2022年12月 3日 (土)

「ある男」アイデンティティの危機

「アイデンティティ」という言葉があるが、これは自分はこういうものであるという自己認識を意味する。
周囲の何ものにも影響されない確立したアイデンティティを持っている人はいるかもしれないが、多くの人のアイデンティティは帰属意識に関わる。
すなわち、日本人である、誰々の息子である、何々という大学を出ている、など。
大学や会社などは自分で選択はできるが、どこの国の人か、誰の子供であるかなどは自分で選べない属性もある。
本作で窪田正孝さんが演じる谷口大佑(と呼ばれる男)は、殺人を犯した死刑囚の息子であった。
その事実が彼のアイデンティティを非常に不安定なものにしている。
彼が谷口を名乗っていた時期の様子を見るにつけ、彼自身の性格は大人しく、しかし愛情の深い性格のように見える。
しかし、彼は父親が殺人を犯し、そして親と瓜二つの容姿であることから自分の中にも同様の性質があるのではないかということに日々怯えていた。
そのギャップが日々大きくなっていき、彼はアイデンティティの危機(自分が何者かわからなくなる)に陥っていったのだろう。
誰かの息子という事実は普通は変えられない。
追い込まれた彼は、戸籍交換という手段を取るのだ。
自分を一度リセットするために。
谷口の妻に依頼され、彼の出自を追うのが、妻夫木聡さん演じる弁護士の城戸だ。
彼はとても成功している弁護士であり、妻子を持ち、幸せな家庭を築いている。
城戸は谷口の素性を洗っていく中で、次第にそれに惹きつけられるように没頭していく。
実は彼は在日三世であり、日本人に帰化した男であった。
詳しくは語られないが、在日としての苦労は味わってきたのだと思われる。
彼は帰化という手段により、日本人であるという帰属意識を手にいれ、アイデンティティのバランスをとった。
しかし、彼が在日という言葉にあえて無理に反応しないようにしている様子を見るにつけ、彼の奥底では葛藤があるようにも思える。
だからこそ、同じようなアイデンティティの葛藤に苦しんでいた谷口に惹かれたのではないか。
谷口は若い時にアイデンティティの危機に陥ったが、結果的には数年とはいえ、幸せな時間を過ごすことができて、死んでいった。
城戸は日本人となり、誰もが羨むような幸せそうな生活を送っているものの、それが本当の自分ではない、居心地の悪さを感じているのかもしれない。
谷口に対し、城戸は羨みを持っていたのかもしれない。
ラストのバーの場面で、城戸は見知らぬ男に対して、谷口のプロフィールを使い自分のことを紹介していた。
城戸も理想的に暮らしている自分と、内面にある本当の自分の間にあるギャップを感じている。
彼がアイデンティティの危機に向かっていくのではないかという余韻を感じさせる結末であった。

| | コメント (0)

2022年11月20日 (日)

「奈落のマイホーム」コメディ・ディザスタームービー

「犯罪都市」を見たときに、予告にかかっていた作品でして、それまでは全く予備知識なし。
マンションが住民もろとも巨大な陥没穴(シンクホール)に落下してしまい、そういった極限状況での住民たちのサバイブを描いた映画と見受けました。
マンション丸ごと巨大な穴に落下とは荒唐無稽とは思いましたが、韓国ではシンクホールはこの作品で描かれた程ではないにせよ、割と頻度高く発生しているとのこと。
日本ではあまりシンクホールは発生していませんが、東京で高速道路の地下工事の影響で大きな陥没穴ができたというニュースはありましたね。
予告だけの前情報だったので、見る前は「タワーリング・インフェルノ」的なディザスタームービーかと思っていました。
見始めるとちょっと勝手が違う。
主人公は新築のマンションを購入したサラリーマン。
韓国のソウルはマンションの値上がりがものすごく(前政権でもかなり問題になりました)、普通の人がなかなか手が届かない状況になっています。
ですので、住宅購入は人生の中でもかなり思い切ったイベントとなります。
シンクホールが発生する前の前半パートは割と長めで、主人公の同僚たちや住民たちのやりとりが描かれます。
それはかなりコメディタッチで、クセの強い登場人物たちが笑いと共に丁寧に描かれます。
この時点で私はこれはディザスター映画ではなく、それをネタにしたコメディだったのか、と思い始めていました。
しかし、後半シンクホールが発生してからは、次から次へと発生する問題に対し、住民たちが必死で対応していく様が描かれます。
これはまさにディザスタームービー。
自分勝手であった登場人物たちが、生き延びていくために、次第にその人の本質である善良さ、勇気、思いやりが露わになっていきます。
この手のディザスタームービーでは、人間の悪いところが明らかになっていくパターンが多いですが、その逆であることが新鮮でした。
頼りなさそうな平凡な主人公は息子を助けるために、単身マンションの下層へ進んでいきます。
クセが強かった隣人は、意外にもタフで、自分の身を犠牲にして皆を守ろうとします。
普段の生活からは見えないその人が持っている善良さ・勇気が彼らにパワーを与え、皆が協力してサバイブをしていきます。
前半でコメディ的に住民たちが描写されましたが、それが後半効いてきます。
後半も隙あらば、コメディは入れ込まれており、緊張感と笑いが交互にくるので見ていて飽きません。
思わぬ拾い物の作品でありました。

| | コメント (0)

2022年11月13日 (日)

「ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー」新たなブラックパンサーは2度覚醒する

チャドウィック・ボーズマンの死去を経て、新たなブラックパンサーの物語を始まります。
彼の死後、マーベルは早いタイミングで彼に代役を立てたり、CGで復活させたりという方法は取らないと決めました。
タイトルのヒーローが不在という状況の中で、物語を作るのは非常に難しいというのは想像に難くないですが、制作者たちは見事に感動的なストーリーを紡ぎ出しました。
劇中でもティ・チャラは病気により逝去したという設定になっています。
気高き国王という絶対的な指針を失ったワカンダは悲嘆に暮れ、進むべき道を見いだせません。
特にティ・チャラの妹であるシュリは、彼を救えなかったこと悔やみ、もがき苦しみます。
国王であり、英雄であったティ・チャラを失ったワカンダのヴィブラニウムを狙い、各国は干渉を始めます。
そして新たにヴィブラニウムが発見され、そのことにより海の王国タロカンの存在が浮かび上がってきます。
その王国の王がネイモア。
タロカンの由来も本作で語られますが、攻撃的で自国の利益ばかりを追い求める先進国に関わらないように存在自体を隠してきたという点で、ワカンダと通じるところがあります。
事実、シュリはタロカンを訪れ、ネイモアとも語り、互いに合い通ずるところがあることを確認しています。
しかし、不幸な出来事が重なり、両国は全面的に戦う事態となってしまいます。
<ネタバレあり>
本作ではブラックパンサーを誰が継ぎ、ティ・チャラの意思を継承するかということが最も注目するポイントとなります。
事前予想通りシュリがその座を継承するのですが、彼女が真に兄の思いを継ぐために、自分の中の喪失感、絶望、怒りに整理をつけ、新たなブラックパンサーとして覚醒するかが丁寧に描かれます。
そもそもシュリは現代的な考え方の持ち主で、伝統的なマジカルさよりも、テクノロジーに重きを置いています。
彼女は偉大な兄という存在の傘の下で、自由に生きてこられたともいえ、彼女自身もそういった自覚はあったのではないでしょうか。
彼女はいきなり放り出されてしまった子供のように不安になっていたのかもしれません。
そして兄に加えて、母もネイモアに殺されたことにより、その不条理に対しての怒りが彼女を支配します。
ネイモアはたった一人でワカンダの首都を壊滅させるほどの力の持ち主であるため、彼女は力を求めてブラックパンサーになります。
ワカンダ人がブラックパンサーになるときハート型のハーブを煎じたものを飲みますが、その時先祖の霊と対話し、彼らの意思を継承します。
シュリもその導きを得ますが、その相手がなんとキルモンガーであったのは驚きました。
彼は殺された父の復讐をするために、王座を簒奪し、ブラックパンサーになった男です。
登場した時は驚きましたが、この時点でシュリが対する相手としてはキルモンガーが最も相応しい。
非常によく考えられていると思いました。
シュリは復讐心に囚われてブラックパンサーとなった。
まさにキルモンガーと一緒です。
彼女はネイモアのタロカンに戦いを挑みますが、それはかつてのキルモンガーを彷彿とさせます。
この時点で私は「ブラックパンサー」という物語が、暗黒の方向に進むのではないかと不安になりました。
復讐が成し遂げられても、シュリは救われるのか。
そのような女王に率いられるワカンダはどうなってしまうのか。
ネイモアとの最終対決の際、シュリは瀕死の重傷を負います。
その時、彼女は亡き母の霊と対面します。
そして気高き兄の意志も感じます。
ブラックパンサーの儀式の時、人は一度死に、先祖の魂と触れ、そして復活します。
生まれ変わると言ってもいいでしょう。
シュリは最初にハーブを飲んだ時にキルモンガーと触れ、復讐者として覚醒し、さらにネイモアとの対決で重傷を負った時も死地に踏み込んだのかもしれません。
そこで母の魂と触れ、再び本当のブラックパンサーとして覚醒したのでしょう。
シュリは兄と母の死を、自分の中で整理し、昇華し、真の王として、英雄として生まれ変わりました。
主人公の死という想像以上の出来事を経験しつつも、それを昇華させ素晴らしい物語を紡ぎ出したスタッフに敬意を表したいです。

| | コメント (0)

2022年11月12日 (土)

「すずめの戸締り」場所を慎む物語

廃墟ブームという言葉が何年か前から聞かれるようになってきていた。
かつて人がそこで生活し、働いていた場所が打ち捨てられて朽ちていった場所、それが廃墟。
人はどうして廃墟に惹かれるのだろうか。
それはそこに暮らしていた人々の想いが感じられるからかもしれない。
廃墟になってしまう理由はそれぞれある。
災害によってそこで暮らせなくなったり、産業が成り立たなくなったり、若い人々が土地を離れていってしまったり。
突然である場合も、徐々にの場合もあるだろう。
いずれの場合でも、そこに暮らしてきた人々の想いは確かにあった。
新海誠監督は本作を<場所を慎む物語>にしたかったという。
人が亡くなった場合は、それを弔う儀式がある。
亡くなった人々を自然に返すという儀式を通じ、残された人々も自分の中で整理を行う。
それと同様のことを行うのが本作でヒロイン鈴芽の相手役となる草太が生業とする閉じ師なのだろう。
彼が後ろ戸を封印するときに口にする祝詞がある。
「かけまくもかしこき日不見の神よ
 遠つ御祖の産土よ
 久しく拝領つかまつったこの山河
 かしこみかしこみ
 謹んでお返し申す」
これは自然から預かって人が暮らしてきた土地を自然に返します、ということを述べている。
<場所を慎む>ことにより、土地も喪に服することができるのかもしれない。
人々が暮らし、過去から連綿と続く想いが繋がっていく場所はその想いが土地を鎮めているのだろうか。
その想いが薄まり消えていくところに、みみずは頭をもたげるのだろうか。
本作で唯一、みみずが起きた場所で、寂れていない場所があった。
東京である。
そこで多くの人が暮らすのにも関わらず。
廃墟ではないのにも関わらず。
後ろ戸があったのは、水道橋の地下であった。
これはかつての江戸城の名残だろうか。
東京という街は江戸から明治で、過去からの想いが一度分断されている場所かもしれない。
過去の廃墟の上に東京は作られているのか。
本作は鈴芽が旅する中で人と出会い、土地の想いに触れることより、ようやく本当に母親の喪にふし、前に進むことができるようになる成長の物語である。
彼女も普通の女子高生で、普通に夢を持ち、楽しく暮らしてきていたと思われる。
何か、過去のトラウマに囚われたような少女ではない。
ただ多くの若者がそうであるように、まだ「生きる」ということに特別な思いを持っているわけでもないだろう。
自分もそうだったが、生きているのは当たり前なのだ。
けれど、草太と出会って彼が特別な人となり、それを失う恐怖を感じ、また廃墟にかつて暮らしていた人々の想いも感じた。
旅先で出会う人々のふれあいから、暖かさを感じた。
「生きている」ということは特別である、と鈴芽は学んだのだろう。
最後に再び草太がみみずを封じる時に「人の命が儚いものであるとわかっている。けれどももっと生きたい」と言った。
まさに同じことを鈴芽も思ったのだろう。
鈴芽は母親がそうであったように看護師を見ざしていた。
しかし、旅を経て、その想いはさらに特別なものになったのではないだろうか。

| | コメント (0)

2022年11月 6日 (日)

「犯罪都市 THE ROUNDUP」マ先輩!

マ・ドンソクを初めて知ったのはマーベルの「エターナルズ」にて。
その時は「誰?」という感じでしたが、巨体で厳つい見た目とは異なる優しさとチャーミングさに溢れるキャラクターが、マーベルの中ではかなりドライな作風の中でも癒し的な存在となっていました。
ということで気になっていた俳優であるマ・ドンソク主演のアクション映画を見てきました。
最近韓国映画を見ることがなかったので知らなかったのですが、本作はシリーズの2作めだったのですね。
本作見て気づいたのは冒頭の「エターナルズ」でマ・ドンソクが演じたギルガメッシュのキャラクターは、彼自身のイメージを強く反映したものであったということ。
「犯罪都市」で彼が演じるマ刑事も、腕っぷしは強いが、チャーミングであるという点は同じで、彼のパブリックイメージそのままでした。
しかし、マ刑事は強い。
刃物を振り回す相手に対して、一撃必殺のパンチで勝負。
このパンチが見るからに重そう。
普通だったら不利なはずなのに、全く負ける気がしない。
アクション映画でここまで負ける気がしないのは、全盛期のシュワルツェネッガーくらいではないかな。
映画の中で起こる事件は凄惨そのもので血生臭いのは最近のアジアのアクション映画の潮流と同じ。
私自身はここまで血生臭いのは苦手ではあるけれど、マ・ドンソクのキャラクターがいい具合にバランスを取っているように感じました。
彼が出演している、他の映画も見てみようかな?

| | コメント (0)

2022年11月 2日 (水)

「マイ・ブロークン・マリコ」答えを探す旅

この作品はシイノと親友マリコの遺骨とのロードムービーだ。
二人のお互いの境遇は幼い頃から酷かった。
シイノは強さで戦って、マリコは周囲に合わせることで生きていた。
それでも世界は過酷で、二人はそれぞれの存在だけを頼りにサバイバルをしていた。
「あたしには正直、あんたしかいなかった」
とシイノは言う。
シイノはマリコを救おうとすることで唯一自分が生きている意味を感じていたかもしれない。
マリコは救われることで自分が生きていることを許されたと感じていたのかもしれない。
マリコはシイノに救われても、再びまた危うい境遇に自ら戻っていってしまう。
彼女は常に生きていることを許されたかったかもしれない。
そんなマリコをシイノは鬱陶しいと思いながらも、何度も彼女を救いにいく。
シイノもそこに生きる意味を感じていたのだろうか。
もしかすると二人は共依存の関係性であったのかもしれない。
しかし、突然マリコはシイノに何にも告げずに自殺してしまう。
シイノの心に渦巻いた想いは何か。
一人で逝ってしまった友人への怒り。
救えなかった無念さ。
救えなかったことにより、シイノ自身も自分の存在の意味合いを失いかけたかもしれない。
そんないろいろな想いでグチャグチャになってしまった心を
整理する、落ち着かせるための旅。
結局、シイノはこの旅で答えを出せなかったのかもしれない。
答えを出せなかったから、その答えを探し続けなければならない。
だからシイノは生きていく。

| | コメント (0)

2022年10月16日 (日)

「バッドガイズ」レッテル破り

「プリキュア」の映画を娘と見に行った時に予告がかかっていて、彼女が行きたいと言ったので一緒に鑑賞。
ドリームワークスのアニメーションはあまり見たことがなかったのですが、同じ3Dアニメーションでもピクサーとはまたちょっと違う質感・タッチで新鮮でした。
ピクサーはキャラクターはデフォルメされていますが、質感は割とリアル志向ですが、本作は質感は3Dアニメとセルアニメの中間くらいな感じです。
最近は3Dで描きながら、表現は2D的にする作品もありますが、それともちょっと違います。
2.5Dくらいという感じかな。
主人公ミスター・ウルフとその仲間ミスター・スネーク、ミス・タランチュラ、ミスター・シャーク、ミスター・ピラニアは銀行強盗。
冒頭から銀行強盗シーンがありますが、その軽妙なテイストは見たことがあるなという印象でした。
そう、私の世代的には「ルパン三世」です。
本作を企画している際に、日本やフランスのアニメを研究したそうで、宮崎駿監督の作品も参考にしたそう。
「ルパン三世」も参考にしたかもしれませんね。
そういえばカーチェイスシーンはルパンっぽいノリは感じられました。
冒頭に書いたトーンもアメリカのゴリゴリの3Dではなく、柔らかいタッチを感じましたが、日本やフランスのアニメの影響かもしれません。
さて、ストーリーですが、主人公たちは、狼・蛇・蜘蛛・鮫、そしてピラニアです。
予告を見ていた時に、なんでこんな動物たちが主人公なのかな?と思ったのですが、見初めて理解できました。
この5種類の動物たちは一般的に嫌われている動物なんですね。
冒頭の銀行強盗シーンでも、彼らは正体を明らかにして盗みますが、人々は彼らの姿を見て、恐るばかりで抵抗しません。
彼らは見た目で人々から恐れられ、結局普通に生きることはできず、バッドガイズとしてしか生きられなかったんです。
まさにこれは現代的なテーマでレッテル貼りですね。
いくらその本人の本質が異なっていても、人々は見た目や所属でその人のことを判断しがちです。
そこからその本人も脱することはしにくい。
そのレッテルに縛られてしまう。
本作はウルフたちが、自分たちに貼られたレッテルから自らを解き放ち、自分らしく生きていこうとする物語です。
まさにレッテル破りです。
ウルフの声を担当していたのは尾上松也さん。
普通の演技は上手いのは知っていましたが、声の演技もなかなか。
声優を本業にしてもいいんじゃないかと思えるくらいの上手さで驚きました。

| | コメント (0)

2022年10月15日 (土)

「さかなのこ」男か女かはどっちでもいい

「南極料理人」の沖田修一監督がさかなクンの映画を撮ったということで行ってきました。
それも主演がのんさん。
のんさんがさかなクン???
そして作品の冒頭に「男か女かはどっちでもいい」との謎の言葉が。
のんさんが演じるのは魚が大好きなミー坊。
ミー坊の幼い時から物語が始まりますが、それを演じているのはどう見ても子役の女の子。
さかなクンのような魚好きな女の子の話なのね、と思って見ていて、学生時代のミー坊の話になっていよいよのんさんが登場。
ん?男子の学生服を着ているぞ?
顔は可愛い女の子なのに学生服。
一瞬ちょっと混乱をしました。
そこでようやく冒頭の言葉「男か女かはどっちでもいい」の意味がわかりました。
そういえば、幼い頃のミー坊はスカートではなく半ズボンを穿いていた。
まさに「男か女かはどっちでもいい」の言葉通りでこの物語に登場するミー坊は男でも女でもない。
最近、男らしさや女らしさといったステレオタイプ的な生き方に窮屈さを感じる人が増えてきています。
またオタクと言われる人々が市民権を得てきて、というよりリスペクトされる存在になってきていて、まさに「普通」って何?という時代になってきています。
私が育ってきた時代は、なるべく周りからずれないようにという日本人らしい同調圧力があるのが普通でした。
圧力を圧力と感じていなかったかもしれません。
そうすることが「普通」だと。
けれど本作のミー坊は好きなことをして生きていくことに迷いがないですし、そして周りの人々もそんなミー坊をリスペクトしています。
まさに男か女か、普通か普通じゃないか、などということは問題にもなっておらず、魚が大好きなミー坊を皆が大好きだということなんですよね。
今、以前よりはステレオタイプな見方は減ってきたとはいえ、まだまだ多くの場面でそのような見方は残っています。
本作はある種のファンタジーで、ミー坊とその周りの人々がいるような世間はまだまだないですが、このようにお互いにそれぞれが好きなことを大事にし、リスペクトしあえる世の中になるといいなと思いました。
私はこのブログの記事を見ればわかるように、特撮好きですし、ロボット好きなわけなのですが、社会人になった頃は好きとは言えなかったですものね。
「え、こいつオタクか」みたいな感じに見られるのはやはり嫌だったですし。
映画好き(これは嘘ではない)くらいでぼやかしていたりしてました。
今は若い人が会社に入ってくると、ゲーム好きとかアニメ好きとか堂々と言いますからね。
いい時代になったものです。

| | コメント (0)

「スペンサー ダイアナの決意」檻の中の雉

エリザベス女王が死去し、何かとお騒がせなハリー王子も話題になったりと、最近注目を浴びることが多い、イギリスロイヤルファミリー。
その歴史の中でもダイアナ元妃の存在は今でも大きいかと思います。
その衝撃的な最後だけでなく、彼女がロイヤルファミリーを離れるという決断をしたことも当時はショッキングな出来事でした。
彼女がなぜそのような決断をしたのかが、この作品では描かれます。
物語の冒頭よりダイアナの行動はやや常軌を逸したように見えます。
その行動は心を病んでいる人のよう。
劇中でもしばしば彼女は幻視を見たり、食べたものをすぐに吐いてしまったりします。
彼女は幸せな気持ちでロイヤルファミリーに嫁いだものの、そこはまるで牢獄のような場所でした。
ダイアナが息子たちと話す場面で、ここ(王室)には未来はなく、過去と現在は同じという言葉が出てきます。
まさに伝統に縛られている王室を言い当てていると思いました。
至る所に敷きたりがありそれを守ることを求められ、プリンセスとしての役割を演じることを強要され、挙句のはてに夫は他の女性へ気持ちが動いてしまう。
彼女は自分自身ではない何者かになってしまったかのように感じたのでしょう。
劇中でしばしば彼女の少女時代の様子が挟み込まれてきます。
それを見ると彼女は、明るく自由に振る舞う少女のように見えました。
実家であるスペンサー家もそのように彼女を育てたのでしょう。
しかし、ロイヤルファミリーでは彼女は自由の翼を折られた鳥のようでした。
王室の男子が狩をする場面があり、そこの狩場に雉が放たれます。
その雉は、狩られるために従順に育てられていました。
これはダイアナの暗示だと思います。
雉の羽は濃緑と濃赤でしたが、そのシーンの近くでダイアナが身につけていた服の色も同じでした。
ロイヤルファミリーでは、伝統に従順にいなくてはいけない。
しかし、ダイアナは狩場へ侵入し、息子たちをその場から連れて行きます。
そして立ち寄ったファストフードで名前を聞かれた時、旧姓であるスペンサーを名乗るのです。
彼女が狩場へ侵入した時、かつて父親が来ていた上着を着ていました。
雉の色をした服ではなく。
彼女が従順な鳥であることを辞め、スペンサー家の普通の女性として生きていこうという決意を暗示しているように感じました。
ダイアナを演じていたクリスティン・スチュアートは劇中ではダイアナにしか見えなかったです。
彼女が追い込まれ病んでいる様子を見事に演じていました。
彼女はバイセクシャルであることを公にしていますが、そのような彼女がお堅いロイヤルファミリーの一員を演じることに意外さを感じましたが、作品を見ると納得しました。
この物語のダイアナは檻の中から飛び出し、自由に自分らしく生きていくことを決意した人物です。
その人物像はクリスティンも共感するところがあったのではないかと思いました。

| | コメント (0)

2022年10月10日 (月)

「映画 デリシャスパーティ♡プリキュア 夢みる♡お子さまランチ!」大人は穢れか、憧れか

6歳になる娘が大好きな「プリキュア」。
現在放映中の「デリシャスパーティ♡プリキュア」の劇場版に、もちろん娘と一緒に行ってきました。
どのくらい娘が好きかというと、七夕の短冊に将来の夢で「ぷりきゅあになりたい」と書くくらいです。
突然ですが、本作はコメコメが主役と言ってもいい。
コメコメとは主人公の和実ゆい=キュアプレシャスのペア妖精です。
「プリキュア」シリーズはお約束として、プリキュアたちをサポートする妖精が登場するのですが、コメコメもそのような立ち位置になります。
大体の作品においてこの妖精はプリキュアをサポートする立場というか、ガイド役のような存在となります(前作のくるるんは何もしなかったです・・・)。
本作でのガイド役はレギュラーで登場しているローズマリーが担っているので、デパプリの妖精たち、特にコメコメはちょっと立ち位置が違うように感じています。
コメコメだけ人間への変身能力を持っていて、当初は赤ちゃん、そして幼児、本作では少女になっています。
コメコメはキュアプレシャスに憧れており、彼女のようになりたいと願っています。
これはこの映画の主題になります。
まさにコメコメの立ち位置は、私の娘のように「プリキュアになりたい」と思っている子供たちそのものなんですよね。
映画独自キャラクターとしてケットシーという登場人物がいます。
ネタバレにはなりますが、彼は幼い頃から天才であり、大人たちに利用されて研究を続けてきました。
彼は大人たちから逃げ出してきた時に、幼い頃の和実ゆいに出会っています。
彼はその後も大人に利用され続け、やがて大人を憎むようになります。
代わりに(幼いゆいに会ったこともあってか)子供の純真さを絶対視するようになります。
そんな彼が子供たちのために作ったのが、ドリーミアというテーマパークで、ここには大人は入ることができません。
子供たちだけのテーマパークなのです。
コメコメはキュアプレシャスに憧れ、彼女の役に立ちたいと思いますが、幼いからか思うようにいきません。
コメコメは早く大人になりたいと願う少女なのです。
そんなコメコメにケットシーは「そのままでいい」と言いますが、それは彼の過去の経験からくる大人への不信が言わせています。
彼に対する大人の扱いは虐待と言ってもいいでしょう。
彼にとって大人は穢れた存在なのでしょう。
それに対し、コメコメにとっては大人は憧れの存在。
大人と言ってもゆいは中学生なのですが、少女にとっては憧れの大人に見えますよね(本作はプリキュアの年齢設定を非常にうまく使っていると思います)。
ゆいはおばあちゃんに「ご飯は笑顔」と言われ、食べること=生きることを大切に素直に育ってきました。
そんな彼女に憧れるコメコメもとても素直な子です。
大人を穢れと見るか、憧れと見るか。
正反対なケットシーの育てられ方、ゆいの育てられ方を見るにつけ、子供たちの周りの大人たちの日頃の接し方が重要であると思いました。
子供たちが少なくとも、こんな大人になりたいという希望を持てるような接し方をしたいと思います。

| | コメント (0)

«「ヘルドックス」魅力的なキャラクターたち