2025年4月19日 (土)

「ミッキー17」彼らの解放運動

主人公ミッキーは借金取りに追われる身であったため、追っ手から逃れるために植民星に向かう宇宙船に乗り込もうとします。
その時、うっかり契約してしまったのが、とんでもない契約。
人類は人間の記憶を保存し、3Dプリンタのように出力した人間の体にインストールする技術を開発していました。
つまり、死んでも何度でも生き返るということです。
ミッキーは、死んでも何度でも生き返り、仕事を続けなければいけない、という契約にサインしてしまったのです。
死んでも何度でも生き返る、っていうのは一見「死なない」ってことと同義のように聞こえて、素晴らしい感じに思えなくもないですが、実際のところはとんでもない。
命というのは死んだら終わり、一回きりのもの、という前提があるからこそ、貴重であるわけですが、それが何度でもやり直しができるとなると、その重みは自然と軽くなってしまいます。
ミッキーはまさに「エクスペンダブル(消耗品)」と呼ばれ、モルモットのように実験台にされ、消費されていきます。
人間を出力する機械は、少し前のプリンタのように少し出したら引き戻して、重ねて印刷をするというような動きをしていて、最新式機械とは思えないアナログさを醸し出しています。
これは印刷を失敗したコピー紙をぐちゃぐちゃにしてポイ捨てしてしまうような感覚に繋がり、ミッキーそのものもその程度の重みでしかないことを印象付けます。
ただし、ミッキーも契約するまでは正真正銘の人間であって、ただサインをしてしまっただけでこのような人間扱いされない状態になってしまうのも不条理ではあります。
友人であったティモなどは特にひどく、彼のためにミッキーは借金を減ってしまったわけなのに、エクスペンダブルになったミッキーに対して、全く人間扱いをしません。
彼にとってはミッキーは別の生き物になってしまったかのようです。
これも歴史的には珍しいことではなく、かつての奴隷も同じような扱いであったのかもしれません。 ミッキーは奴隷のメタファーなのかもしれません。
ちょっとした手違いからミッキー17は死んだものと見做され、ミッキー18がプリントアウトされます。
本来彼らは同時に存在してはならず、そのため彼らは殺されそうになります。
そして搾取され続けることに嫌気がさしたミッキー18は移民団の支配者であるマーシャルを殺そうとします。
まさに彼らの奴隷解放運動です。
ミッキーの恋人であるナーシャだけは彼を人間として愛しており、彼の戦いを援護します。
結果、彼らの企みは成功し、マーシャルからミッキーは解放され、そして改めて本名であるミッキー・バーンズを名乗ります。
これも奴隷解放によって苗字を手に入れた黒人に通じるものがありますね。 本作は韓国の巨匠、ポン・ジュノが監督。
彼らしいブラックなユーモアがところどころにありますが、全体的にマイルドではあります。
彼の作品は見るのにかなりエネルギーを消耗するのですが、そういう点において気軽には見れます。
本来の彼の作品が好きな方には少々物足りないかもしれませんね。

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2025年4月 6日 (日)

「映画おしりたんてい スター・アンド・ムーン」魅力的なキャラクターたち

やはり永遠のライバルのような関係の名探偵と怪盗はいいですよね。
古くは明智小五郎と怪人二十面相、シャーロック・ホームズとモリアーティ教授と枚挙に暇はありません。
「おしりたんてい」で言えば、それはおしりたんていと怪盗Uでしょう。
彼らは永遠のライバルですが、お互いに不思議なリスペクトがあります。
本作の原作はちょうど先日、新刊が発売されていまして、ユニークな2冊同時刊行となっていました。(先に娘は原作を読んでいたため、一緒に見ていた時、ネタバレを言いそうになるのを止めるのに難儀しました・・・)
一つがスターサイドと言って、おしりたんていを中心としたストーリー。
もう一つがムーンサイドと言って、怪盗U中心のストーリーになっています。
映画はこれらを合体させたものになっています。
テレビシリーズの方では、アルファベットのつく怪盗たちが登場してきています。
怪盗Bや怪盗K、怪盗Zなどといったように。
それぞれユニークなキャラクターとなっていますが、彼らはみんな「怪盗アカデミー」という機関の卒業生になります。
そして本作はそのアカデミーの出身者である怪盗Gがおしりたんていの敵となります。
前作はおしりたんていの過去に触れたストーリーとなっていましたが、本作では怪盗U、そして助手のブラウンの過去に触れていきます。
そして怪盗Uの正体にもチラリと垣間見ることができます。 敵となる怪盗Gについても、彼は彼なりにある作戦を進める理由があり、そのこと自体には共感できる部分もあります。
そのように、今回はさまざまなキャラクターに関して掘り下げられており、ストーリーとしても見応えあるものに仕上がっていると思います。 怪盗Uに関してはまだまだ語られるべきストーリーもありそうなので、こちらも今後に期待したいですね。

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2025年4月 5日 (土)

「少年と犬」温かいものが残る読後感

瀬々監督の作品はいつも泣かされることが多く、人の琴線に触れてくるのが上手な監督だと思います。
通常は動物ものはあまり好きではないので、食指は動かないのですが、瀬々監督なので鑑賞しに行きました。
予想通りというか、案の定というか、やはり本作でも泣かされました。
本作は東日本大震災後から始まります。
現代日本が経験したことがない、大災害である東日本大震災。
圧倒的な自然の力に対して、人間は無力であることを改めて認識した方も多かったのではないでしょうか。 本作には何人もの人物が登場しますが、それぞれ一人の力では抗いきれない出来事に直面します。
一つだけにとどまらず、次から次へと。
それぞれの人物の行き先決してハッピーエンドとは言えません。
ただし、彼らが不幸であったかというと、そうではないのかもしれません。
主人公の一人である和正は、心ならずも悪事に手を染めてしまい、家族から非難され居場所を失います。
しかし、迷い犬である多聞と出会い、そして美羽と出会っていく中で自分が生きていきたい道を見出します。 もう一人の主人公である美羽も、望んだ結果ではないけれども人として究極の悪事を行なってしまいます。
しかし和正と多聞と出会うことで自らその罪を償う決心をし、彼女もまた生きる希望を見出します。 結果としては二人の希望は果たされないわけですが、不幸せであったかというと違うような気がします。
多聞と出会うことを心待ちにしていた少年が、そしてまた多聞を失うときに、心の中にいると言います。 それは和正にとっても、美羽にとっても同じで、状況としてはつらくても、心の中に大切なものがあればそれは生きる希望となり、不幸せではないということなのでしょう。
そういう人々(や動物)と出会えたことが人生の幸せなのですよね。
彼らの運命は過酷で、見ていながら感情移入してしまったため、とても辛く、泣けてきました。
ですが、読後感は決して悪くなく、何か希望のような温かいものが残ったような気もします。

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2025年4月 1日 (火)

「白雪姫」安易なアップデートによる違和感

色々と話題になっている実写版の「白雪姫」です。
ディズニーのプリンセスものには大きく二つの流れがあると思います。
まずアニメーションについては、以前は守られ、まさに「白馬の王子様」を待つ存在であったプリンセスが、「ラプンツェル」くらいからか自分の意思を持ち、自分の人生を生きていこうという存在に変わっていったという流れがあります。
これは現代の女性の意識の変化に基づいていて、「アナと雪の女王」で非常に顕著になり、その後最新作の「モアナと伝説の島2」まで続いています。
これは非常に成功していて、現代女性の意識にマッチした現代的なプリンセスは多く受け入れられていると思います。
もう一つはプリンセスには限らないですが、かつてのディズニーアニメーションのヒット作を実写化するという流れです。
プリンセスものでいうと「美女と野獣」や「アラジン」などが該当します。
これは元々ヒット作をベースとしていることで、当たるという確度が高いためディズニーとしても割りのいい案件ではないかと思います。
実写化する場合も、アニメ版公開の時から時間が過ぎているので、現代女性の意識に合わせて、描かれるプリンセス像もアニメーションと同様アップデートされていることが常です。
先にあげた2作はそのアップデートをいい塩梅で行っていたと思います。
そこで本作「白雪姫」です。
こちらも実写版では大きくプリンセス像を現代的にアップデートしています。
すなわち、白雪姫は見かけがただ美しいだけの女性だけでなく、内面も美しいとされています。
また、彼女を眠りから覚ますのは、ただ美しい姫を好きなった白馬の王子様ではなく、悪政から民を解放したいという志を同じくする盗賊になっていたりします。
実写化するにあたり、プリンセスのアップデートをしようとしたのは今までの成功体験からしても、致し方ない結論のような気がします。
ただその元となった「白雪姫」がまさに「白馬の王子様」を待つ女性であるということが、ストーリーの設定の根本であるわけですが、現代女性にアップデートをするということは、その根本を変えていくということになるわけです。
元々の「白雪姫」は1937年公開で90年近く前の作品です。
時代で言えば太平洋戦争前夜です。
古い価値観をベースにしていた物語なので、それを無理矢理に現代的な女性の物語に変容させてしまったために何かチグハグな印象を与えてしまっているような気がします。
時代のギャップをどう埋めていくか、という点をあまり配慮せず、安易にアップデートしているように思いました。 ディズニーのプリンセスものの実写化でうまくやっているのは「マレフィセント」かもしれません。
これの原案は「眠れる森の美女」で、これに登場するオーロラ姫もまさに古い価値観に基づいたプリンセスといえます。
あえてプリンセスを主役とせず、その敵役を主人公にしたというのはアイデアであるように思います。
意外に敵役はキャラクターとして掘り下げられていないため、描く余地があります。
その余地に今まで知らなかった現代女性的な側面を描けたわけです。
最近の「ウィキッド」の西の魔女などもそうかもしれません。
本作は大筋の流れはそのままにわかりやすいところだけを現代的にアップデートしてしまい、そこで様々な違和感が発生しているように思いました。

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2025年3月30日 (日)

「教皇選挙」この課題に宗教界は向き合えるか

カトリックという宗教のトップとなる教皇を決める選挙のことを「コンクラーベ」というのは、以前何かの本を読んでいた時に知った。
コンクラーベでは、枢機卿たちが外部との接触を絶たれ、文字通り「缶詰」で次の教皇を選ぶという。
そこでは主力派工作なども行われるらしく、まさに「根比べ」のようだと思ったものである。
本作で描かれる教皇選挙では、まさに主力派工作のための権謀術数が行われており、参加者たちは忍耐の限界を越えようとしている。
枢機卿と言えば、聖職者のトップであるから何事も正しい振る舞いを行うものと見えているが、何のことはない、彼らも同じ人間である。
同じカトリックと言ってもその中にはさまざまな考え方がある。
伝統的なキリスト教の価値観を遵守するもの、世の中の変化を感じ取り、自らも変わっていかなければならないとする者。
自らの考えが正しいと考え、それを実行するためにはトップの座に座らないければならないとして、工作を行う。
これはどこの組織でもトップを選ぶ時には行われているものである。
聖職者といえども、それは変わらない。
主人公であるローレンス枢機卿は筆頭としてコンクラーベを取り仕切る。
彼はどちらかといえばリベラル派で、友人であり、次期皇候補であるベリーニを推すが、あくまで公平な立場であろうとする。
コンクラーベの中で、さまざまな候補が上がってはスキャンダルや権謀術数で退場していく。
誰もそれぞれの理想は持ちつつ、自分たちが権力を握るために工作を行う。
それはそもそも清廉であるべき、宗教者とは異なる姿であり、ローレンスはそのこと自体に嫌気を感じている。
その中で、突如候補として頭角を表してきたのは、ベニテス枢機卿。
彼は若いながらも紛争地域を中心に活躍しており、最もキリスト者として理想に根ざした活動をしてきていた。
コンクラーベ終盤で発せられた彼のメッセージは多くの枢機卿たちに本来のあるべき姿を思い出させたのである。
彼は結果として新教皇に選ばれるが、その後、ローレンスは驚くべき事実を知ることになる。
その事実は、ローレンスだけでなく、キリスト教に関わる全ての人の価値観を揺さぶることになる。 この事実は驚くべきものであり、これが実際に起こったとしたら、多くの論争が湧くものであると思う。
ただ、それは今現在、世界の中でも議論されている事柄であり、宗教界だけが無縁なものではないはずで、いずれ彼らもこの話題について何かしらの見解を出さないわけにはいかないと思う。
トランプ政権となり、これらの課題に関しても揺り戻しが起こっているが、大きな流れは変わらないのではないか。
その時、宗教界はどのようにこれに対応していくのだろうか。
大きなクエスチェンをこの作品は提示している。

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「Flow」インディペンデントでもここまでできる

低予算のインディペンデントのアニメーション映画でありながら、本年度のアカデミー長編アニメ映画賞を受賞したのが、本作「Flow」です。
ひとことで言って、素晴らしい。
最近の3DCGアニメーションの傾向ですが、いわゆるピクサー的な3DCGぽさをなくし、手書きのようなタッチを出したような表現です。
登場する動物たちはディズニー・ピクサーのようなキャラクター化されているわけではなく、とはいえ完全にリアルタッチでもない、頃合いの良い風合い。
これがリアリティ感を持たせることと感情移入されることを絶妙にバランスをとっていると思います。
それと本作は非常に光の使い方が上手です。
森の中の木漏れ日であったり、水に照り返した光が壁に作るニュアンス、悪天候の中で遠くに霞む景色であったり。
光をうまく使っているので、空気感が感じ取れて、空間がとても広く感じます。
またこれは3D CGアニメーションならではなのですが、カメラが縦横無尽に動きます。 船の上から、水中へ、そしてまた海上に上がってそのまま空中へなどといった自在なカメラワークが随所に見られます。
それらは登場する動物たち(特にネコ)を捉えていて、彼らの冒険がより一層ハラハラしたものに見えます。
本作の舞台となるのは、頻繁に洪水が起こる世界。
人間が作ったものは随所に見られますが、一切人間の姿は見ることができません。
滅びてしまったのか、どこかに避難してしまったのか。
今の世界は、生き残った動物たちの世界です。
本作はセリフはなく、冒険を共にする動物たちは直接的にコミュニケーションすることはできません。
しかし、一緒に過ごしていく中で、彼らは確かに友情らしきものを育てていきます。
言葉がないからこそ、じんわり伝わってくる思いのようなものがあり、それがそこはかとなく胸に迫ります。
色々解釈を生みそうなのは二つ。 ネコと一緒に旅をしてたヘビクイワシは、たどり着いたチベットのような場所で不思議な光に連れていかれます。
これはUFO?それとも神様?
気高いものだけが救われるような、ノアの方舟的なものでしょうか。
もう一つ、しばしばネコたちを助けるクジラ的な存在。
しかし、これはクジラではなく、異世界めいたような神秘さがある生き物です。 この存在は世界を水で満たしてしまったことに関係があるのか、ないのか。
一つ目の謎である光とも関係があるのか、ないのか。
これらについては劇中では何ら説明はないので、どこかで聞いてみたいものです。

去年アカデミーで「ゴジラ-1.0」が低予算ながら特殊撮影で受賞したことに世界は驚きました。
本作もそうですよね。
金をかけることが当たり前になっているハリウッドに対して、インディペンデントでもここまでできることを見せた本作は意義深いですね。

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2025年3月27日 (木)

「ウィキッド ふたりの魔女」負けた者たちの物語

予告を見た娘が見たいということで、一緒に行ってきました。
尺は2時間40分程度とかなりの長尺で、最後まで娘が耐えられるかなと心配ではありましたが、しっかり楽しんだようです。
始まって驚いたのは「Part1」と入っていたタイトル。
2部構成であるんですね!
物語の幕が上がるとオズの国の風景が描写されます。
広大な土地の間に走る道にはドロシーらしき一行の姿が見えます。
いずれドロシーたちも出てくるのでしょうか。
「オズの魔法使い」には良い魔女と悪い魔女が出てきますが、本作はこの二人が主人公となります。
彼女たちは若かりし頃、同じ魔法学校で学ぶ同窓生でした。
のちに西の魔女と呼ばれるようになるエルファバは生まれながらにして肌が緑色で強い魔力を持っており、父親から厭まれていました。
彼女は自分のために家族が不幸になったと思い、一歩引くように生きてきました。
かたや良い魔女と呼ばれることになるグリンダは良い家に育ち、自信に満ち溢れた女性です。
すぐに仲間を作り、彼らの中心になるようになるような人物。
つまりエルファバとグリンダは正反対の女性であったのですね。
当然彼女たちは最初は反目します。
エルファバの力を見出した学部長マダム・モリブルは彼女に特別授業を施します。
モリブルに憧れるグリンダとしては面白いはずもありません。
グリンダは華やかな女性ではありますが、ちょっとした意地悪さもあり、完璧な良い人物ではありません。
「オズの魔法使い」では良い魔女、悪い魔女とレッテルを貼られている二人ですが、若かりし頃はそのようなレッテルとは異なっていたというところが興味深いですね。
その頃、オズの国では人間以外の生き物たちが排斥されようとしていました。
オズの魔法使いがより王国の支配を強固にしようとするためです。
エルファバは彼女自身の経験もあり、動物たちに共感し、それを実行しようとする人々に反発します。
やがてエルファバはオズの魔法使いに呼ばれ、首都にグリンダと共に向かいますが、そこで彼の本当の目的を知ります。
彼はそもそも魔法の力は持っておらず、そのため強力なエルファバの力を使って、動物たちを抑圧しようとしてい他のです。
エルファバは彼の本当の意図を知り、反発をします。
モリブルはそんな彼女を反逆者、邪悪な魔女とし、王国の敵とします。
これが「悪い魔女」の誕生の瞬間です。
エルファバは王国がまとまるための共通の敵として、「悪い魔女」にされてしまった。
本来は動物たちを解放しようとした英雄であったのに。
エルファバ=悪い魔女はいずれ滅ぼされます(本作のオープニングでもその描写があります)。
勝者が歴史を作ると言います。
歴史は勝者に都合の良いように語られる。
「オズの魔法使い」は勝者によって語れれた歴史なのかもしれません。
本作は負けた者たち、の視点で描かれる物語なのでしょう。
「邪悪な魔女」と呼ばれたエルファバは何を思い、その役割を果たしたのか。
その時グリンダはどのような気持ちであったのか、それがPart2で描かれるのでしょう。

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2025年3月23日 (日)

「映画ドラえもん のび太の絵世界物語」ひみつ道具、大活躍

<多少ネタバレあります。> 子供の頃「ドラえもん」のテレビ放映が始まり、劇場版の1作目「のび太の恐竜」をワクワクして見てました。
いつしか「ドラえもん」を卒業し、子供ができてまた再び見にいくようになりましたが、自分が子供の頃のようにワクワクしては見れませんでした。
が、本作は期待以上に面白く、久々に「ドラえもん」の映画でワクワクドキドキしました。
まずは脚本が凝っています。
のび太たちが訪れた中世の世界で不穏な企みが進んでいますが、その敵に到達するまでがワクワクドキドキ。
ミスリーティングも誘いながら、敵まで辿り着きますが、そこからさらに巨大な敵が現れて・・・。
この辺のストーリー展開はなかなかです。
なんと言っても今回、のび太やドラえもんの敵となる存在は圧倒的に強い。
その存在によって、仲間たちも次々倒れていきます。
起死回生の作戦として、水が苦手な敵に対して、モーゼステッキで湖の水を割る、というところまでやってのけますが、それも通じない。
とうとう、ドラえもんまで倒れます。
万事休すのその時に、冒頭に使ったひみつ道具が効いてきます。
なんとまあ、見事な伏線でした。
昨年の「ドラえもん」の劇場版は面白くはあったものの、ひみつ道具はあまり活躍していない印象でしたが、本作ではひみつ道具がまさにキーアイテムとして効いているんですよね。
これぞ「ドラえもん」の劇場版です。 藤子先生が書いていた「ドラえもん」の長編はひみつ道具とタイムマシンなどがかけ合わさって、伏線として効いてくるという展開がしばしばありましたが、同じような感覚を味わった気がします。 他にもクレアがかるがるつりざおを先に使っていた結果、ジャイアンとスネ夫を助けることにつながったり、とひみつ道具を効果的に使っていましたよね。 このシーンもアクションはなかなかの見せ所があり、後半の巨大な敵との戦いとの空中戦も作画的にかなりの熱が入っていたように思います。
ストーリーだけでなく、作画としても見せ所がありました。
他の方のレビューを見ても、かなり高評価が多く、個人的にも納得できます。
来年が楽しみになりました。

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2025年3月16日 (日)

「知らないカノジョ」みんなカノジョに恋をする

あまり恋愛ものは見ない方ではありますが、予告を見た時のヒロインが何か気になって見にいきました。
そのヒロインのミナミを演じているのは、歌手のmiletさん。
本作が映画初出演となるそう。
あまり歌は詳しくないので調べたところ、「鬼滅の刃」の「刀鍛冶の里編」の主題歌歌っていた方なんですね。
さて気になっていたmiletさんですが、映画を見てみるとすごくいい。
これが初めての映画出演とは思えないほどに、演技が巧みでした。
本作は彼女の存在感で8割方支えられているような気がします。
本作では主人公の男性リクとヒロインの関係性が異なった時間軸で描かれます。
そのためヒロインは同じ人物でありながら、2つの人生を歩むわけですが、それぞれのヒロインがとても魅力的です。 片方はリクをサポートするために夢を諦めたミナミ。
朴訥としていて、リクを優しくサポートする姿は愛らしく守ってあげたくなるような雰囲気。
もう一人のミナミは、夢を諦めずにスターとなった彼女。
凛としていて、歌手として、女性としてオーラを放っています。 それぞれのミナミはリクに惹かれつつ、自分の夢とその愛を天秤にかけなくてはならず、葛藤をしています。
なんというか、そのミナミがとても切なく、愛らしい。 miletさんはそういったミナミを豊かな表情で描いていて、さらに魅力が増していました。
おそらく、多くの人が彼女に恋してしまうように感じるほどです。
正直、私もキュンとしました。
ミュージシャンの方が演技をされる場合は多々ありますが、本業ではないのに非常に演技の上手い方がいて、びっくりすることがあります。
演技と歌とパフォーマンスするものは違っていても、人の気持ちを表現するということでは共通しているところもあるのでしょうか。 これからもmiletさんが演技をする作品はチェックしないといけないですね。
物語もリクとミナミにとって切ない物語で、適度にファンタジー要素が入っていて、普通の恋愛ものとは趣が異なります。
次第にリクが自分の行いを見つめ、後悔をしながらも初めて相手のことを心底思い、行動する姿は心を打つものがあります。
クライマックスもとても良かったですよね。
二人は幸せになれるかどうか、確かめてみてください。

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2025年3月15日 (土)

「仮面ライダーガッチャード GRADUATIONS」スパナの成長

こちら「仮面ライダーガッチャード」のVシネですが、劇場で公開されていたので見に行ってきました。
私は年季が入った「仮面ライダー」ファンで、大概のシリーズは好きなのですが、「仮面ライダーガッチャード」は最後まで気持ちが入らなかったですね。
その原因はいろいろ考えられますが、主人公の一之瀬宝太郎へあまり感情移入しにくかったからだと思います。
彼はケミー全員と仲良くなり、大錬金術師になるというのが夢で、これが戦う動機なのですが、これにあまり共感ができなかった感じがします。
「仮面ライダー」というシリーズは何かしら主人公が葛藤を抱えていて、それが感情移入を誘うわけですが、宝太郎は素直でいい子すぎるような気がしています。
彼のようなキャラクターは「スーパー戦隊」シリーズだとマッチしていたのかもしれないですね。
そういった宝太郎に対して、劇中で様々な葛藤をうちに占めていたのが、黒鋼スパナでした。
超A級の錬金術師でありながら宝太郎に負けてプライドを傷つけられ、また内に秘めた復讐心に翻弄される。
人に対して壁を作りながらも、人との愛情を求める。
まさに葛藤を抱えた人物です。
このVシネは宝太郎ではなく、スパナが主人公です。
宝太郎やりんねの卒業式の日、スパナだけがタイムリープに巻き込まれます。
同じ日を繰り返していく中で、スパナは自分の中に隠されていた想いに気がついていきます。
本作はスパナが抱える矛盾を描きます。
彼は完璧のようでありながら、完璧ではありません。
人との間に壁を自ら作るのは、愛する人を失いたくないから。
以前は両親を失い、そして兄からも距離を取られました(和解しますが)。
彼が唯一心を許していたのは、師匠の鏡花であり、そしてグリオンたちとの戦いの中で、宝太郎らと絆を不器用ながらも築いてきました。
そして彼らが卒業の日、彼らはそれぞれの道を進み、スパナは彼らと別れなければなりません。
そしてまた鏡花も彼の恩師であるミナトと結婚します。
彼は再び、愛する人たちを失おうとしていたのです。
スパナは愛する人を思いながらも、それを失う悲しみとの間で葛藤していたのです。
スパナの葛藤は本作で、とても丁寧に描かれていて、共感ができました。
テレビシリーズではあまり琴線に触れることがなかった「ガッチャード」ですが、本作は初めていいなと思えました。
最後にスパナが皆にさりげなく「ありがとう」と言うシーンは良かったです。
彼が成長したことを感じさせる一言でした。

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