2025年3月16日 (日)

「知らないカノジョ」みんなカノジョに恋をする

あまり恋愛ものは見ない方ではありますが、予告を見た時のヒロインが何か気になって見にいきました。
そのヒロインのミナミを演じているのは、歌手のmiletさん。
本作が映画初出演となるそう。
あまり歌は詳しくないので調べたところ、「鬼滅の刃」の「刀鍛冶の里編」の主題歌歌っていた方なんですね。
さて気になっていたmiletさんですが、映画を見てみるとすごくいい。
これが初めての映画出演とは思えないほどに、演技が巧みでした。
本作は彼女の存在感で8割方支えられているような気がします。
本作では主人公の男性リクとヒロインの関係性が異なった時間軸で描かれます。
そのためヒロインは同じ人物でありながら、2つの人生を歩むわけですが、それぞれのヒロインがとても魅力的です。 片方はリクをサポートするために夢を諦めたミナミ。
朴訥としていて、リクを優しくサポートする姿は愛らしく守ってあげたくなるような雰囲気。
もう一人のミナミは、夢を諦めずにスターとなった彼女。
凛としていて、歌手として、女性としてオーラを放っています。 それぞれのミナミはリクに惹かれつつ、自分の夢とその愛を天秤にかけなくてはならず、葛藤をしています。
なんというか、そのミナミがとても切なく、愛らしい。 miletさんはそういったミナミを豊かな表情で描いていて、さらに魅力が増していました。
おそらく、多くの人が彼女に恋してしまうように感じるほどです。
正直、私もキュンとしました。
ミュージシャンの方が演技をされる場合は多々ありますが、本業ではないのに非常に演技の上手い方がいて、びっくりすることがあります。
演技と歌とパフォーマンスするものは違っていても、人の気持ちを表現するということでは共通しているところもあるのでしょうか。 これからもmiletさんが演技をする作品はチェックしないといけないですね。
物語もリクとミナミにとって切ない物語で、適度にファンタジー要素が入っていて、普通の恋愛ものとは趣が異なります。
次第にリクが自分の行いを見つめ、後悔をしながらも初めて相手のことを心底思い、行動する姿は心を打つものがあります。
クライマックスもとても良かったですよね。
二人は幸せになれるかどうか、確かめてみてください。

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2025年3月15日 (土)

「仮面ライダーガッチャード GRADUATIONS」スパナの成長

こちら「仮面ライダーガッチャード」のVシネですが、劇場で公開されていたので見に行ってきました。
私は年季が入った「仮面ライダー」ファンで、大概のシリーズは好きなのですが、「仮面ライダーガッチャード」は最後まで気持ちが入らなかったですね。
その原因はいろいろ考えられますが、主人公の一之瀬宝太郎へあまり感情移入しにくかったからだと思います。
彼はケミー全員と仲良くなり、大錬金術師になるというのが夢で、これが戦う動機なのですが、これにあまり共感ができなかった感じがします。
「仮面ライダー」というシリーズは何かしら主人公が葛藤を抱えていて、それが感情移入を誘うわけですが、宝太郎は素直でいい子すぎるような気がしています。
彼のようなキャラクターは「スーパー戦隊」シリーズだとマッチしていたのかもしれないですね。
そういった宝太郎に対して、劇中で様々な葛藤をうちに占めていたのが、黒鋼スパナでした。
超A級の錬金術師でありながら宝太郎に負けてプライドを傷つけられ、また内に秘めた復讐心に翻弄される。
人に対して壁を作りながらも、人との愛情を求める。
まさに葛藤を抱えた人物です。
このVシネは宝太郎ではなく、スパナが主人公です。
宝太郎やりんねの卒業式の日、スパナだけがタイムリープに巻き込まれます。
同じ日を繰り返していく中で、スパナは自分の中に隠されていた想いに気がついていきます。
本作はスパナが抱える矛盾を描きます。
彼は完璧のようでありながら、完璧ではありません。
人との間に壁を自ら作るのは、愛する人を失いたくないから。
以前は両親を失い、そして兄からも距離を取られました(和解しますが)。
彼が唯一心を許していたのは、師匠の鏡花であり、そしてグリオンたちとの戦いの中で、宝太郎らと絆を不器用ながらも築いてきました。
そして彼らが卒業の日、彼らはそれぞれの道を進み、スパナは彼らと別れなければなりません。
そしてまた鏡花も彼の恩師であるミナトと結婚します。
彼は再び、愛する人たちを失おうとしていたのです。
スパナは愛する人を思いながらも、それを失う悲しみとの間で葛藤していたのです。
スパナの葛藤は本作で、とても丁寧に描かれていて、共感ができました。
テレビシリーズではあまり琴線に触れることがなかった「ガッチャード」ですが、本作は初めていいなと思えました。
最後にスパナが皆にさりげなく「ありがとう」と言うシーンは良かったです。
彼が成長したことを感じさせる一言でした。

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2025年3月 9日 (日)

「セプテンバー5」メディアの責任

テレビが登場する前は、世界のどこかで起きた出来事を別の場所でリアルタイムに見るということは不可能でした。
それまではその場所に居合わせた人々の話を聞き、それを構成したものをメディアが伝え、それを一般の人々が知るという手順でした。
当然その情報は整理され、加工されているわけで、事実そのものとは異なることがあるかもしれません。
ただメディアはそれを避けるため、何十にもファクトチェックをし、その情報を発信していたのです。
リアルタイムで中継される情報は、リアルタイムであるが故に、ファクトチェックをする余裕がありません。
それは「生」の情報であるからその必要はないという考え方もありますが、カメラに映し出されている情報はカメラで切り取られているため、「すべての」情報が明らかになっているわけではなく、「一部の」情報であるという認識は持っていなくてはいけません。 何らかの意図を持って切り取る、ということもできないわけではありません。
また、ファクトチェックをしている暇がないということで、伝える側の憶測などが入ってくる可能性もあります。
本作でもスタッフの一部は他の情報源も確認したほうがいいと意見を述べますが、スクープという成果に目が眩み、勇足をしてしまいます。
それが世紀の大誤報につながってしまうのです。
テレビが当時すでに大きなメディアパワーを持ってしまったため、その影響は世界中に及びます。 さて、現代ですが、リアルタイムでの情報拡散はマスメディアにとどまりません。
「切り取り動画」というものも話題になっていますし、ファクトニュースという言葉が聞かれるようになっても久しいです。
メディアはまだファクトチェックという点では仕組みとして機能していますが(怪しいところもあるが)、個人においてはその限りではありません。
本作で起こったような出来事が、個人のライブ中継で起こりうる可能性は十分にあります。 個人それぞれがメディアとしての意識を持たなければいけない時代になったのかもしれません。

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2025年3月 2日 (日)

「キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド」他力と自力

スティーブ・ロジャースからキャプテン・アメリカの称号を受け継いだサム・ウィルソンの活躍を描きます。
MCUにはさまざまなスーパーヒーローがいますが、その中でもキャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャースは最も人々が理想として描くヒーローを体現していると思います。
超人血清により得た屈強な肉体と、持って生まれた強い正義感を持ち、何事があってもぶれない信念を持つ男。
人々をまとめ上げ、悪に対して対抗していくリーダーがスティーブです。
対して、それを受け継いだサム・ウィルソンはスティーブと負けない正義感を持ちながらも、ただの鍛え上げられた人間です。
サムはスティーブから盾を受け取った時から、その重責に苦悩します。
自分はこの盾にふさわしい男であるか、と。
サムは戦争に直面した世界において、世界大戦を避けようと懸命に戦います。
しかし、すべての人間を救うことはできません。
そしてサムの相棒を務めた二代目ファルコンことホアキンを救いきれず、彼は重傷を負ってしまいます。
サムは自分の未熟さを悔い、そして超人血清を打たなかったことを激しく後悔します。
その時ある男がサムに声をかけます。
そして彼は言いました。
「スティーブは希望であったが、サムは目標になれる」
この言葉は二人のキャプテン・アメリカを的確に言い当てていると思います。
これは二人のキャプテン・アメリカを身近で見てきたあの男でなければ、発せられません。 スティーブは希望であった。
人類が困難な局面にあった時、スティーブはその状況を覆してくれるかもしれないという希望を人々に与えてくれました。 彼の決して曲がることのない信念、そしてそれを信じさせてくれるカリスマが人々に希望を与えたのです。
人々は思いました。
キャプテン・アメリカが救ってくれる、と。
それはまさにスーパーヒーローそのものです。
人々は彼を頼りにしました。
それを希望と言いますが、人々が自分の力で成すものではありません。
神様や仏様に祈るのと同義とも言えます。
サムが苦悩するのは、そのような役割をただの人間である自分には担えないということでしょう。
しかし、サムは目標にはなれる。
サムは悩みながらも自分を信じ、そして限界まで自分を鍛え上げました。
人々を救いたいという思いで。
サムという存在は、どんな人でも自らが願い、努力をすればなりたい自分になれるということを示してくれます。
そういった意味で、サムは目標になれるのです。
スティーブに希望を見出すのは言うなれば他力本願で、サムの存在は自分の力で状況を打開できるという自力の象徴です。
これは大きな違いです。
ヒーローとして、リーダーとしてスティーブとサムは違う個性を持っています。
本作ではやがてアベンジャーズが再編成されることが示唆されます。
その時、サムはキャプテン・アメリカとして中核のメンバーとなることでしょう。
その時作られるアベンジャーズは、スティーブの時とは違うものになると思います。
自分を信じ努力するサムを目標とするような若いメンバーが集まってくるのではないでしょうか。
彼らを生かし、育てていくサムが目に浮かぶようです。
そんな新しいキャプテン・アメリカに期待したいですね。

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2025年2月23日 (日)

「野生の島のロズ」さまざまなテーマをエモーショナルにまとめ上げた

本作は2回鑑賞しました。
1回目は一人で字幕版で、2回目は娘と一緒に吹き替え版での鑑賞です。
吹き替え版の方がよりエモーショナルな感じがして良かったですね。
ロズ役の綾瀬はるかさんの声がとても合っていて、次第にロズが感情を持っていく様子のが、声のトーンで丁寧に演じられていました。
加えて本作は映像表現がとても美しい。
最近の3D CGアニメは、以前のようないかにもコンピューターで作りました、というような表現から、ハンドメイドの絵のようなタッチが表現されたものに進化してきています。
生命感の溢れる島の自然や生き物がこのようなタッチで描かれているので、息吹きのようなものも感じられます。
これには実写映画やセルアニメとは異なる表現の可能性を感じます。
本作はさまざまな要素が盛り込まれていて、色々な視点で見ることができます。
それでいて詰め込み過ぎの印象もなく、非常にうまく構成されているように思えました。
まず一番、個人的に心に響いたのは、親と子、子育ての視点です。
ちょうど自分がまさに子育て真っ盛りだからかもしれませんが。
ロズとガンのキラリは当然ながら本当の親子ではありません。
ロズは初めは親とは何かは知りません。
キラリを育てながら、それを学んでいくのです。
これは自分自身でも感じることで、いろいろ失敗をしながらも、子供が生きていく姿を見ながら、親というものを学んでいくような気がしています。
そして、子育てにはタイムリミットがあります。
人間だったら、大学に入ったり、就職したりするときに子離れがあります。
ロズの場合は、毎年の渡りの時までに、キラリを一人前のガンとして育て上げなくてはなりません。
そして、その時が来たら子供は親元を離れていく。
キラリが見送るロズの側を飛び、堂々と旅立っていく姿を見せてくれるシーンは思わず涙しました。
自分の子供もそういう時が来るのだろうな、と。
キラリの生まれた時から、旅立つまでがフラッシュバックするシーンがありますが、とてもわかる気がします。
もう一つの視点は、皆の危機の時に一致団結できるか、ということです。
これについてはややファンタジー過ぎる感じもしなくもないのですが、今の時代を踏まえているように感じました。
地球が危機的状況にあることは皆わかっていますが、日々繰り返されるのは自分の都合を押し付けること。
これを続けていると共倒れになりかねません。
一旦は自分の主張は引っ込めて、全体のためにできることをやっていく必要がある。
もしかすると身を削らなくてはいけないこともある。
ロズたちが暮らす島は地球そのものと言えます。
寒冷化、もしくは熱帯化するような危機が訪れた時、地球に住む人々は、あの島に住む動物たちのように協力できるのか。
そういう問いを投げかけているように思いました。
このように多くのテーマを持っている本作、私の娘にも届いていたようで、鑑賞後は感じ入っていました。
良作のアニメーションだと思います。

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2025年2月11日 (火)

「ショウタイムセブン」仮面の奥に触れてほしい

あるラジオ番組に男から電話がかかってくる。
男は発電所に爆弾を仕掛け、それを爆破すると予告。
主人公のアナウンサー折本は彼を挑発してしまい、そして爆破は実行された。
そこから前代未聞の爆破テロ犯とアナウンサーのやり取りの生中継が始まる。
企画としては非常に面白くなりそうなプロットです。
しかし、見ている途中から座りが悪い印象があり、それが最後まで続きました。
なぜなんだろう。
一つは主人公、折本が最初から終始仮面をつけているようで、その内面が見えにくかったことにあるかと思いました。
テレビカメラの前で彼が犯人と交渉し、追及する姿は当然、公平性を貫くキャスターとしての仮面を被っていると思います。
マイクを切ったり、カメラ前を離れた時に見せる野心的な部分も彼の本来の姿でしょう。
しかしいずれにしても見ていて側からすると鼻持ちがならない部分があるキャラクターであり、共感性は乏しい。
しかし、ラストで明らかになるように彼自身も秘密を持っている。
当然本人はその秘密を知っているわけで、次第に事件が確信に迫っていく中で、内面で葛藤はあるはずですが、それはあまり感じられない。
ですので、最後の告白もやや唐突感がありました。
さらには最後の「楽しかった」という発言も、そのような彼の性格があまり触れられていなかった(彼はずっとキャスターとしての仮面を被っていたため)ため、これも突然な印象が拭えません。
主人公が秘密を持っているプロットはどの程度、それを主人公の行動の中で匂わせるかはとても難しいと思いますが、この計算があまりうまくいっていない印象でした。
演出プランの課題のような気がします。
個人的な印象ですが、阿部寛さんはキャラクターとして一つの軸が通った人物を演じると、映画全体の芯となるような存在感が出てくると思います。
本作はこの軸がとても曖昧で、そのため仮面のキャスターとしての存在感ばかりが強く出てしまったため、共感性のないキャラクターが物語の中心になってしまった気がします。
そのため見ている側としては共感をする人物が探し出せず、私の感じたような座りの悪さを感じてしまうのではないでしょうか。
面白くなりそうな人間関係も描けそうだったと思うんですよね。
長年コンビを組んでいた伊東との間にも何かしらのドラマを作れそうでしたし、犯人との間にも共感と後ろめたさのようなものが描けたように思います。
人物の描き方がもう一歩踏み込めたら、より魅力的になったような気がします。
プロットは面白そうだっただけに勿体無い。

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2025年2月 9日 (日)

「アンダーニンジャ」薄い福田印(いい意味で)

こちらで何度か書いているのですが、福田雄一監督の作品はどうも合わない。
独特のゆるいギャグが面白いという方もいると思いますが、合わないのですから仕方がありません。
今までも何度かトライしてはいるものの、やっぱり合わないということを確認して帰ってくるのです。
ですので、昨年末に公開された「聖☆おにいさん」もスルーしました。
出演者がすごかったので悩みましたが、結果的に他の方の評を見てみると、いつもと同様の感想になったと思います。
さて、その福田雄一監督の作品が立て続けに公開しました。
「アンダーニンジャ」です。
上記で延々と書いてきたように福田作品は合わないので、スルーするところですが、今回は劇場に足を運びました。
その理由はいくつかあります。
一つはなんと言っても、浜辺美波さんが出演しているということですね。
なんだかんだと、私は彼女のもはやファンと言っても良いので、なるべく見にいきたいわけです。
福田作品であったとしても。
割と清楚な感じの見かけの浜辺さんですが、今回は金髪の女子高生役。
そして福田監督ですので、変顔も連発させられています。
一部では「浜辺美波の無駄使い」と言われていますが、私もそう思います(笑)。
ですが、ちょっと天然な感じの浜辺さんも可愛いのでよしとしましょう。
あとは忍者ものであるということですね。
私は無類の忍者好き。
学生の頃から、山田風太郎の忍法帖シリーズを制覇したほどですので。
本作は現代社会に生きる忍者たちの戦いを描くということで、かなりアクションに気合が入っています。
主演は山崎賢人さんで、彼はアクションには定評がありますから、自ずと期待度は上がります。
期待に違わず、アクションは見応えありました。
近接戦闘はスピーディかつトリッキーで、現代的な忍者というコンセプトをわかりやすく表現したアクションでした。
全体的な尺の中でもアクションのシーンがかなり比重を占めていて、忍者好きとしては満足感がありました。
さて懸念の福田監督のギャグですが、座付き俳優的なムロツヨシさん、佐藤二郎さん中心に、相変わらずの見せ場がありました。
ただこれについてはやはり波長が合わず、そのシーンは拷問のようでした。
特に山崎賢人さんとムロツヨシさんの押し入れの件はきつかったです。
あれの面白さがどうにもわかりません。
ただし、全体的には本作はアクションパートの印象がかなり強く、福田印は相対的にかなり薄い印象です。
福田監督ファン的には物足りないところでしょうが、私個人としてはこれで十分くらいです。
久しぶりに福田監督作品で満足して劇場を後にすることができました。

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2025年2月 2日 (日)

「アプレンティス ドナルド・トランプの創り方」師を越えた化物に

先日再びアメリカ大統領に選出されたドナルド・トランプ。
良くも悪くも歴代の大統領の中でも個性的で独特な考え方を持つトランプですが、彼がどうやってあのような人物となったかを描くのが、本作です。
タイトルの「アプレンティス」というのは見習いという意味です。
本作で若き日のドナルド・トランプはロイ・コーンという弁護士からビジネスの世界で生きる術を学んでいきます。
その立場を「アプレンティス」というタイトルで表現しているのでしょう。
加えてかつてドナルド・トランプは「アプレンティス」というリアリティショーにも出演しており、そこでは出場者(見習い)に課題を出す方の役割で、その番組名にもかけています。
ロイ・コーンが教えるのは、自分の欲望に忠実であること、そしてそのためにはあらゆるものを利用し、そして敵は完膚なきまでに叩き潰すことです。
トランプは見習いとして優秀であり、ロイ・コーンの流儀をみるみるうちに吸収し、そして成功を手にしていきます。
彼は親や妻などの家族も利用し、使い物にならないと見るや兄も切り捨てます。
そしてロイ・コーンが同性愛者であることを知ると彼とは距離をとり、彼が病気で苦しんでいても彼を退けていきます。
ついにドナルド・トランプは師を越えて、より権力に取りつかれた巨大な怪物となっていったのです。
本作で目を見張るのは主人公ドナルド・トランプを演じたセバスチャン・スタンの演技でしょう。
セバスチャン・スタンといえば、マーベルのウィンター・ソルジャーことバッキーですが、それとは全く異なる印象です。
実物のトランプは仕草やしゃべり方に特徴がある人物ですが、彼のクセを非常によくつかみ、再現しています。
風貌はよく見れば全然違うのですが、見ているうちに本物のトランプに見えてくるほどです。
役者というのはここまで、完璧にクセなどを盗むのだと非常に驚きました。

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2025年1月23日 (木)

「機動戦士Gundam GQuuuuuuX Beginning」What if...?

<ネタバレしています>
MCUを展開するマーベルのアニメーションで「What if...?」というシリーズがあります。
MCUには神聖時間軸という概念があり、これがいわゆる正史と呼ばれるものです。
「What if...?」は正史では起き得なかった出来事が起こった時間軸、「もしも」が起こった時間軸での物語を描くユニークなシリーズです。
本作は始まるやいなや、聞き慣れた「機動戦士ガンダム」のオープニングの音楽とナレーションが流れます。
メカデザインはリファインされているものの、3機のザクがサイド7に侵入していきます。
カットもオリジナルを踏襲した徹底ぶり。
しかし、一つ違うところがあります。
オリジナルではサイド7に偵察に行くのは量産型ザク3機ですが、本作では1機が赤いカラーリングをしています。
そうです、赤いザクにはあのシャアが登場しているのです。
シャアと副官ドレンの会話で、ザクのパイロットの一人であるジーンのザクが不調のため、代わりにシャアが出撃したと語られます。
この物語は「もしジーンのザクが故障したら・・・」というWhat ifの物語なのですね!
ジーンのザクが故障したため、シャア自身がサイド7に侵入。
オリジナルでは侵入したザク2機はアムロが乗るガンダムに破壊されますが、もしもの世界ではガンダムをシャアが奪取、さらにはホワイトベースもジオンが奪い去ります。
その結果、戦争の行方は大きく変わり、連邦はジオンとの戦いに負けてしまうのです。
本作は公開前より、サンライズと庵野秀明氏率いるカラーがタッグを組むということで話題となっていました。
本作の監督は庵野さんの作品を支えてきた鶴巻和哉さんですが、脚本には庵野さんも参加しています。
庵野さんはご存知の通り、「ゴジラ」「ウルトラマン」「仮面ライダー」などを「シン」シリーズとして、リファインして来ました。
庵野氏はそれぞれの作品を非常にリスペクトし、オリジナルのテイストやカット、音楽などを使いながら、彼らしい物語を再構築して来ました。
それを踏まえれば、本作がオリジナルの「ガンダム」を踏まえたものになることは想像できました。
公開前より本作は宇宙世紀ものになる、もしくは宇宙世紀のマルチバース的な展開になるという予想がありましたが、それが当たった形ですね。
本作の主要キャラクターとして、シャリア・ブルを持ってくるところは庵野さんのマニアックさが出て来た感じがします。
本作のメインストーリーは一年戦争の数年後が舞台となります。
そこは連邦が負けた世界です。
主人公マチュは偶然サイコミュを搭載した新しいガンダムジークアクスに搭乗し、モビルスーツのバトルで勝利します。
彼女はその時「キラキラ」した世界を見ており、それに惹かれます。
これはオリジナルの「ガンダム」においてアムロやララァが見た世界と同一のものと考えられます。
本作にはララァは登場しませんが、ララァがニュータイプの力を発揮する時に聞こえてくる「ラ、ラ・・・」という音は微かに聞こえてきていたように思います。
本作において庵野さんは彼が考えるニュータイプというものを描くのではないか、と思いました。
そもそもオリジナルの「ガンダム」の映画が公開された頃、ニュータイプとは何かという議論はさまざまな雑誌で多くの人が論を展開していました。
私も中学生頃でそういう文章を真剣に読んでいたのを覚えています。
庵野さんはその頃大学生くらいだと思うので、まさにそういう話をしていたのではないかと考えます。
宇宙世紀はシリーズが長くなり、多くの人が関わるようになり、ニュータイプという概念も人によって変わり、少しづつ変容して来ているよな気がします。
最近の新しい宇宙世紀もの、特に福井晴敏さんが関わるUCやNTはニュータイプがややオカルトチックに描かれているような気がしていて、個人的にはちょっと違うかなという印象を持っていました。
庵野さんはこの辺りの流れに対して、彼の解釈のニュータイプを描くのではないかと思っています。
まだ物語は始まったばかり。
しかし、ポテンシャルは感じましたので、今後の展開を楽しみにしたいと思います。

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2025年1月19日 (日)

「室町無頼」今までにない時代劇ヒーロー

時代劇好きなんですが、映画化やドラマ化される時代というのはかなり限られています。
戦国時代や幕末などのドラマチックな要素がある時代が取り上げられやすいと思います。
最近でこそ、NHKの大河ドラマで平安時代や鎌倉時代、江戸時代中期が取り上げられていますが。
本作で取り上げられるのは、室町時代。
この時代を扱っている映画は、個人的にあまり記憶にないですね。
本作が舞台となるのは室町時代末期、天変地異や飢饉が起こり、人々がどん底のような暮らしを強いられている時代です。
多くの民が餓死し、世の中が荒れ果てていました。
世情が荒れる中、次第に幕府の威光は翳り、次第に大名たちが力を持つようになり、最終的には応仁の乱が起こり、戦国時代へと時代は移ります。
この世紀末的描写は本作でも冒頭から描かれており、まさに世紀末といった様相です。
スタッフたちは企画の時から「マッドマックス」や「北斗の拳」をイメージしていたということです。
民が搾取され地獄のような苦しみに苛まれる中、各地で徳政一揆が発生します。
そのうちの一つ寛正の土一揆を指揮したのが蓮田兵衛という浪人、本作の主人公です。
まさに彼は弱き者のために立ち上がるヒーローです。
本作は画作りや音楽などからわかるように往年のマカロニウエスタンを意識しているように思いますが、それらに登場する流れ者の主人公のようでもあります。
兵衛を演じるのは大泉洋さん。
兵衛は役割的にはさすらいのヒーローなのですが、大泉さん自身とした飄々とした佇まいがかけ合わさって、独特なキャラクターとなっていると思いました。
飄々とした姿と切れ味鋭い兵法者としての顔が見られ、今までにない時代劇ヒーローとなっていたと思います。
本作のクライマックスは一揆となり、京都守護と一揆側との大人数の激突になります。
この大規模なアクションシーンは非常に力が入っていて見応えありました。
最近ではなかなか見られない規模感であったと思います。
さらには長回しなども多用しており、その場にいるような臨場感がありました。
兵衛に拾われ、一人前の兵法者として育てられた才蔵の1カット長回しのアクションシーンがありますが、これが大変カロリーがかかっているシーンで、息つく暇がありません。
当然カットはわからないように割っているとは思いますが、カメラが縦横無尽に動き回り、かつ才蔵を演じる長尾謙杜さんのキレがあるアクションは見事。
久しぶりに見応えのある時代劇アクションを見せてもらいました。

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