2023年1月22日 (日)

「MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない」自分の仕事観

久々に単館公開系の作品を見に行ってきました。
というのも前日に知り合いと飲んでいたら、こちらの映画をプッシュされたもので。
タイトルにあるように本作はタイムループものです。
「時をかける少女」や「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」のようなものです(事例が古いか・・・)。
最近では「東京リベンジャーズ」もそうですね。
そういう意味では使い古されたネタではあるのですが、これを仕事場で行うというアイデアが新しい。
舞台となるのは小さな広告代理店。
代理店といっても、大手の下請けで自転車操業をしているような弱小代理店です。
日々忙しく今日は何日だったっけ?みたいなことがあるようなお祭り状態(ビューティフル・ドリーマーの文化祭前にも通じるような)です。
私も似たような業界ではあるので、最近結構忙しくずっと毎日こういう感じが続いてる・・・っていう感覚を持ったりすることありますね。
彼らは1週間過ごすとそれまでのことを夢の出来事として、また月曜日から同じことを繰り返しています。
ある日主人公は同僚から指摘され、その事実に気づきます。
どうもその原因はタイトルにもあるように彼らの上司の部長らしい。
では、その上司にどうやって気づかさせるか、なのですが、ここが社会人らしいアプローチで面白い。
いきなり部長に言っても信じてもらえないだろうから、その下の役職の人に理解させなくてはいけない、その人に理解させるためにはさらに下の役職の人に理解させなければいけない。
まさに現代社会の課題である日本の会社組織の階層化を面白おかしくディスっています。
そういう日本の会社に対するシニカルな感じで展開させていくかと思いきや、後半で部長がタイムループを理解してからは雰囲気が変わってきます。
人は何のために仕事をしていくのか、という仕事をする人の本質的なテーマに入っていきます。
仕事をするのは自分のため?それとも人のため?
もちろん両方大事なのですが、どちらを大切に思うかはそれぞれの価値観でもあり、難しい問題です。
自分が出世し、どんどん上がっていきたいという上昇志向もアリですし、仲間と一緒にチームとして頑張っていくということに充実感を感じる人もいます。
主人公はタイムループを繰り返していく中で、自分の仕事観の本質はなんなのかということを見つめ直していきます。
意外と深い・・・。
個人的に業界が近いということもあり、みていてあるあるのところもありましたし、主人公の葛藤も身近に感じました。
社会人として長くやっていますので、思うのは仕事観ってずっと続けていくには結構大事であるということです。
仕事観が合わない環境でやっていくのはかなりしんどい。
自分の仕事観が何なのか、というのを気づくのは、社会人と暮らしていく中では重要だと思います。

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2023年1月15日 (日)

「モリコーネ 映画が恋した音楽家」二人のモリコーネ

エンリコ・モリコーネ。
この作品の中では、多くの人から映画音楽は彼がいなければ現在のような形にはなっていなかったと言われているほどに偉大な映画音楽の作曲家です。
彼が映画音楽を手がけるようになって多く知られるようになったのは、マカロニ・ウエスタンからのようですね。
この時期は私がまだ幼い頃だったので、彼の音楽を意識してはいなかったと思います。
しかし劇中で流される音楽はどれも聞き覚えのある印象強い音楽ですね。
私が個人的に印象的なのは、「ニュー・シネマ・パラダイス」と「アンタッチャブル」でしょうか。
ちょうどこれらの作品が公開された時期は大学生の頃で、多くの映画を浴びるように観ていた時期でした。
「ニュー・シネマ・パラダイス」は今でもこのテーマを聞いただけで、涙腺が刺激されるような感覚があります。
作品自体と一体となり、聞くたびに懐かしくも切ない気持ちがになります。
自分にとって大切なものを大切にしていきたい、という思いにさせてくれる曲なんです。
「アンタッチャブル」の劇中曲は聴くだけで、その曲が使われている場面が思い浮かびます。
オープニングタイトルの不穏な感じで緊迫感のある曲はそれから語られる物語を予感させますし、マローンが死ぬ場面で流れる音楽も抒情的でした。
この曲のメロディは「ニュー・シネマ・パラダイス」に通じるような彼らしいものだと思います。
「アンタッチャブル」のテーマは私は勇気がもらえるイメージがあり、よくここぞというときに聞いていました。
本作を見ると、ご本人はあまり推していなかったようですが(笑)。
私のモリコーネの印象はとてもメロディが美しいというものですが、ご本人はメロディは好きではないと言っていたので驚きました。
若い頃は非常に実験的な表現にもトライしていていたのですね。
メロディを否定してトライをしながらも、彼の中ではメロディが鳴っている。
また彼は非常に論理的に音楽を構築しています。
しかし、彼は物語から直観的にそこに相応しい音楽を生み出すことができます。
論理性と直観、全く違うアプローチですが、それが彼の中には同居していたのですね。
二人のモリコーネという言葉が出てきたと思いますが、彼の中で全く違うものの見方が同居し、融合して素晴らしい音楽を生み出してきたのですね。
最後に彼自身も、室内楽を目指したい自分と映画音楽を産んできた自分がどこかまでは対立していたようですが、晩年はそれが融合してきたと言っていました。
本作を見て、私が見ていない彼の作品も見てみたいと思いました。
持っている彼の曲もまた聴きたくもなりました。

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2023年1月 4日 (水)

「かがみの孤城」戦士の休息所

原作は辻村深月さんの同名小説で、本屋大賞も受賞しています。
本作はわたくし的にはノーマークで見る気がなかったのですが、6歳の娘が観たいと言ってきたので、一緒に行くことになりました。
ノーマークであったのは、予告を見たときの印象で、ライトノベルによくあるような子供たちが異世界を訪れて冒険をする、といった内容なのかと思っていたからです。
その手のファンタジーには食傷気味でして、あまり食指が動きませんでした。
観ることになったので、いつものようにスタッフチェックをしてみると監督はなんと原恵一さん。
今までも深みのある作品を作ってきた原さんなので、ちょっと期待感も持ちました。
それで蓋を開けてみると驚きました。
予想をしていた展開とは全く異なる、奥深いストーリーでした。
子供たちが現実ではない、異世界に行くという点だけは同じでしたが。
そこは冒険するところではなく、心を休める場所でした。
なぜなら彼らにとって現実こそが戦っている場所で、彼らはその戦いの中で疲弊し、崩れ落ちそうになっていたからです。
彼らはいわゆる不登校生徒でした。
彼らは孤独でした。
学校にも、そして家庭にも居場所がありません。
自分の本当の気持ちを誰にも伝えられず、そんな状態になってしまう自分が不甲斐なく、情けなく思っているのに、誰とも共有できません。
彼らにとって城は同じようなことを感じている仲間が集まる安らぎの場所だったのです。
現実世界にもフリースクールといった場所もありますが、彼らにとっては城がそのような役割を持っていたのかもしれません。
自分のことを話し、仲間に理解してもらい、仲間の思いも理解し・・・。
そのようなことで彼ら同士の絆を作っていきます。
そして、その絆は崩れ落ちそうになった心に再び力を与えてくれます。
そこは彼らにとって戦士の休息所であったのです。
<ここからネタバレ>
この作品の凄さが何かと言ったら、その構成力でしょうか。
原作を読んでいないのでなんとも言えないですが、なぜ彼らであったのかということが徐々に明かされていくのですが、こちらの読みをどんどん裏切っていきます。
途中で彼らが同じ中学校に通っているということが判明しますが、なぜか現実世界では出会うことができませんでした。
私も観ていて、劇中のマサムネくんのようなパラレルワールド説をとったのですが、あっさりとそれは否定されてしまいました。
しかし、登場人物の一人アキが制服姿で現れたとき、彼女の格好にオヤっと思ったのです。
彼女は今時珍しいルーズソックス姿でした。
もしや、違う「時代」に暮らしているのでは・・・?
ルーズソックスであることは、当然意識してそういうヒントとして提示されているのですよね。
アキの顔のアップの後に、喜多島先生の顔につながるというカットもありました。
これは同一人物であるということのヒントでしょう。
喜多島先生が、フリースクールで何人かを知っているというのもミスディレクションをさせるようでもあり、ヒントでもあるという素晴らしい仕掛けです。
非常に巧みな構成で痺れました。
原作はどう書いてあるのか、興味が出て、劇場の帰りに思わず原作本を買ってしまいました。
よくよく原作者を見れば、昨年これまた拾いものをした「ハケンアニメ!」と同じ作者の辻村深月さん。
この方の小説は自分の趣味に合うはず!と確信を持ちました。

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2023年1月 3日 (火)

「ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」二つの価値観の相剋

2023年最初の映画鑑賞はこちらです。
音楽はほとんど詳しくない割に「ボヘミアン・ラプソディ」「エルヴィス」などミュージシャンを描く作品が好きなんですよね。
彼らの人生は非常に波瀾万丈ですので、物語としてもドラマチックになるのだと思います。
しかし、このような映画を見ると、最高峰に登り詰めたアーティストの多くは、お金の問題やクスリの問題に直面しているものなのだと感じます。
アーティストとして注目されればされるほど一個人としては背負いきれな苦なってくるのかもしれません。
ホイットニー・ヒューストンはデビューの頃から、ジャンルにはとらわれない音楽活動をしてきました。
黒人なのに白人ぽい音楽だという批判は黒人からだと思いますが、これは自らのレッテル貼りですよね。
彼女は若い頃からそのようなレッテルとは無縁の価値観を持っていたようです。
また性的嗜好としても、若い頃は同性愛的な相手がいたことが本作では描かれていますが、彼女は結婚もして子供も授かります。
同性愛者だとか異性愛者であるというようなカテゴリーも彼女には無縁であったのでしょう。
すなわち彼女自身の価値観はとても自由でレッテルやカテゴリーは彼女にとっては意味がなかったのでしょう。
劇中でも彼女のセリフとして「自分らしく」という言葉が発せられますが、まさに彼女の価値観はここにあります。
自分のフィーリングだけで曲を選んでいたというのもここに端を発するのだと思います。
方や、彼女は自分に対する期待、役割を重視する側面もありました。
カトリック信者であったからか、こうあれねばならなぬという価値観から脱せないところもあったようです。
女性として妻として、母として、こうあらねばならぬという価値観がありました。
また両親からは「プリンセス」と呼ばれ、彼らの期待に沿わなければならないというプレッシャーも感じていました。
おそらく「こうあらねばならぬ」という価値観と、「自分らしくある」という価値観が彼女の中で混在し、コンフリクトしていたのかもしれません。
それが彼女の苦しみであったのでしょうか。
晩年は以前の彼女のようなパフォーマンスを期待され、それにそれに応えなければいけないというプレッシャーもあったのでしょう。
これも両親からの期待に応えなければ、という思いに通じるものがあったかと思います。
結局はそれが彼女を追い込んでいったように感じます。
ホイットニーは結局、麻薬との縁を切れずに、そのために入浴中に死亡してしましました。
そしてまた彼女の娘も同じようにドラッグで入浴中に亡くなったようです。

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2023年1月 2日 (月)

2022年を振り返って<映画>

2023年に入ってしまいましたが、昨年の振り返りです。
21年の年間鑑賞本数は63本でしたが、22年は1本だけ増えての64本でした。
かなり観たぞ、という感覚でしたが、前年と同じくらいという結果でした。
なかなかこれ以上は厳しいですかねえ。
それでは22年の年間ベスト10のご紹介をしたいと思います。
順位はつけていますが、あまりシビアではなく、気に入った10本くらいな感じでご覧ください。

1.「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」
2.「トップガン マーヴェリック」
3.「ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー」
4.「すずめの戸締り」
5.「THE BATMAN -ザ・バットマン-」
6.「ハケンアニメ!」
7.「ブレット・トレイン」
8.「シン・ウルトラマン」
9.「ナイトメア・アリー」
10.「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」

1.「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」
22年の最初に見た作品がこちらでした。
色々噂はありましたが、過去のトミー・マクガイア、アンドリュー・ガーフィールドがトム・ホランドと並び立つ、ということの衝撃度はあまりに強い印象を残しました。
それだけではなく、トム・ホランドのスパイダーマンが真のスーパーヒーローとして覚悟を決めるシーンなどはあの名セリフをここでこの人に言わせるか!というアイデアもあり、強い感動を受けました。
アンドリュー・ガーフィールドのスパイダーマンが心に負った傷を自ら癒すことができたことなども、過去作品への愛情を感じ、ただのマルチバースのアイデアの展開では終わらないマーベル愛が詰まった作品だと思いました。

2.「トップガン マーヴェリック」
いまだに劇場で公開され続けているという22年最大のヒット作品。
リアルタイムで「トップガン」を観たものとしては、オープニングよりあの頃の気分を思い出し、気分が上がりました。
ダビングしたビデオを何度見たことか!
そういうシーンだけでなく、登場人物たちも過去作から年月を経て、このようになっているということも丁寧に描写されているところも好感が持てました。
また、劇場の大画面で観ることの良さを再認識させてくれる作品であったと思います。

3.「ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー」
タイトルのブラックパンサーを演じていたチャドウィック・ボーズマンの死去という出来事で大幅に脚本を変更せざるを得なかった本作。
しかし、そのようなリアルでの逆境を物語の中でも国王の死去という出来事として描き、見事に物語として昇華させました。
大切な者の死をそれぞれの登場人物が受け止めきれないながらも、彼が大切にした国の最大の危機に面して、人々が立ち上がり、彼の死を受け止めていくというストーリーを生み出せたのは奇跡的と言えるでしょう。

4.「すずめの戸締り」
あまり同じ映画を2回観ないのですが、本作は2回観ました。
2回とも6歳の娘と一緒です。
自分も人の親なので、自分の子を残して逝くというのは無念があると思います。
幼いすずめが母親を探しながら、雪の中を歩いているシーンは何度見ても涙がこぼれます。
こちらの作品も「ブラックパンサー」と同じく、大切な人の死をどう受け止めるかということがテーマになるかと思いました。
また今までの新海誠監督の作品とはちょっと違い、主人公は自分のためよりも人のために動くというのが、新鮮でもありました。

5.「THE BATMAN -ザ・バットマン-」
若き日のバットマンを描いた作品。
「バットマン」というIPは今までも名作が作られてきましたが(そうでないのもありますが)、それとはまた違う表現で、この作品の懐の深さを感じます。
バットマンの心の中にある闇に最も踏み込んだ作品であるようにも思います。
本作のバットマンは正義のために戦うヒーローというよりは、己の中にある復讐心の発露として悪と戦っています。
その危うさが本作の魅力ですね。

6.「ハケンアニメ!」
これだけ映画を観ていると、年に何作かは全く期待していないのに、とても良かったという作品に出会うことがあります。
この作品がそれですね。
お仕事ムービーといえば、それまでなのですが、2人の主人公がそれぞれ自分の作品に込める思いが、ヒリヒリとするほどに緊張感がありました。
物を作り出すことの達成感、それに至る苦しさがとても共感性高く描かれていました。

7.「ブレット・トレイン」
もう、こういうぶっ飛んだ作品は大好き!
最近はあまりこういうの少なくて残念なんですけれどね。
ブラット・ピットの巻き込まれキャラが徹底していて楽しかったです。
真田広之さんもかっこよかったですね。

8.「シン・ウルトラマン」
こちらもオリジナル作品へのリスペクト溢れる作品でした。
ウルトラマンにキャラクター性を持たせるというアプローチは新鮮でした。
最近ではこれは珍しくないですが、初代ウルトラマン自身がどのように感じていたかは描かれていなかったので、この目の付け所は庵野さんならではかもしれません。
順位が上位でないのは、ウルトラマンとメフィラス星人のキャラは魅力的でしたが、それ以外のキャラが薄かったためと、あまりにアングルが実相寺昭雄監督風すぎてちょっとウザかったからです。

9.「ナイトメア・アリー」
これはもう最後のセリフですね。
脚本も演技も素晴らしい。
ギレルモ・デル・トロらしい耽美な雰囲気もいいですね。

10.「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」
映像は文句なしに素晴らしい。
劇場でなくてはこの迫力は味わえず、劇場へ観客を呼び戻すパワーを持った作品。
しかし、相変わらずストーリーテリングはイマイチなジェームズ・キャメロンでありました。

10位までに入りませんでしが、「カモンカモン」「キングダム2 遙かなる大地へ」「ザリガニの鳴ところ」「ラーゲリより愛を込めて」が次点になります。

さて最後に恒例のワースト3作品。
「モービウス」
「峠 最後のサムライ」
「バイオレンスアクション」

「モービウス」
MCUの作品はそれぞれ吟味されて作られている印象がありますが、どうもSSUの作品は作りが荒っぽい印象です。
「ヴェノム」もそうなんですが、もっとキャラクターを深堀したほうが良いのじゃないかな。
安っぽい作りのMCUに感じられてしょうがないです。

「峠 最後のサムライ」
高い評価をする方もいるようですが、私は描かれている価値観が合わず、評価できません。
原作が昔の作品なので、致し方ないのかもしれませんが。

「バイオレンスアクション」
何がやりたいんだか???
「ブレット・トレイン」くらいまでぶっ飛んでくれれば面白いのに。
そのくらいを期待していました。

今年は次点で入ったいたような、もう少し派手目じゃない作品を多く観ていきたいのですけれどね。
時間が許さないので、どうしても大きな作品に偏りがちです。
去年はレビューが遅れ気味で、感想を書く時記憶が薄れていたりしたので、今年は早めのレビューを心がけたいです。
今年もよろしくお願いします。

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2022年12月30日 (金)

「ラーゲリより愛を込めて」本当に生きる

2022年最後の映画鑑賞はこちらの作品。
私が生まれた頃は太平洋戦争が終結してから20年ちょっとで、すでに戦争は昔の話となっていました。
とはいえ、祖父母も、そして親(かなり幼かったと思いますが)戦争は体験しており、全くその影がなくなっていたわけでもありません。
しかし、再びウクライナ戦争により、戦争というものが引き起こす悲劇を目にすることとなっています。
たまたまではありますが、その関係国であるロシア(旧ソ連)が本作では舞台となっており、観客としてもより一層現在とリンクして観てしまいます。
シベリア抑留という出来事は歴史の勉強の中で、知識としては持っていますが、その過酷さは知りませんでした。
まず本作を見て感じるというのは、戦争というものが容易に人間性というものを剥ぎ取ってしまうということです。
日本人もロシア人も戦争という行為の中で命令に従うため、生き延びるため、人間性を捨てます。
劇中で相沢軍曹が言っていたように捨てないと生きていけないのです。
しかし、そのような状況の中で主人公の山本は最後まで人間であることを止めませんでした。
先ほど生きるために人間を捨てると書きましたが、しかしそれで本当に「生きている」と言えるのでしょうか。
自分を捨て、流されるままに生きる。
命令されることを粛々とやるために生きる。
これが「生きている」ということなのか。
山本は彼の生き様を通じて、仲間たちに「本当に生きる」ということを伝えます。
「本当に生きる」ために必要なのは「希望」、そして「希望」がなくともそれでも「生きる」」ことにより「希望」は見つかる。
それにより、彼らは生き抜くことができたのです。
本作の前半はこのような戦争の中での人間性をテーマにしているように思いました。
そして後半はタイトルに関わるテーマにに発展していきます。
タイトル「ラーゲリより愛を込めて」ということから想像していたのは、抑留された主人公が、内地にいる妻に向かって手紙を出し続けるというようなエピソードでした。
ちなみに原作は読んでいません。
しかし、本作ではなくタイトルが意味するのは山本の遺書の話だったのです。
彼は収容所でガンに侵され亡くなってしまいます。
そのため仲間たちは彼に家族に向けた遺書を書くように進めます。
しかし、収容所では日本語で記録された文書はスパイ行為として没収されてしまいます。
遺書も例外ではありません。
そのため、仲間たちは山本の遺書を分割して、4人がそれぞれ記憶し、日本に戻れた暁月には残された家族にメッセージを伝えるということにしたのです。
これは彼らに彼らが生きるための目的を与えたということかもしれません。
山本は死んでも、仲間たちに生きるための希望と目的を与えたのです。
家族にメッセージを伝えた一人松田が記憶したのは山本の母へのメッセージでした。
松田は収容所で母親が亡くなったことを知り、一時期生きる気力を無くしました。
また相沢は山本の妻へのメッセージを託されました。
彼もまた妻と子供を空襲で亡くしていたのです。
彼はそれを知った時、自らの命を断とうとしましたが、山本に止められたのです。
松田も相沢も、山本の家族にメッセージを伝えることができ、その言葉は彼ら自身の亡くなった家族へのメッセージとも重なり、彼ら自身の救いにもなったように感じました。
この脚本のアイデアは素晴らしく、見ていて大きく心を揺さぶられました。
今現在も戦争は続いています。
この映画で描かれた悲劇のようなことは今も起こっているかもしれません。
来年はそのような悲劇が起こらないように、早く戦争が終わることを願いたいです。

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2022年12月27日 (火)

「仮面ライダーギーツ×リバイス MOVIEバトルロワイヤル」インフレしてきているクロスオーバー

恒例の冬のライダー劇場版です。
オンエア中の最新ライダーと前作のライダーのクロスオーバーになっているのは、「仮面ライダーディケイド」と「仮面ライダーW」からの伝統となります(一部例外もありますが)。
「リバイス」は先が予想つかない展開で最後まで楽しましてもらいましたし、「ギーツ」も今までにないストーリーでこちらも毎回見逃せません。
これもそれぞれのライダーの世界観がしっかりと確立しているからであるからこそだと思います。
そのため、冬の劇場版のクロスオーバーは全く違う世界観の作品を接着しなくてはいけないため、かなり無理がかかります。
なので、イベントムービーとしては話題化できても、作品としてはなかなか厳しい評価となってしまいます。
個人的にはうまくいっているのは「仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010」くらいだと思います。
これは「ディケイド」の世界を渡り歩くライダーという世界観がうまく機能しているためですし、また「W」の方は前日譚として非常によくできた話になっていたためだと思います。
そして最近のクロスオーバーは2つの世界観を接着することに加え、別の要素もプラスされています。
昨年であればライダー50周年の要素ですし、今回であれば「仮面ライダー龍騎」の要素です。
要素が増えれば増えるほど説明も必要になりますし、それぞれを描き方も薄くならざるを得ません。
「龍騎」ついては今までも何度か出てきていますが、毎度同じような登場の仕方になっていて新鮮味もありません。
もう少し掘り下げてくれれば、往年のファンも満足できるような気もしますが、結局はただの話題化の要素になってしまっているような気がします。
コロナのために計画が狂い、冬に公開となった「ゼロワン」の単独作品は非常にレベルが高かったように思います。
冬の劇場版はクロスオーバーでなければならぬということも見直ししてもいい頃かもしれません。
本作でも前半の「リバイス」パートは後日談として魅力的な展開であったと思うので、もう少し掘り下げても良かったように思います。
色々興行的に大人の事情もあるかと思いますが、徐々に物語がインフレーションしているので、考えてもらいたいところです。

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2022年12月21日 (水)

「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」段違いの映像表現

13年ぶりに公開される「アバター」の続編となります。
「アバター」はエポックメイキングな作品で、それまでもあった3DCG表現を1段も2段も超えさせた表現で観客を驚かせました。
当時の私の記事を見返してみると、それまでの3DCGとは異なり奥行き感を表現していたと書いていました。
本作ではさらに進化をしていて、空気感のようなものまでも描写できていたと思います。
本作の舞台は海となり、水中での表現もかなり多くなっているのですが、見事に表現をしていました。
海中は厳密には透明ではなく、非常に細かいプランクトンのようなものも漂っていますし、光の透過も空気中とは異なります。
自分の周りに水があるような空気感(変な表現ですが)を表現できているように思います。
また水中にあるものは水の圧力を受けているわけで、空気中とは違う動き方をします。
水の抵抗感のような質感もリアルに再現されていました。
前作が公開された頃は3Dムービー元年と呼ばれ、「アバター」以外にもかず多くの3D映画が作られました。
しかしその多くは通常のカメラで撮ったものをCGで立体視できるように加工したものが多かったように思います。
そのためか、3Dメガネをかけてみた時も、立体感を感じてもナチュラルさは感じにくかったかと思います。
その不自然さからか、見ていると非常に目が疲れるので、いつしか3Dか2Dかだったら2Dを選んで見るようになりました。
おそらく多くの人もそう思ったので、このところ3D上映はほとんど見かけなくなりました。
本作を見るにあたり、3Dにしようか迷いましたが、キャメロン監督がこだわっているので3Dで鑑賞をしました。
監督が執着しているだけあって、3D表現はまさにリアルで没入感が非常に強かったと思います。
水中のシーンでは先ほどの描写の見事さと3D視のナチュラルさで水の中にいるかと思うほどです。
これならばケチらずIMAX3Dで見ればよかったと思いました。
他の作品との格の違いを見せつけた表現力で、それだけでも一見の価値があるかと思います。
ストーリーについてはどうでしょうか。
3時間越えの作品ではありますが、ストーリーは非常にシンプル。
前作ではアバターの設定や惑星パンドラ、ナヴィの設定などを説明する必要がありましたが、本作ではその必要はありません。
そのためジェイクとその家族周辺の物語にフォーカスされています。
本作はストーリーありきというよりは、見せたいシーンのためにストーリーがあるような気がするほどです。
見せたいシーンであるアクションシーンは非常に見応えがあり、特に後半は息を吐く暇もないほどです。
その分、キャラクターの掘り下げなどは薄く、人物描写にはあまり深みを感じません。
元々キャメロン監督は深い人物描写はあまり得意ではないと思いますので、ある種の割り切りも感じます。
こういう作品でもストーリーとキャラクターも重視したいという方にはあまりお勧めできません。
どちらかというと映画の中に没入して、ナヴィたちと一緒にパンドラに居るという気分で見るのが良いでしょう。

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2022年12月17日 (土)

「ザリガニの鳴くところ」彼女の強さ

主人公はノースカロライナの湿地帯で、親兄弟に捨てられ一人で暮らしてきた少女カイア。
彼女は街の人々から「湿地の少女」と呼ばれ、異質な者として謂れのない差別を受けて生きていました。
彼女にとって湿地帯は、自らが生きるための糧でもあり、彼女を守る城でもあり、生きる術を教えてくれる教師でもありました。
本作はたった一人で逞しく生き抜いていくカイアの成長を描く物語でもあり、また人がいかにレッテルで他人を見てしまっているかということの問題提起もしています。
またミステリーとしての面白さも併せ持っていて、様々な視点で興味を引くことができる傑作となっています。
ですので、色々な視点で本作を語ることができると思いますが、ミステリー的な視点で見てみたいと思います。
<ここからネタバレあり>
ある時、湿地帯で街の若者チェイスの死体が発見されます。
当初は事故と思われていましたが、カイアが殺人者として逮捕されてしまいます。
一時期カイアとチェイスは恋人のような関係になっていましたが、実のとことはチェイスには婚約者がおり、彼にとっては遊びであることが露呈して、破局していたという経緯があったからです。
彼女はその事実が明らかになった時、チェイスに詰め寄りますが、かえって彼から酷い暴力行為を受けます。
そして彼は街の有力者の息子であり、彼女を破滅させる力も持っています。
彼女には動機はあったのです。
さらにはカイアは「湿地の少女」と呼ばれる異質な者であり、街の人々は当初は根拠のないまま彼女を犯人扱いしていました。
しかし、裁判を通じて彼女の凄まじい半生が明らかになり、また弁護人の巧みな論述により、彼女は無罪を勝ち取ります。
検察側の思い込みによる犯行経緯の筋書きの荒っぽさも影響与えたと思われます。
作品を見ている我々も彼女に対し、陪審員ように彼女に同情的になっていきます。
カイアは将来夫となるテイトにアドバイスをもらい、彼女の湿地の生物に対する知識を紹介する本を出版することになりました。
チェイスに暴力を振るわれた後に、編集者とカイアが打ち合わせの場ででホタルについて語るところがあります。
カイア曰くホタルの光り方には2種類あるとのこと。
一つは交尾をする相手を引き寄せるため。
もう一つは生きるために相手を捕食するため。
編集者はそれを聞き恐ろしいですね、とコメントをしますが、カイアはその時「生き物には生きるために善悪の観念はないのかも」と言います。
私はこの言葉におやっと思いました。
彼女に取って沼地はまさに教師そのものであり、生きる術をそこから学びました。
また本作のタイトル「ザリガニの鳴くところ」は非常にユニークですが、これもカイアの母親が夫に暴力を振るわれた時に、子供たちに「ザリガニの鳴くところまで逃げなさい」と言います。
そこまでは追いかけてこないから、と。
彼女にとって、自分を破滅させようとするチェイスの存在そのものが生存の危機の原因であり、「ザリガニの鳴くところ」まで逃げるためにはチェイスそのものを消し去らなければいけません。
カイアは湿地帯以外では生きられないのですから。
個人的には編集者との会話でカイアは非常に怪しいと思いつつも、かたや陪審員と同じく同情心は持ちましたし、検察側の飛躍的な推論にも無理があると感じました。
そのように思わせる構成が巧みであり、最後はやはり彼女は無実だったのだと結局は思いました。
ですが、物語の最後のあの展開です。
やはり、とも思いましたが、衝撃的でありました。
彼女は湿地に育てられた生き抜くための強さを持った「湿地の少女」であったのです。

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2022年12月11日 (日)

「ブラックアダム」DCUの行く先は?

順調に拡大を続けているMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)に対し、DCの作品は迷走を続けている感があります。
一時期はザック・スナイダーの元、DCEU(DC・エクステンデッド・ユニバース)として展開されていましたが、次第に空中分解してっているような印象があります。
もちろん単独で見ればいい作品(例えば「ワンダーウーマン」や「アクアマン」など)も多いのですが、MCUのような世界観は提示されるには至っていません。
MCUのケビン・ファイギのような卓越したプロデューサーがいないためと言われ、最近では大幅な組織改革の末に、ジェームズ・ガンとピーター・サフランがDCユニバースの再建を任されました。
最近の報道ではその方針に合致しないということで、予定されていた「ワンダーウーマン3」はキャンセルされたということです。
DCの作品では、DCU(最近はエクステデッドを取ったこの言い方になっているらしい)に属さない独立した「ジョーカー」や「ザ・バットマン」なども高評価を得ているので、個人的には無理やりユニバースにしなくてもいいのではないかとも思っています。
さて、本作「ブラックアダム」はユニバースに属しているのか、独立しているのかと言えば、前者にあたります。
「シャザム!」や「スーサイド・スクワッド」にも登場しているキャラクターが本作にも登場していることがわかりますし、最後の最後に超有名なあの人もサプライズで出てきます。
MCUのユニバースは緻密に組み立てられていて、新しい登場人物が出てくる時も、それまでの流れを押さえた上で計算されているので、違和感や突然感はあまりありません。
対してDCUは「ジャスティス・リーグ」もそうでしたが、かなりキャラクターの投入の仕方が荒っぽい。
本作でもブラックアダムに対抗する新たなヒーローチームJSAが登場しますが、ここに属するヒーローは我々にとって初めて会う人たちばかり。
彼らについて掘り下げる時間がないため、ブラックアダムに当てるためのその他大勢的な印象は拭えず、魅力的には見えませんでした。
ブラックアダム自身については、彼の出自も含めしっかり語られているので、現在なぜああいうアンチヒーロー的な立場になっているのかも理解でき、感情移入もできるようになっていると思います。
ただ、DCの作品のヒーローというのは、割とスーパーマン的なマッチョタイプなステレオタイプのものが多く、ブラックアダムのその亜流に見えてなりませんでした。
劇中で登場人物のセリフの中に「スーパーヒーロー」や「チャンピオン」という言葉がダイレクトに出てくるところに興が削がれます。
MCUのヒーローが近年、多様性を相当に意識し、それゆえユニークな物語を生み出せているのに対し、どうしても過去のスーパーヒーロー像に縛られ、新しさを出しきれていないのがDCUな気がしてなりません。
新しいリーダーによるDCUはどのように変わるのでしょうか?
ジェームズ・ガンは「ザ・スーサイド・スクワッド」でもいい仕事してくれていたので、期待したいところです。

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