「ミッキー17」彼らの解放運動
主人公ミッキーは借金取りに追われる身であったため、追っ手から逃れるために植民星に向かう宇宙船に乗り込もうとします。
その時、うっかり契約してしまったのが、とんでもない契約。
人類は人間の記憶を保存し、3Dプリンタのように出力した人間の体にインストールする技術を開発していました。
つまり、死んでも何度でも生き返るということです。
ミッキーは、死んでも何度でも生き返り、仕事を続けなければいけない、という契約にサインしてしまったのです。
死んでも何度でも生き返る、っていうのは一見「死なない」ってことと同義のように聞こえて、素晴らしい感じに思えなくもないですが、実際のところはとんでもない。
命というのは死んだら終わり、一回きりのもの、という前提があるからこそ、貴重であるわけですが、それが何度でもやり直しができるとなると、その重みは自然と軽くなってしまいます。
ミッキーはまさに「エクスペンダブル(消耗品)」と呼ばれ、モルモットのように実験台にされ、消費されていきます。
人間を出力する機械は、少し前のプリンタのように少し出したら引き戻して、重ねて印刷をするというような動きをしていて、最新式機械とは思えないアナログさを醸し出しています。
これは印刷を失敗したコピー紙をぐちゃぐちゃにしてポイ捨てしてしまうような感覚に繋がり、ミッキーそのものもその程度の重みでしかないことを印象付けます。
ただし、ミッキーも契約するまでは正真正銘の人間であって、ただサインをしてしまっただけでこのような人間扱いされない状態になってしまうのも不条理ではあります。
友人であったティモなどは特にひどく、彼のためにミッキーは借金を減ってしまったわけなのに、エクスペンダブルになったミッキーに対して、全く人間扱いをしません。
彼にとってはミッキーは別の生き物になってしまったかのようです。
これも歴史的には珍しいことではなく、かつての奴隷も同じような扱いであったのかもしれません。 ミッキーは奴隷のメタファーなのかもしれません。
ちょっとした手違いからミッキー17は死んだものと見做され、ミッキー18がプリントアウトされます。
本来彼らは同時に存在してはならず、そのため彼らは殺されそうになります。
そして搾取され続けることに嫌気がさしたミッキー18は移民団の支配者であるマーシャルを殺そうとします。
まさに彼らの奴隷解放運動です。
ミッキーの恋人であるナーシャだけは彼を人間として愛しており、彼の戦いを援護します。
結果、彼らの企みは成功し、マーシャルからミッキーは解放され、そして改めて本名であるミッキー・バーンズを名乗ります。
これも奴隷解放によって苗字を手に入れた黒人に通じるものがありますね。 本作は韓国の巨匠、ポン・ジュノが監督。
彼らしいブラックなユーモアがところどころにありますが、全体的にマイルドではあります。
彼の作品は見るのにかなりエネルギーを消耗するのですが、そういう点において気軽には見れます。
本来の彼の作品が好きな方には少々物足りないかもしれませんね。
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