢を見せようとします。
愛する家族が炭治郎を責め、傷つけようとする言葉を投げつけます。
それによって鬼は炭治郎の心を壊そうとしたのでしょう。
しかし、炭治郎はかえってそれが夢であることを見破ります。
彼は「バカにするな!俺の家族はそんなことを言うわけがない!」と言います。
そう、彼は彼の家族を心の底から信じているのです。
それには惑いとようなものは一片たりともない。
彼がどれだけ家族を思い、信じているかを伺わせるセリフであったと思います。
鬼たちの絆は全て恐怖によってなされているもの。
そうではない絆が炭治郎にはあるということですね。
 
アニメで描かれているのはまだまだ漫画では序盤とのこと。
今後の展開を楽しみに待ちたいと思います。

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「燃えよデブゴン/TOKYO MISSION」 80年代カンフー映画へのオマージュたっぷり

2021年最初の映画鑑賞はこちら「燃えよデブゴン/TOKYO MISSION」です。
「燃えよデブゴン」とありますが、サモハン・キン・ポーではなくドニー・イェンが主演です。
とはいえドニー自身はおデブではないので、特殊メイクでおデブとなって悪党と戦います。
最近はカンフー映画というジャンル自体が衰退している感がありますが、その中でもドニーはブルース・リーを思わせる卓越した技で様々な映画でアクションを披露してきました。
最後のカンフーマスターという感じがしますね。
80年代はジャッキー・チェンを始め、サモハン・キン・ポーやユン・ピョウなどカンフースターが登場し、一大ブームを巻き起こしました。
その頃10代であった私もかなりハマって見ていましたね。
本作「燃えよデブゴン/TOKYO MISSION」はその頃のカンフー映画へのオマージュに溢れた作品となっています。
監督は日本人の谷垣健治監督で「るろうに剣心」のアクション監督としてよく知られています。
元々谷垣監督は倉田プロで香港でアクションをしていたこともあり、カンフー映画に対する造詣は非常に深い。
80年ごろのカンフー映画はスターたちの卓越した技量もさることながら、様々なシュチュエーションでのアイデアあふれるアクションが見せ所でした。
「プロジェクトA」や「ポリス・ストーリー」などジャッキーの最盛期の映画などはまさしくこれでした。
本作もその流れを汲み、ドニーは新宿の歌舞伎町や最後には東京タワーでの見事なアクションを見せてくれます。
惚れ惚れしますね。
アクションシーンを撮っている場所は実際の場所ではなく、セットの様です。
新宿繁華街のセットは大規模でかなり作り込みがされていました。
そこを縦横無尽におデブのドニーが飛び回り、悪党を倒していく。
昔のカンフー映画にはそういう爽快感がありました。
今は世の中が鬱屈している感じがありますので、こういう時こそ何も難しいこと考えずに楽しめるカンフー映画というのもいいものだと思います。
あぁ、ジャッキーの映画が見たくなってきました。

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2020年12月31日 (木)

2020年を振り返って<映画>

さて本日は2020年の大晦日。
色々あった今年ですが、映画に関してはコロナの影響を受け、大幅に劇場での公開作品数が減少しました。
特に非常事態宣言下では映画館そのものが閉まっていましたので、私の今年の鑑賞数も37本と大幅に減りました(昨年対比65%)。
ですので2020年のベスト10についてはどうしようかと迷いましたが、恒例行事なので今年もやりたいと思います。

では今年のベスト10の発表です。

「TENET テネット」
「浅田家!」
「ステップ」
「初恋」
「ミセス・ノイズィ」
「罪の声」
「ジョジョ・ラビット」
「1917 命をかけた伝令」
「水曜日が消えた」
劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME」

1.「TENET テネット」
 こちらはダントツで1位ですね。
 今年鑑賞した作品で唯一2回劇場に足を運んだ作品です。
 トリッキーなでかつて見たことのない映像を体験させてくれることはもちろんですが、細部まで非常に考えて練り上げられた脚本が素晴らしい。
 一度見ただけでは理解できず、2度3度と見たくなる作品ですね。
 劇場で見ることの意義を感じさせてくれる作品でした。
2.「浅田家!」
 今年は家族ということの大切さを考えさせられた年でした。
 数年前と異なり、自分自身も幼い子供も育てている身なので、家族の大切さを親身に感じる様になりました。
 ですので、本作のような家族をテーマとした作品には非常に弱い。
 二宮さんが写真を撮るところで涙を流すシーンがあるのですが、あそこでは私は号泣をしていました・・・。
3.「ステップ」
 こちらも家族のお話ですね。
 これは子育てをまさにテーマにしているので、まさに自分自身で色々感じるところがありました。
 特に今年は在宅勤務が主となったため、日常より子供と接し、お世話をすることが多くなりました。
 子供の成長を直に見れる喜びと、様々な苦労を味わうこととなり、主人公にとても共感しました。
4.「初恋」
 三上崇史監督は好きなのですが、近年の作品は振るわない印象がありました。
 しかし、本作は彼本来の良さがしっかりと出ていた作品であったと思います。
 バイオレンスの印象が強い監督ですが、実はロマンチックであるということもわかります。
5.「ミセス・ノイズィ」
 近隣トラブルを題材としながらも、現代社会の抱える問題なども内包した作りとなっていて、考えさせられる作品でした。
 脚本もとても巧みだったと思います。
6.「罪の声」
 こちらも脚本が良かった。
 大人のエゴにより翻弄される子供たちが悲しかったです。
 「ミセス・ノイズィ」で主演をしていた篠原ゆき子さんはこちらにも出演されていました。
7.「ジョジョ・ラビット」
 寓話的ではありましたが、信じ込まさせられることの恐ろしさを感じさせてくれる作品です。
 今年はこのような思考停止に関わるテーマの作品も多かったような印象です。
 タイカ・ワイティティ
監督らしいユーモアのあるテイストも好き。
8.「1917 命をかけた伝令」
 こちらは全編長回しのように見える映像に大変驚きました。
 まさに戦場に同行しているような気分になります。
 どうやって撮っているのか考えるのも面白かったです。
9.「水曜日が消えた」
 この作品も脚本が良かったですね。
 こういうミステリーサスペンスは脚本の良し悪しでできが全く違ってしまいます。
 今年見た作品でダメだったものはとことん脚本がダメだったなあ。
10.劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME」
 いつもだったら「仮面ライダー」入れないのですが。
 夏の公開が見送られ満を辞しての年末公開でクオリティも高かったです。
 新鋭の杉原監督の切れ味のある映像が良かったですし、脚本もよく、敵の設定も今日的で新しかったと思いました。

さて最後にワーストの3作品です。

「サイレント・トーキョー」  脚本が致命的に良くないです。
 先ほどこの手の作品は脚本の出来で良し悪しが決まると書きましたが、こちらは悪史の方ですね。
 出演陣が豪華なだけにもったいない。
「キャッツ」
 登場人物の紹介が延々と続く退屈な構成でした。
 有名な歌のところは盛り上がりますが、それだけ。
「ミッドウェイ」
 派手なだけで人物の掘り下げが浅いです。
 エメリッヒらしいと言えばらしいですが・・・。

来年はもっと映画を見れる環境になっていますかね・・・。
皆様良いお年をお迎えください。

 

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「約束のネバーランド」 行ってらっしゃい

2020年大晦日、浜辺美波さん主演の「約束のネバーランド」を見に行ってきました。
本作は少年ジャンプで連載していた人気漫画の実写化作品ということですが、いつもの通り原作は未読です(笑)。
ですので、キャラの再現性は原作ファンから色々意見はある様ですが、私はあまり気にはなりませんでした。
どちらかというと核となる3人の設定が15歳ということだったのですが、この3人がどうしても同じ年齢には見えなかったところにしばらく違和感を感じていました。
浜辺さん、板垣くんは実年齢よりも若く見えるのでなんとか15歳に見ようと思えば見えたのですが、レイ役の城くんはもう少し幼く見えてしまったのですよね。
もう少し大人っぽい子でも良かったかもしれません。
浜辺さんの演技力は申し分なしで、板垣くんは「ジオウ」のウール役で知っていましたが、本作での演技は一皮剥けた感があり、とても上手いなと思いました。
原作未読のため先の展開はわからない中での鑑賞であったぶん、とてもハラハラしながら見れました。
3人の少年少女はとても知能レベルが高いという設定で、そして彼らを管理するイザベラも非常に頭が良い。
彼らが仲間を含めて欺きながら、脱出を計画しようとし、また阻止しようとするやりとりは少年漫画原作とは思えない、緻密な構成となっていたと思います。
最近の少年漫画はレベルが高いですね。
昨日書いた「えんとつ町のプペル」もそうでしたが、本作も与えられた価値観への反逆というお話ですね。
さらにはこれは子供がいつか親元を離れ、自分の生き方を決めていくということを描いています。
原作では最後のシーンにはイザベラは間に合っていなかった様ですが、本作での彼女の「行ってらっしゃい」は印象的でした。
彼女は彼女なりに子供たちの幸せは願っていた。
世の中の仕組みは変えられない中で、生ある限りは幸せに過ごさせてやりたい。
歪んではいますが、彼女なりの子供たちへの愛情であったのでしょう。
彼女は恐ろしい世界から彼らの幸せを守っているという気持ちであったのかもしれません。
けれどそれは彼女の価値観であり、そこから子供たちは自分の価値観で飛び立とうとします。
それはなかなか彼女にとっては受け入れ難いこと。
けれども親はいつだってそれを最後には受け入れなくてはいけない。
それが最後の「行ってらっしゃい」という言葉にあらわれているように思いました。
私にも幼い娘がいますが、やはり色々心配してしまって「危ないから・・・してはだめ」と言ってしまいがちです。
ですが、彼女もいつかそれを振り解いて旅立つ時がくるのでしょう。
自分は素直に「行ってらっしゃい」と言えるかな。

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2020年12月30日 (水)

「映画 えんとつ町のプペル」 同調圧力

「鉄コン筋クリート」などで知られるSTUDIO4℃制作のアニメーション。
元々画作りは丁寧でクオリティが高いプロダクションですが、今回は初の全編3DCGで挑みました。
3DCGアニメでありがちなCGライクなタッチではなく、絵本のような肌触りのある作品でした。
本作を見てもはや3DCGでのリアリティさというのは差別化ポイントではなく、作品のタッチなどが重要になってくる時代になっていると認識を改めてしました。
海外ものでは「スパイダーマン:スパイダーバース」などが独自のタッチを出していましたが、技術レベルが上がってくるとその技術の差ではなく、表現の個性が改めて大切になってくるのだと思います。
 
今年一年を振り返ってみると、コロナ禍という状況において、さまざまな人の習性が見れたようにも思えます。
「自粛警察」なんて言葉も新語・流行語大賞にノミネートされていましたが、同調を強いるようなこともしばしば耳にしました。
色々と考えた上で同調を求めるのであればまだいいのですが、あまり何も考えずに強要することは問題がありますよね。
ある意味それは思考停止状態とも言えるわけです。
先が見通せない状況であるからこそ考えなくてはいけないわけですが、単純に同調するということは、すなわち考えなくていいということなので楽でもあるのです。
本作の舞台となるえんとつ町の人々の多くは勤勉に仕事をして生きている印象を受けます。
彼らの姿からは充実している印象を受け、ささやかながらも幸せに暮らしているように見えます。
ただ一つのタブーは、年中煙に覆われた空の向こうに何があるか、また海の先に何があるか、を問うこと。
主人公のルビッチは父の作ってくれた物語を信じ、空の向こうにある星をいつか見てみたいと思っています。
しかし、そう思うこと自体を周りの人々からは否定され、肩身の狭い思いを感じています。
これはまさに同調圧力ですよね。
真実とは異なるかもしれない、だけど皆がそう言っているからそのように思わなければいけない。
幼馴染であるアントニオはルビッチに対し強く当たりますが、実は彼は一度星を見た事がありました。
けれど、それは「ありえない」ことで自分自身でそれを否定してしまった。
だからこそ、ずっと信じていられるルビッチのことが疎ましかったのだと思います。
アントニオのエピソードは一瞬でしたが、これが本作の一番言いたかったことを集約したものであると感じました。
与えられた常識を疑うことをしない、すなわち思考停止状態に我々は自らを置いてしまう時があります。
けれどそれにより停滞しまったり、先に対して夢を持つこともできなくなってしまう。
無茶かもしれないけれど、考えて、自分が信じることをやってみる。
それが現状を打破することに繋がるかもしれない。
ルビッチの行動が、なんとなく同調をしていた人々の心の奥にあったモヤモヤに光を当てました。
きっかけを与えられ人々は考え始めたのだと思います。
エンディングでルビッチたちは海を渡ろうとしていることがわかります。
その先に何があるかわかりません。
けれど前には進んでいる。
考えて、先に進もうとすることが大事なのですよね。

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2020年12月28日 (月)

「ワンダーウーマン 1984」 過去の人々の振る舞いというヴィラン

久しぶりに洋画を劇場で見ました。
アメリカでは劇場と同時にオンラインでも公開となった「ワンダーウーマン 1984」ですが、やっぱり劇場で見るのは鑑賞体験として違うと思うのですよね。
さて前作「ワンダーウーマン」はMCUに対抗できず迷走する一連のDC映画の中で転換点となった作品でした。
すなわちユニバースではなく、単品作品で勝負していくという方向に切り替えるきっかけとなったと思います。
近年スーパーヒーローものは多くの作品が作られていますが、女性が主人公のものはほぼありませんでした。
そんな中で「ワンダーウーマン」は非常に画期的であったと思います。
個人的にも評価が高かった作品でしたので、続編である本作には大いに期待していました。
前作は女性主人公でありましたが、ワンダーウーマンの強さが圧倒的である種の爽快感がありました。
男性であるとか、女性であるということではなく、非常に真っ直ぐに正しいことを行おうとするワンダーウーマンがとても魅力的に見えました。
前作ではイノセントであった彼女が、愛を知り、成長していく姿が描かれており、初々しさがありましたが、本作のワンダーウーマンは長い間人間の社会で暮らしてきたということもあり、すっかり成熟した女性となっています。
前作に見られた単純に真っ直ぐなイノセントさはなく、彼女は本作では自分が望む愛と、自分の使命の狭間で気持ちが揺れ動きます。
女性らしい乙女チックな気持ちの揺れではあり、人間的に彼女がなったという見方もできるのですけれども、個人的には前作の真っ直ぐさが彼女の魅力でもあったように思えるので、前作で感じたような爽快感はありません。
女性が見たら、共感することもあるのかもしれないですけれども。
 
今回ワンダーウーマンの敵となるのはマックスという男(演じるのはペドロ・パスカル、マンダロリアンですね!)。
この敵が今までのアメコミ映画に登場してきたヴィランとは少々趣が違います。
彼が行なっているのは人々の願いを叶えることです。
ただし、その願いを叶えることにより人が代償を払わなければならないことは言いません。
代償を払わせるとはいえ、人々の願いを叶えるのであればいいのではないかと思うかもしれませんが、それぞれの欲望は相反することもあり、次第に社会が混乱に陥っていきます。
本作が舞台となっている1984年はロサンゼルスオリンピックが開催した年で、冷戦がピークを迎えていた時代でもあります。
米ソ対立はありましたが、世界的には常に前進しているという幻想を皆が持っていた時代だと思います。
日本もバブル前夜だった頃ですね。
ですので、人々も欲望を持ち、願いを叶えることに貪欲であった時代です。
しかし、その結果、環境破壊や格差拡大などの諸問題が起こる素地となったことも確かです。
皆が欲望を追求した結果が現代の状況です。
本作のヴィランであるマックスですが、彼の存在はすなわちあの頃生きていた人々の欲望全体の象徴とも言えます。
現代過酷な状況を生きる我々にとって過去の彼らの行動がヴィラン的であったとも言えるわけです。
スウェーデンのグレタさんが環境破壊の責任を大人たちにあると言っていますが、それと同様の見方のようにも見えます。
過去の人々の振る舞いが我々の生活にも影響を与え、我々の行動が未来の人々の生活にも関わっていく。
そのようなことを示唆しているようにも見えました。
そのためか、ヴィランとしては少々分かりにくく、これも前作のような爽快感が出ていないことにもつながっている様に思いました。

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2020年12月20日 (日)

「劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME」 かつてない敵

テレビシリーズ放映中にコロナ禍によって撮影中断となってしまい、大幅に話数が減ってしまったという不運があった「仮面ライダーゼロワン」。
それにも関わらず終盤のストーリー展開はハードかつ濃密であり、令和ライダー一作目の名に恥じない出来となっていました。
通常夏に単独映画として「仮面ライダー」シリーズは公開されますが、それも見送られ、ようやく冬の映画として公開されました。
メガホンを取るのはテレビシリーズのパイロットを担当し、「ゼロワン」の世界観を確立した杉原輝昭監督、脚本はメインライターであった高橋裕哉さんのタッグです。
この作品を熟知しているお二人が担当されているということもあり、またテレビシリーズオンエア中に公開される単独映画ではないため変な仕掛け・ギミックもないため、純粋に「ゼロワン」の世界観が味わえる作品として仕上がっていました。
歴代の単独ライダー映画の中でも非常に高いレベルに仕上がっていたと思いますが、いくつか魅力的な点を挙げていきましょう。
まずはアクションですね。
アクションを担当されているのは渡辺淳監督。
数々の仮面ライダーを演じたスーツアクターでもあり、「ゼロワン」で一年間通しのテレビシリーズを初担当されました。
テレビ第一話のアクションシーンで、凄まじいカメラワークのアクションを展開して視聴者の度肝を抜き、新しいライダーのアクションを確立しましたが、本作でもそのテイストは健在。
スピーディで斬新なアクションシーンには目を見張りました。
驚きのゼロワン、ゼロツーの共闘シーンは息を吐く暇もないほどのアクションのラッシュです。
バルキリーのバイクアクションも見応えありました。
カメラワーク、カット割りなど従来のアクションとは違うセンスが光り、新しい息吹を感じます。
次にキャラクターたちです。
元々テレビシリーズでもレギュラーのキャラクターはそれぞれに魅力的でした。
彼らが自分なりの考えを持ち、共闘し、そしてまた対立し、そして最後には認め合うようになる過程は胸が熱くなるものがありました。
それらテレビシリーズをしっかり踏まえたキャラクターの描き方になっているので、安心しました。
主人公飛電或人の真っ直ぐに人とAIの両方を信じる気持ち、そして彼を支えるイズ。
イズはテレビシリーズでずっと或人を支えていたVerが破壊されてしまったため、新たなイズではあるのですが、本作の中でその古いVerのイズの気持ちを引き継ぐことにより、改めて彼女自身の判断で或人を支えることを決心します。
それがゼロワン、ゼロツーの共闘につながることになるのですが、ここも胸熱ポイントになりますね。
<ここからネタバレあり>
あと巧妙であり、また非常に現代社会を捉えていると思ったのが、敵の設定です。
テレビシリーズの最終回で”エス”=仮面ライダーエデンとして伊藤英明さんがチラリと出て、彼が新しい敵であるような示唆がありました。
しかし結果的に或人たちが戦う最終の敵とはネットなどで一般の匿名の人々が持つ悪意であったのです。
今年は誹謗中傷により有名人が自殺してしまうなどの痛ましい事件がありました。
ネットでのいじめなどもあとをたちません。
匿名であることをいいことに悪意を誰かにぶつけ、そしてそれが拡散していく、そういったことをよく見受けられます。
まさにテレビシリーズでのラスボスであったアークは、人々の悪意が生み出した存在でありました。
それをさらに発展させ、それぞれの人々の悪意こそが人々を傷つけてしまうということを問題提起しているようにも思いました。
最終的に敵となるのはそれぞれネットで悪意のある書き込みなどを行なっていた一般人であったのです。
ちょっとしたワンカットでしたが、敵のライダー軍団の幹部の一人の正体がただの主婦で、ネットに熱中するあまり子供を放ったらかしにしている場面はショッキングでありました。
このような状況で皆それぞれ鬱々とした気持ちを抱えていることでしょう。
しかし、匿名で自分の身は安全にしたまま、それを誰かにぶつけるいいわけがありません。
現代が抱える問題を正面切って取り上げるのは「仮面ライダー」としてはかつてないアプローチであり、脚本の目の付け所が素晴らしいと思いました。

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「劇場短編 仮面ライダーセイバー 不死鳥の剣士と破滅の本」仕方ないところもあるが食い足りない

今年はコロナ禍の影響で夏の「仮面ライダー」劇場版はありませんでした。
通常冬のライダー映画はオンエア中の現役ライダーと前作ライダーのコラボレーションの形を取ることが多いのですが、今年の冬は「ゼロワン」と「セイバー」は別の作品としての同時上映となりました。
コロナ禍なので仕方がないかという部分と、この2作品は作風が全く異なるので、同一世界の中で描くというのもかなり難しいかと思うので、この判断はありだと思います。
「ゼロワン」の劇場版は夏がなかったということもあり、かなり力の入った作品となっていました。
が、「セイバー」については上映時間がかなり短い(通常の夏の劇場版でのスーパー戦隊と同じ位置付けか)ということもあり、ストーリーが云々という評価はできないかと思いました。
「セイバー」は久しぶりの多人数ライダーの作品ということもあり、現時点でセイバー側のライダーは合わせて6人。
彼らのバトルシーンを楽しむというというのが、メインの見どころとなるでしょう。
ですので変身前の出演者が登場する場面はとても短く、スーツアクターの方がかなり活躍しているという「仮面ライダー」としては珍しい作品になっています。
ですのでちびっ子ファンは大満足かもしれませんが、大きなお友達からするとちょっと物足りない。
テレビシリーズはストーリーが大きなうねりを出し始めているところなので、その分劇場版は食い足りない感はありましたね。
これは尺が足りないということに全て起因することなので、致し方なしというところでしょう。
夏の単独映画に期待したいところです。

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2020年12月19日 (土)

「ミセス・ノイズィ」 客観的な見方とは?

この作品には不思議なご縁がありまして。
まずこちらの作品の製作関係者の一人が私の妻の友人であるということ。
そして本作の主演の一人と言ってもいい「布団おばさん」を演じている大高洋子さんがかつてOLであったときにお仕事をご一緒させていただいていたということです。
そういう縁もありましたので、本作については見なくてはならないと思い、劇場に足を運びました。
色々繋がりがある作品ではありますが、そのようなことを抜きにして作品として非常に面白いと思いました。
物事というのは見る人によって見え方が変わるものです。
名作である「羅生門」がまさしくそうですが、本作もそのような視点が変わることにより大きく出来事の見え方が変わるというところが非常に面白い。
主人公真紀からのものの見え方、そしてその隣人である美和子からのものの見え方が全く違う。
起こった出来事は同じでも、それぞれの人物が背負っている背景や価値観・先入観で違った見え方・感じ方をしてしまいます。
これは関係者のそれぞれの立場によってものの見え方が変わるという話なのですが、それではそれを客観的に見ている関係者ではない者の見方がまさしく「客観的」であるかというと決してそうではないということに気づかせられます。
この二人のトラブルをネット民やマスコミが取り上げますが、彼らの見方は客観的ではありません。
彼らはこれをエンターテイメントとして出来事を消費します。
ですので、彼らの見方は客観的ではなく、非常に気分屋的なものの見方をしているのですね。
そのため何か出来事が起こると、被害者が加害者に、加害者が被害者に180度逆転をしてしまうということが起こります。
これはマスコミでもネットでもしばしば見られる現象です。
二人の間での問題であれば、直接冷静に話ができれば誤解を解くことは可能かもしれません。
しかし不特定多数の相手になる場合は、一度世間がそういう「気分」になってしまうと一個人ではその流れを食い止めるのは難しい。
今年はネットでの誹謗中傷による有名人の自殺などの事件がありましたが、ある種の「空気」を相手にするという恐ろしさが現代的でもあります。
個人としてはどうしようもない無力感を感じてしまう世間に対し、結果的には仇同士であった真紀と美和子が共闘する形になるのが爽快です。
マスコミやネットに袋叩きにあう真紀を美和子の一喝が救う場面は胸がすく思いになりました。
真紀にしても美和子にしても、そして世間にしても、いずれにせよものの見え方は、それぞれによる価値観によって変わってしまいます。
自分とは異なる価値観を持つ人の立場で物事を考えることというのはなかなかできるものではありませんが、そうする力はやはり大事ですね。

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「サイレント・トーキョー」 いいところが見当たらない

<ネタバレあるのでご注意ください>
錚々たる俳優たちが出演するサスペンススリラーであり、まさに年末ホリデー向けのビックタイトルだと思います。
しかし正直言って面白くない。
面白くない理由はいくつかあると思います。
まずはプロット自体がそれほど新しいものではないということです。
平和ボケした日本人に対し、世界中では現在進行形で存在する戦争という現実を気づかせるのが劇中で描かれているテロの目的ですが、これは今までも何度か見たプロットであり、新味はありません。
私が見て頭に浮かんだのは「機動警察パトレイバー2 THE MO VIE」でした。
これもPKOで派遣され現地での戦争の現実を目の当たりにした元自衛官が仕掛けたテロを描いていました。
もう一つの理由は脚本・構成の悪さだと思います。
この手のサスペンススリラーは首謀者が誰であるか、その目的はなんであるのかというところが作品を牽引する力になります。
ですので上手にミスディレクションをしていくことができれば、見ている側としても感心して手を打つことになります。
ただ本作についてはミスリードをさせようという意図が割と見え見えで興醒め感がありました。
まずは中村倫也さんがいかにも現代の若者のような何を考えているかわからない体で登場し、犯人に関わるような怪しさを出していましたが、渋谷での爆発後、割と素直に犯人でないことがわかってしまいます。
佐藤浩市さんが冒頭より思わせぶりな出方をしますが、明らかに彼を犯人の一味であるとミスリードさせようとする意図を感じます。
中村倫也さんも佐藤浩市さんもクセがある役柄を今までも演じてきているので、「犯人らしい」感じを纏っているのですが、流石に今まで演じてきた役と同じような雰囲気なので、逆に怪しくない感じがしてしまいます。
また真犯人が分かり、その背景の説明がされますが、これもなかなか納得するのに無理があるようにも思いました。
そもそも一般の市民である女性があれほどの爆薬をどのようにすれば調達できるのかが謎です。
彼女に爆破術を教えた夫はその教育のための爆薬をどのように手に入れたのか。
自衛隊から掠め取ってきたのかもしれませんが、流石に自衛隊も備品(それも爆薬)を簡単に持ち出させることはないでしょう。
爆破はダミーだけをいじっているだけでは簡単に習得できないと思います。
実際に爆発させる経験がいると思いますが、あのような別荘地でそれができるとは思えない。
石田ゆり子さんが演じる犯人である女性は、爆破予告の片棒を担がせられるテレビ局のバイト君を気遣う優しさを持っているというように描かれていますが、渋谷であのような大爆発をさせ、大勢を虐殺することを厭わない人物像とどうしても被りません。
いっそのこと人格が破綻している人物として描かれていれば、まだ納得できるのですが、同じ人物の中にその二つの側面が同居していることが想像しにくい。
つまりは人物像にリアリティがないように感じました。
尺が1時間半程度とこの手のクライムサスペンスの作品にしては短いです。
元々はもっと長かったのではないかと感じました。
出演陣はかなり豪華ではありましたが、それぞれのキャラクターの描き方に深さはないです。
かなりカットされているような印象なのですね。
どうなんでしょう?
久しぶりにあまりいいところが見当たらない作品に出会いました。

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«「STAND BY ME ドラえもん 2」 ドラ泣きではなかったが、ジーン